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4章(6)
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2014年10月31日 16時32分
暁はそこで、男の行動や後悔に納得した。男が撃ってしまった男性行員に対し、娘と同じくらいと言ったから、20代前半の若い娘だったのだろう。男は娘と同じくらいの年齢の、若い人間に銃を向けることを極端に嫌がった。その背景には、娘の死があったということか。
迅は男の叫びを聞いても、身じろぎひとつしない。彼の背後で、宝井が聞きたくないといわんばかりにしゃがみ込み、耳をふさいだだけだ。
誰も、なにも言わない膠着状態が続く。男の怒りを押し込めているような、荒い息遣いが聞こえるだけだ。
暁は自分に求められた役割を理解し、控えめに口を挟むことにした。
「おっさんの娘が殺されたのは、何年前の話だ? もし本当にこいつがおっさんの娘を殺ったなら、なんで宝井はのうのうと警察に居座って、出世までしている?」
最後の一文は無駄だったかもしれない。いたずらに男の怒りを増幅させる可能性がある。しかし、一度言ってしまったことは撤回できない。暁は大人しく、男がその経緯を話し出すのを待つ。迅も、今のところは傍観すると決めているようだ。
「絵梨が死んだのは、10年前だ。警視庁の警察官になりたいんだと、就職説明会に行った帰りだった……交通課だという中年の男に、面接指導をしてやると言ってカラオケに誘われた。そこで、絵梨は、暴行を受けて……」
男の声が徐々に湿っぽくなり、ついに嗚咽をこらえきれず、手に持った猟銃がガタガタと震える。
「二か月後、絵梨は……死んだんだ、豪雨の日に、川から遺体で見つかった、っ……医者にお腹の子も、亡くなってると言われて……」
迅がかすかに息を飲む音が聞こえる。
後日、娘の部屋から遺書が見つかったこと、遺書には交通課の宝井幸次から性的暴行を受けたこと、宝井の子どもを妊娠したことなどが記されていた、というようなことを男は嗚咽と憎悪を交えて語った。
「警察に、行かなかったんですか」
迅が震える声で、男に問う。男はほとんど聞き取れないような声で、「行ったよ」とか細くつぶやいた。
「行ったよ、絵梨が亡くなった時も、遺書が見つかった時も……でもあいつは、金だけ払って、なかったことにしてほしいって言い出したんだ。しまいには絵梨が誘ってきただの、なんだのと……!」
男が猟銃を構え直し、引き金を引いたのは一瞬のできごとだった。ずしり、と腹と鼓膜に響く重たい音を立てて、猟銃は弾を吐き出す。
暁がとっさに男に飛びかかったのも手遅れで、銃口はしっかりと宝井の方へ向けられていた。
迅が盾を宝井の方へ押し出すより早く、宝井が迅の腕を強く引くのが見えた。
バランスを崩した迅が、盾を手放し宝井へのしかかるように倒れていく。男の猟銃を奪い取ろうと飛びかかった暁の目の端で、迅の首元から鮮血が吹き出す。
暁が男から猟銃を奪い取るのと、宝井が倒れた迅を押しのけて裏口へ走り出したのは、ほとんど同時だった。
男は迅の首からとめどなくあふれる血だまりに膝をつき、微動だにしない。迅はまだ、かすかに息をしているようだ。
暁は猟銃を放り出し、迅に駆け寄った。昨日買ったばかりのTシャツを脱ぎ捨て、迅の首元を強く押さえる。ヘルメットと首元を守る装備のちょうど隙間を、銃弾が切り裂いていったらしかった。白いTシャツはみるみるうちに赤く染まり、生地が吸いきれなかった血が、暁の指の間からあふれた。
「シャッター開けろ! 早く!」
呆然と座り込んでいる男性行員に向かって、暁は叫ぶ。今すぐ病院へ運べば、まだ間に合うかもしれない。暁はどうしてだか、迅を死なせたくなかった。理由は分からない。けれど、宝井の代わりに死んでいい人間じゃないことだけは確かだ。
迅が血まじりの咳をしながら、なにかを訴えている。口元に耳を寄せると、ひゅうひゅうと喉の鳴っている音が聞こえた。
迅が緩慢な動きで、左手を上げる。装備品の手袋の先を噛み、脱ごうとしているようだが、まったく力が入っていない。暁は右手で首元を押さえたまま、両足と左手を使って迅の手袋を脱がせた。
暁の手より一回りほど小さな迅の手に、きらりと光るものがある。それを見て、迅は満足げに微笑み、すうっと眠るように動かなくなった。
暁はまるで寝顔のような迅の死相と、その指に光る結婚指輪をいつまでも眺め続けた。
