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4章(2)

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 2014年10月31日 13時29分

 目の前で人が撃たれるところを見たのは、はじめてだった。客も行員も関係ない。みなが一様に、その惨劇を目にして顔色を青くした。そして、次は自分の番かもしれないと誰もが思った。
 暁康介あかつきこうすけはポケットの中をまさぐり、その手触りだけでボイスレコーダーの存在を確認する。ボイスレコーダーはすでに起動させてあり、録音がはじまっている。私用社用を問わず携帯電話は没収されたが、ボイスレコーダーは持っていることすら気づかれなかった。

 暁はじっと目を凝らし、男の顔を凝視する。50代くらいの、冴えない中年男だ。薄い髪には白髪が混じりはじめ、目の下には深い隈が刻まれている。全体的にやつれたというか、この世の物事すべてを嫌っているふうな雰囲気があった。そうではければ、強盗なんてしないだろう。
 暁がN銀行を訪れたのは、別に銀行に用事があったからではない。昨夜、N銀行に警察官の殺害を目的とした強盗が入るという情報を目にしたからだ。

 その情報を見つけたのは、真夜中の残業中だった。週刊誌の記者である暁はスクープ写真を求めてマンション前で張り込みをしていたのだが、待てど暮らせどターゲットは現れない。そのうち入口を眺め続けるのにも飽きて、インターネットの掲示板巡りをはじめたのだ。書き込み数がそれほど多くない、中堅くらいの掲示板で、暁は問題の書き込みを見つけた。

『10月31日、13時20分。4丁目のN銀行に強盗に入る予定。宝井幸次たからいこうじは絶対殺す。あいつが出てこないのなら、人質は皆殺しだ』

 大胆な犯罪予告だった。ネットパトロールですぐに消されたり、通報されるかと思いきや、暁が朝見た時でも残っており、誰もレスを返していなかった。
 ただのいたずらか? それにしては内容がはっきりしすぎている。暁は先輩記者からもらった県警の組織図と、人事表を眺める。宝井幸次は警備部の部長だ。宝井に個人的な恨みを持った人間か? 前に、宝井に逮捕されて出所したばかりの人間の可能性もある。速度超過の違反切符を切られただけで、警察官を逆恨みする人間もいるくらいだ。暁も仕事で嫌というほど警察に恨みを持った人間を見てきている。

 情報の真偽はともかく、確かめなければならないと思った。いたずらならそれでいいし、もし本当にN銀行に強盗が入るのなら、その瞬間に立ち会わなければならない。暁の異常な嗅覚が、スクープの匂いを嗅ぎ取っている。
 こうして暁は特に用もないのにN銀行に出向き、強盗が押し入る瞬間を目撃し、自身も人質として巻き込まれることになった。

 カウンターの隙間から、血を流して倒れている若い男性の姿が見える。彼は先ほど、妊娠している女性行員を庇って、男に撃たれた。眉間に一発、おそらく即死だろう。顔を見ればかなり若く、今年入社したばかりの新人にも見える。即死で、苦しまなかったのが幸いと言うしかない。男の立てこもりがいつまで続くのか、誰にも分からないのだから。
 下衆な野次馬精神で強盗事件を見届けようとした暁でさえ、目の前で死人が出たことにより、さすがに考えを改めた。これでは特大スクープをぶっ放す前に、撃たれて死ぬ確率の方が高い。

 暁は後ろを振り返った。シャッターの閉まった、閉鎖的な空間で客や行員が一か所に固まり、身を縮めている。はじめはカウンター内にいた行員たちも男の指示で、客と一緒に入口付近にまとめられていた。人質の数はざっと見ただけで20人ほど。そのつち子どもが3人いる。男性は暁と、店長らしき男の行員ふたりのみ。すでに亡くなっている若い行員を頭数に入れることはできない。

 暁はいつの間にか人質代表みたいな立ち位置になっていた。この状況をある意味、予見していたことで一番冷静でいられているからかもしれない。もしくは男のくせに長い黒髪をして、内側には紫のカラーを入れた奇抜な男に、人質たちも犯人の男もどう扱えば正解なのか分からず、困っているだけかもしれない。
 暁はもう一度ポケットに手を突っ込み、ボイスレコーダーが作動していることを確認した。

「ちょっと、そこのおっさん」

 後ろから女性の悲鳴が上がる。暁の呼びかけで、犯人の男が振り向いたからだ。なるべく犯人を刺激しないでほしいという願望が、背中からひしひしと伝わる。
 男は猟銃を構えたまま、のっそりと暁の前までやってきた。銃口は暁の頭にぴたりと合わせられており、余計なことを言えばすぐにでも射殺されそうな勢いである。

「なんだ、トイレか?」
「いや、トイレは大丈夫。それより、昨日の書き込み見たよ。おっさんが書いたんだろう?」

 男が、ぴくりと眉を跳ね上げた。暁の顔をまじまじと見て、言葉の真意を探ろうとしている。暁は自分の両肩に、ずっしりと命の重みがのしかかってくる感覚に囚われた。自分の問いかけによって、男が人質を無傷で逃がすか、激情のままに皆殺しにしてしまうか、どちらにも傾く可能性があるのだ。
 暁は敵意がないことを示すように、両手を頭の高さまで掲げる。

「名刺が出せなくて申し訳ないんだけどね、オレは海廊社かいろうしゃ日報の人間だ。宝井幸次のことも知っている」

 男の顔が一瞬で赤く染まり、ゆがんだ。

「あいつはまだ交通課にいるのか?」

 暁は男の顔をじっくりと眺めた。どうやら、最新の情報は知らないと見た。上手くコントロールできれば、無傷でこの場をくぐり抜け、さらには出世まちがいなしの大スクープが手に入る予感がする。
 暁は両手を上げたまま、ゆっくりと口を開く。

「いや、出世してる。今じゃ警備部の部長だ」

 男の猟銃を持つ手が、ぷるぷると震える。そのまま誤射しないか、心配になる。

「あんた、宝井に恨みがあるんだろ? オレに話してみるのはどう? 暴力じゃなくて、ペンの力であいつを滅ぼそうよ」

 暁の提案を、男はどう受け取ったのか。男は一旦猟銃を下ろし、ゆるゆると首を振った。

「それは無理だ……さっき、若いのを撃っちまった。娘と、同じくらいの……」

 緊迫した状況に、不自然な沈黙。それでも暁の頭は冷静に回っていた。この場を切り抜けるにはどうすればいいか。いつまでもここで立てこもっていても、事態は悪くなるだけだ。暁は肩を落とす男の顔を見上げた。

「じゃあとりあえずさ、警察に連絡取らない? きっとあいつらおっさんの書き込み見てないからなんで立てこもってるかも知らないと思うよ。まずはおっさんの要求を警察に伝えて、できれば女の人と子どもだけでも先に解放してもらえるとありがたいな」

 暁は心の中で店長らしき男性行員に謝る。一緒に、最後までここに残ってもらうことになりそうだ。
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