【完結】新人機動隊員と弁当屋のお姉さん。あるいは失われた五年間の話

古都まとい

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5章(8)

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「まずは状況を整理しよう」とあかつきは切り出した。

 事件があったのは8月の上旬のある日。将太が彩鳥さとりに頼まれて、菱目ひしめとともに虫退治へ行った日だ。
 将太がちょうど彩鳥の住むマンションへ着いた23時頃、宝井たからいの家では妻と子どもが胸を刺されて死亡した。死亡推定時刻は22時から23時頃。腕には抵抗した際にできる防御創が残されていた。室内を荒らした形跡はなく、犯人は強盗ではなく、はじめからふたりの殺害が目的だったと見られる。

「これだけなら、普通の殺人事件なんでしょうけど……」

 問題はここからだ。宝井の家からは妻子の遺体とは別に、もうひとつ遺体が見つかっている。宝井の妻子のそばに倒れていた遺体は、ハンマーのようなもので顔を潰され、指紋はすべて焼かれており、身元を特定できるようなものが一切なかった。身分証明書も持っていなかったが、その場で男性であることだけは特定された。

 その後の検死で、男の死因は紐状のもので首を絞められたことによる窒息死だったこと、死亡推定時刻は23時から25時くらい、また年齢は50代から70代だろうと推定された。
 警察はこの男を宝井の妻と子どもを殺害した犯人だと見ているが、凶器が現場から見つかっていないこと、男を殺害した人間が別にいること、直近1週間の監視カメラに宝井の家へ出入りする家族以外の人物が映っていないことから捜査は難航した。

 改めて状況を整理してみると、訳が分からないことだらけである。
 男は一体どこから宝井の家へ入ったのか? 殺害の目的は? そして男はなぜ顔と指紋を潰され、殺されたのか。
 将太は空になったグラスを手の中で弄ぶ暁を見た。
 暁は殺害された男の身元を知っていると言った。警察ですら知らない情報を持っている、と。

「暁さんの言っていることが正しいと、現時点では誰も特定できないですよね?」

 当然の疑問だ。答え合わせをしようにも、警察は現時点で必要な答えを持ち合わせていない。

「オレの話を信じて動けば、きっとすぐに答え合わせができるさ」

 暁はそんなことは問題にはならないというように、事もなげに言った。本当に暁の情報を信用できるのか、いささか疑問は残るものの、今のところ暁を頼るしかないほど捜査が上手く進んでいないことも事実である。
 本来、将太が首を突っ込むべきところではないのかもしれないが、宝井の警護から一刻も早く離れたいという思いがある。
 将太自身は仕事を辞めたいと思うほど参ってはいないのだが、このまま宝井の好き勝手な行動に晒されていると、相沢がいつ爆発するか分からなかった。将太のために宝井に歯向かった挙句、相沢がクビにでもなったりしたら会わせる顔がない。

「それで、身元不明の遺体は一体誰なんです?」
「あれはただのホームレスだ。駅の地下道で寝泊まりしているホームレスの集団がいるが、そこには属していない。だから、いなくなっても誰も気づかないし、財布や身分証明書なんてものも持っていないわけ。いくら洗っても男の身元を特定するのは難しいだろう」

 暁の言うように、身元不明遺体がホームレスだったとして、彼はどんな目的で宝井の家に入ったのか。現金や通帳は手つかずで、強盗目的ではないことははっきりしている。ただのホームレスが、殺人を犯すためだけに家に侵入したりするだろうか?

「それから、監視カメラに誰も映っていないことだけど」

 将太が考えをまとめる前に、話が先へ進む。

「隣の空き家を調べてみるといいよ」
「空き家?」

 将太は小森から聞いた情報を呼び起こす。宝井の家は閑静な住宅街にあった。右隣の家の奥さんは、宝井の妻とも交流があり、亡くなったことを聞いて驚いていたらしい。左隣の家は窓が割れ、庭には雑草が生い茂り、とても人が住んでいるような状態ではないと聞いた。暁の言う空き家とは、左隣に建つ家を指すのだろう。

「空き家と監視カメラに誰も映っていないことになにか関係があるんですか?」
「生活道路の往来はすべて記憶している監視カメラでも、人の家の庭までは映さないだろう? プライバシーの問題があるからね。もしホームレスがその空き家に住み着いて、宝井の嫁と子どもを殺す機会を窺っていたとしたら?」

 将太の肌が、ぞくりと粟立った。

「庭伝いに入ったということですか……?」
「監視カメラに映らずに入るなら、それしかないだろうね。監視カメラの録画が消去される1週間以上前から宝井の家に潜伏していたのでもない限り」

 盲点だった。ボロボロの空き家で、人が住んでいないと思い込んでいたから警察はまったく調べていないはずだ。そんな方法で監視カメラの網をくぐり抜けるなど、考えもしなかった。
 身元不明遺体がホームレスであること、隣家から庭伝いに移動することで監視カメラに映ることなく宝井の家に侵入できたこと。これが分かっただけでも大きな進歩だが、まだ疑問は残っている。

 時系列的には、ホームレスの男が妻と子どもを殺した後、さらに誰かがホームレスの男を殺害している。おそらく首を絞めた後に、顔をハンマーのようなもので潰し、指紋も焼いている。まるで証拠隠滅を図ったように。ホームレスの男を殺した第三者も、監視カメラには映っていない。
 まさか、と将太は身震いした。先ほどの暁の話を聞けば、自然と行き着く想像が脳内を駆け回る。

「ホームレスを殺した人物も、空き家に住み着いていたとか言いませんよね?」
「さすが警察官。刑事になれるんじゃない?」

 じっとりと背中に冷たい汗をかく。誰も住んでいないはずの家にふたりも住み着き、さらに2件の殺人事件を引き起こした。あろうことか、県警本部長の家で。

「すぐにでも空き家を覗きに行った方がいい。夏だから、腐るの早そうだし」

「オレが言えるのはここまで」と暁はきっぱり話を打ち切り、席を立った。

 まだ聞きたいことが山ほどある。将太も暁を追って席を立ったが、切れ長の瞳に宿る冷たい視線が追随を許さなかった。将太はその場に縫いとめられてしまったように、動けなくなる。

「オレが知ってることは全部話した。くれぐれも裏切らないように、ね?」

 暁が長い黒髪を揺らしながらバーを出て行く。将太は追うこともできず、黙ってその背中を見送った。


 後日。宝井家の隣に建つ空き家から、首を吊った状態の男の遺体が発見された。そばには妻子殺害に使われたと思われる血のついた包丁の他、延長コードや血のついたハンマーなど、凶器一式が散乱していた。
 ハンマーに残った指紋や、絞殺に使われたと見られる延長コードに残った指紋、ホームレスの首に残る痣と延長コードの形が一致したことから、空き家で自ら首を吊った男が、ホームレスを殺害した犯人だと同定された。
 将太は空き家で自死した男の名前を聞いて、どん底に突き落とされた気分だった。聞きまちがいではない、確かに相沢は言ったのだ。
 男の名前は添木義則そえぎよしのりじんの父親である、と。
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