やがてシャッターが開き、警察官がなだれ込んできても動くことができず、ほとんど引き離されるような形で、暁は迅から離れたのだった。
暁はそこで、男の行動や後悔に納得した。男が撃ってしまった男性行員に対し、娘と同じくらいと言ったから、20代前半の若い娘だったのだろう。男は娘と同じくらいの年齢の、若い人間に銃を向けることを極端に嫌がった。その背景には、娘の死があったということか。
迅は男の叫びを聞いても、身じろぎひとつしない。彼の背後で、宝井が聞きたくないといわんばかりにしゃがみ込み、耳をふさいだだけだ。
誰も、なにも言わない膠着状態が続く。男の怒りを押し込めているような、荒い息遣いが聞こえるだけだ。
暁は自分に求められた役割を理解し、控えめに口を挟むことにした。
「おっさんの娘が殺されたのは、何年前の話だ? もし本当にこいつがおっさんの娘を殺ったなら、なんで宝井はのうのうと警察に居座って、出世までしている?」
最後の一文は無駄だったかもしれない。いたずらに男の怒りを増幅させる可能性がある。しかし、一度言ってしまったことは撤回できない。暁は大人しく、男がその経緯を話し出すのを待つ。迅も、今のところは傍観すると決めているようだ。
「絵梨が死んだのは、10年前だ。警視庁の警察官になりたいんだと、就職説明会に行った帰りだった……交通課だという中年の男に、面接指導をしてやると言ってカラオケに誘われた。そこで、絵梨は、暴行を受けて……」
男の声が徐々に湿っぽくなり、ついに嗚咽をこらえきれず、手に持った猟銃がガタガタと震える。
「二か月後、絵梨は……死んだんだ、豪雨の日に、川から遺体で見つかった、っ……医者にお腹の子も、亡くなってると言われて……」
迅がかすかに息を飲む音が聞こえる。
後日、娘の部屋から遺書が見つかったこと、遺書には交通課の宝井幸次から性的暴行を受けたこと、宝井の子どもを妊娠したことなどが記されていた、というようなことを男は嗚咽と憎悪を交えて語った。
「警察に、行かなかったんですか」
迅が震える声で、男に問う。男はほとんど聞き取れないような声で、「行ったよ」とか細くつぶやいた。
「行ったよ、絵梨が亡くなった時も、遺書が見つかった時も……でもあいつは、金だけ払って、なかったことにしてほしいって言い出したんだ。しまいには絵梨が誘ってきただの、なんだのと……!」
男が猟銃を構え直し、引き金を引いたのは一瞬のできごとだった。ずしり、と腹と鼓膜に響く重たい音を立てて、猟銃は弾を吐き出す。
暁がとっさに男に飛びかかったのも手遅れで、銃口はしっかりと宝井の方へ向けられていた。
迅が盾を宝井の方へ押し出すより早く、宝井が迅の腕を強く引くのが見えた。
バランスを崩した迅が、盾を手放し宝井へのしかかるように倒れていく。男の猟銃を奪い取ろうと飛びかかった暁の目の端で、迅の首元から鮮血が吹き出す。
暁が男から猟銃を奪い取るのと、宝井が倒れた迅を押しのけて裏口へ走り出したのは、ほとんど同時だった。
男は迅の首からとめどなくあふれる血だまりに膝をつき、微動だにしない。迅はまだ、かすかに息をしているようだ。
暁は猟銃を放り出し、迅に駆け寄った。昨日買ったばかりのTシャツを脱ぎ捨て、迅の首元を強く押さえる。ヘルメットと首元を守る装備のちょうど隙間を、銃弾が切り裂いていったらしかった。白いTシャツはみるみるうちに赤く染まり、生地が吸いきれなかった血が、暁の指の間からあふれた。
「シャッター開けろ! 早く!」
呆然と座り込んでいる男性行員に向かって、暁は叫ぶ。今すぐ病院へ運べば、まだ間に合うかもしれない。暁はどうしてだか、迅を死なせたくなかった。理由は分からない。けれど、宝井の代わりに死んでいい人間じゃないことだけは確かだ。
迅が血まじりの咳をしながら、なにかを訴えている。口元に耳を寄せると、ひゅうひゅうと喉の鳴っている音が聞こえた。
迅が緩慢な動きで、左手を上げる。装備品の手袋の先を噛み、脱ごうとしているようだが、まったく力が入っていない。暁は右手で首元を押さえたまま、両足と左手を使って迅の手袋を脱がせた。
暁の手より一回りほど小さな迅の手に、きらりと光るものがある。それを見て、迅は満足げに微笑み、すうっと眠るように動かなくなった。
暁はまるで寝顔のような迅の死相と、その指に光る結婚指輪をいつまでも眺め続けた。
やがてシャッターが開き、警察官がなだれ込んできても動くことができず、ほとんど引き離されるような形で、暁は迅から離れたのだった。
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