【完結】新人機動隊員と弁当屋のお姉さん。あるいは失われた五年間の話

古都まとい

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6章(1)

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 県警本部の部長室を出た将太と相沢あいざわは、詰まっていた息を大きく吐き出した。
 県警本部長妻子殺害事件は、被疑者死亡で幕を閉じた。動機や細かな足取りなど、まだ分からない部分は多々あるが、捜査本部は撤収され、これからは他の事件の合間を縫って全容の解明が進められるらしい。

 将太はあかつきから得た情報を相沢に話し、相沢が捜査本部の知り合いに伝えるという形で真実が伝達されていった。情報源については話していない。表向きは将太と相沢のひらめきによる解決ということになっているが、相沢はきっと将太が暁から得た情報だと知っているだろう。知っていて、黙っているのだ。
 ふたりは事件解決に重要な力添えをしたとして、本部長直々に感謝の意が述べられた。つい先日まで人を人とも思わずこき使い、将太の顔面に弁当を投げつけた相手から感謝されるのは、なんとも居心地が悪く、また素直に喜ぶこともできなかった。

 次の昇進試験では一層の配慮をしよう、と宝井たからいは歯切れ悪く言った。
 被疑者死亡で事件は片づいたものの、宝井がその結末に納得していないことは誰の目から見ても明らかだった。なにせ、犯人の動機が分からない。ホームレスの男が妻子を殺害した理由も、空き家で見つかった自死遺体の男がホームレスを殺した理由も、よく分かっていないのだ。
 宝井の中には、まだ漠然とした不安があるのだろう。次に殺されるのは自分かもしれない、という思いが心の中でくすぶっているように見える。宝井は決して外には出さないが、かすかに怯えている様子が窺えた。
 将太自身も、事件は終わったとは思っていない。むしろ、ここがはじまりなのではないか、と疑っているくらいだ。

 宝井の妻子殺害に暁が関わっていることはまちがいない。でないと、あれほど正確な情報を掴んでいることがおかしい。暁が関わっているということは必然的に、彩鳥さとりの関与も疑っていた。
 彩鳥が直接関わっていないにしろ、どこかで必ず糸を引いているはずだ。彩鳥が関わっているからこそ、じんの父親が空き家で亡くなっていたとしか思えない。宝井と添木家をつなぐのは、彩鳥ひとりしかいないのだから。

「案外遅くなったな……寮で着替えだけ済ませて、どこかに飯でも食べに行くか?」

 隣に立つ相沢が腕時計を見ながら言った。
 猛暑はすぎ去った10月の風は、夕方にもなると肌寒さを増している。
 将太は着慣れない制服にぎこちなさを感じながら、頷いた。

「どうします? 居酒屋の個室でも予約取りましょうか?」
「ああ、頼む。禁煙がいい」

 相沢は歩きながら上着を脱ぎ、ネクタイを緩めていた。黙って歩いている時間がもったいないといったふうで、隙がない。
 将太も置いていかれないように早足で追いかける。スマホで飲食店の予約サイトを開き、駅前の個室居酒屋を予約した。
 飲みながら仕事の話をしたい時は、だいたいこの店を予約する。少し値段は張るが遮音性が高く、店員も配膳の時しか姿を見せないため話を聞かれることがない。
 相沢とはゆっくり話したいことがたくさんある。おそらく相沢も、将太に対して話したいことが積もっているのだろう。



◇ ◇ ◇



 平日の夜なのに、居酒屋はほとんどの席が埋まっていた。どこの個室も襖が閉じられ、間接照明の明かりが廊下を淡く照らしている。
 個室からは時折、飲み騒ぐ男女のにぎやかな声が聞こえたが、多くの部屋はひっそりと静まり返っており、密談が交わされているような雰囲気だった。

 将太たちが案内されたのは、店の奥に位置する二人用の小さな個室だった。ほとんど廊下の突き当たりに近いような位置で、客もめったに通らない。
 靴を脱ぎ、掘りごたつに腰を落ち着けると、ふたりはビールを頼んだ。
 ほどなくしてビールとともにお通しの小鉢が運ばれてくる。小鉢の中身はポテトサラダだった。枝豆が入っており、ブラックペッパーがよくきいていてビールに合う。簡単に注文を済ませると、ようやく相沢と向き合った。

「暁となにを取引したんだ」

 将太は危うく、ビールのグラスを取り落とすところだった。一気に冷や汗が吹き出す。勘づかれているだろうとは思っていたが、ここまではっきりと切り出されるとは予想していなかった。
 しかも相手は相沢である。下手な嘘は通用しない。将太が本当のことを話すまで、徹底的に詰めてくるだろう。
 唇についたビールの泡を舐め取り、相沢が続ける。

「あれがなんの交換条件もなしに、お前に情報を渡すとは思えない。きっとなにか裏があるはずだ。自分が犯人だと言っているような細かな情報を、なぜあいつはお前に教えたんだ?」

 将太はゆっくりとビールを飲み下し、考えをまとめ、心を落ち着けた。別に、相沢はすぐにでも敵対するような相手ではない。彼もまた、暁に協力した過去があるのだから、手の内を明かしたところで、すぐにどうこうなる話ではないはずだ。

「警察も知らない情報を教える代わりに、添木さんを助けてやってほしいと言われました」

 正確には彼女の望みを叶えるために、だが細かいところは伏せておいた。細かなところまで話したら、勘のいい相沢は考えるまでもなく気づいてしまう。

「加藤は今回の事件に、彼女が関わっていると思うか?」

 これもまた、はっきりとした問いかけだった。逃げることは許さないというように、相沢が鋭い目つきで将太を見やる。

「思い、ます。でなきゃ旦那さんのお父さんが、あの場にいることなんて」

 店員がかすかに襖を叩く音がして、ふたりは口をつぐんだ。注文した料理が、てきぱきとテーブルの上に並べられていく。一通り並べ終わると、店員はテーブルの上に伝票を遺し、音もなく襖を閉めた。
 相沢が無造作に焼き鳥の串を掴む。

「5年前の銀行強盗事件で添木が本部長の代わりに亡くなったこと。俺にはそれが今回の元凶に思えてならない。彼女だけでなく、添木のご両親もまた、宝井になんらかの恨みのようなものを持っていたんだろうか」
「俺も、そう思います。むしろ動機として思いつくのが復讐くらいしか……」
「暁が絡んでいるのは人員の手配だろうな」

 餃子に手を伸ばしながら、言葉の続きを待つ。

「あのホームレスは暁がどこかから引っ張ってきたんだろう。添木の父親も、きっと暁と接触しているはずだ」
「じゃあいずれ、暁さんが捜査対象になるってことですか?」
「空き家や添木のご両親の家からなにか暁とのつながりを示す証拠が出れば、な」

 ふたりはそれっきり、事件の話もできずに黙って料理を片づけた。時々、寮暮らしの愚痴や将太の両親の話などをしたが、将太の兄の話から5年前の事件の話にさかのぼりそうになると、押し黙るしかなかった。

 将太の頭の中は、彩鳥のことで占められていた。暁に捜査の手が及べばいずれ、彩鳥も調べられるはずだ。
なにか取り返しのつかなくなることが起きる前に、彼女を止めなければならない。将太の心には黒く、不穏な予感が渦巻いていた。
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