【完結】新人機動隊員と弁当屋のお姉さん。あるいは失われた五年間の話

古都まとい

文字の大きさ
上 下
34 / 49

5章(7)

しおりを挟む
 あかつきは一切の動揺を見せなかった。彩鳥さとりの名前が出ても、ぴくりとも反応しない。ただ短く、「どうしてそう思った?」と尋ねてきただけだ。
 将太も思いつきで言ったわけではない。事件のことを知ってから、ずっと頭の中で考えてきた。彩鳥のことを疑っているわけでもない。

 けれど、どうしても彩鳥の昏い目が頭を離れないのだ。夫は宝井に殺されたのだと主張する彩鳥の昏く、深い底なし沼のような瞳。その瞳の奥にくすぶっていた炎は、復讐を誓っているように見えた。
 誰かにこの考えを否定してほしかった。誰か一人でもいいから、彩鳥はまちがいなくやっていない、今回の件とは一切関わりがないと断言してほしかった。
 グラスの外側で水滴が滑り落ち、コースターを濡らす。

「添木さんは旦那さんが、宝井本部長に殺されたと思っています。そして本部長に復讐するために暁さんと手を組むことにした……ちがいますか?」
「いや、続けて」
「添木さんにとって復讐とは、本部長を殺すことではなく、本部長の大切なものを奪うことなんじゃないでしょうか? 自分が旦那さんを奪われたように、添木さんも本部長から奥さんとお子さんを奪ったのでは……」

 言いながらも、将太は答えを期待していなかった。きっと暁は、やったともやっていないとも言わないだろう。事実は、もう目の前に並べられているのだから。

「でも、彼女の姿は監視カメラに映っていない。どれだけ捜査本部が頑張ろうと、監視カメラの映像から得られる証拠など、ひとつもない」

 暁は投げやりに言い切った。監視カメラによる捜査が上手くいっていないことまで、彼は知っているのだ。
 どこまで情報を持っている? いや、暁はどこまで知っている? なぜ監視カメラから証拠が出ないと言い切れるのか。

「彩鳥ちゃんが関わっているかどうかに関しては、ノーコメントだ。そんなに気になるなら本人にでも聞けばいい」

 暁は氷が解けて薄くなったウイスキーを飲み干した。ウイスキーで湿った唇を舐め、艶然と将太を見やる。

「取引をしよう。加藤くんがオレたちに協力すると言うのなら、オレは知っていることをすべて話す。そこにはもちろん、県警もまだ知らない情報が含まれている」
「たとえば?」
「たとえば? そうだな……宝井の家から見つかった、身元不明遺体が誰なのか、とか」

 あと少しで将太は叫び出すところだった。警察ですらまだ掴めていない情報。その場にいた人間しか、知り得ないような情報。
 心臓が早鐘を打つ。早く、暁から聞くだけ聞き出して、上司に報告しなければならない。顔も指紋も潰されたあの遺体が誰なのか、それが分かれば捜査は一気に進展するはずだ。未だ姿すら分からない、身元不明遺体を作り出した第三者に近づくこともできるだろう。

 将太は一度ジントニックをぐっと飲み、心を落ち着けた。暁は情報に交換条件を出している。自分たちに協力すること。彩鳥と暁に、将太が手を貸すこと。なにに? 宝井への復讐?

「俺に、なにをさせようとしているんです?」

 将太は我に返って尋ねた。彩鳥や暁に協力することが、なにを意味しているのか。それが分からないほど子どもではない。
 暁はもったいぶるように指先でグラスの中の氷をつついた。カラカラと音を立てて、氷が回る。

「簡単なことさ。彩鳥ちゃんの望みを叶える手伝いをするだけだ」

 暁は直接的な言及を避けているようにも見えた。それでも彩鳥の望みが示唆することはひとつ。宝井への復讐にちがいない。暁は将太に復讐を手伝えと迫っているのだ。
 無為な沈黙だけが流れた。情報は欲しい、しかし暁と彩鳥に協力することはできない。将太にはふたりの行く先が、破滅の道のように思えたからだ。

 自分も一緒になって、落ちていく様を想像するだけで胸が痛んだ。母や兄、相沢の顔が脳裏に浮かんでくる。彼らを裏切りたくはない。けれど情報は欲しい。早く事件を解決して、宝井の警護から解放されたい。手柄を立てて、相沢の役に立ちたい。母に立派な警察官になったのだと、感心してもらいたい。

「加藤くんには、宝井に恩を売っておいてもらわないと困るんだよ。君の持ち帰った情報で事件を解決したら、宝井はまちがいなく加藤くんを引き立てる。宝井に忠誠を誓う犬のような顔をして、ある日突然、その首に噛みついてやるのさ」

 将太もだんだんと、暁の言わんとしていることが分かりはじめた。暁は今後のために、警察内部の協力者がほしいのだ。相沢ではなく、もっと別の。たとえば、彩鳥に心酔し、彩鳥のためなら犬にでもなるような協力者を。

「オレの言うことが信用できないなら、後で弁当屋でも彩鳥ちゃんの部屋でもどこでも行けばいい。きっと彼女の方が、熱烈に加藤くんを求めてくれるよ」

 暁がじわじわと包囲網を狭めていく。相沢は同期の恨みを晴らすために、暁に魂を売った。では、自分は? なんのためにふたりに協力するのだ? ここで得ようとしている情報は、時間が経てば捜査本部でもたどり着くものではないのか?

 決断を迫られる。今のところは協力するふりをして情報だけかすめ取ればいい。分かっている。
 彩鳥のやわらかな笑みが、将太の心を支配した。はじめて弁当屋で行った時の、恥ずかしそうな笑み。小鳥の鳴くようなささやかな声で、将太の名を呼ぶ声。腕に触れた、吸いつくような熱さを持った手のひら。

 彩鳥のすべてが、将太を深く蝕んでいる。最初から、将太のことを求めていたかのように。

「知っていることを……すべて話してください」

 暁の形のいい唇が、凄絶にゆがんだ。将太には分からなかったが、それは笑みを模してるようだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クールな生徒会長のオンとオフが違いすぎるっ!?

ブレイブ
恋愛
政治家、資産家の子供だけが通える高校。上流高校がある。上流高校の一年生にして生徒会長。神童燐は普段は冷静に動き、正確な指示を出すが、家族と、恋人、新の前では

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

処理中です...