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3章(7)
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菱目の父親が隠していた秘密、そしてそれを海廊社の人間が明るみに出したことによる母親の死――。菱目から詳しく聞きたいところではあったが、この話は早々に打ち切られた。なにより、暁は菱目の父親に関する話を先輩から聞いただけで、厳密に言えば当事者ではない。菱目もそのことは分かっているようで、海廊社の人間に対する恨みはあるが、だからといってこの場で暁個人を攻撃しようという気はないらしい。
菱目と暁の睨み合いが終わった後に気になるのは、暁と彩鳥の関係である。彩鳥の様子を見ていると、暁とは旧知の仲であることは分かる。しかし、菱目に言わせれば「警察ネタでご飯を食べている低俗な週刊誌記者」と彩鳥のどこに接点があるのか、分からない。
それに、和室にあった遺影のことも気になっている。警察の制服を着た彼は誰なのか。彩鳥と、どんな関係があるのか。そしてなぜ、亡くなったのか。
聞きたいことはたくさんあるのに、将太の口は上手く動いてくれない。緊張なのか、暑さなのか、喉がカラカラに乾いている。
将太を含めた四人は今、リビングにぽつりと置かれたローテーブルを囲んで座っていた。和室を背にして将太と菱目が、その対面に彩鳥と暁が座っている。
将太の喉の渇きを察知したかどうかは分からないが、彩鳥は一度立ち上がると、人数分のコップを持って戻ってきた。コップにはなみなみと麦茶が注がれている。
麦茶を一息で飲み干すと、すかさず彩鳥が「おかわりいる?」と将太にボトルを差し出した。ありがたく二杯目をいただき、やっと腰を落ち着ける。聞きたいことを聞くには、今しかない。彩鳥の部屋を出たらもう、なにも聞けなくなってしまう。そんな気がしていた。
「水本さん、は、暁さんとどんな関係で?」
「え、彩鳥ちゃん、水本さんって呼ばれてるの? あ、そっか弁当屋の――」
「黙って」
ぴしゃりと彩鳥が暁の言葉を遮る。彩鳥の剣幕にもどぎまぎするが、将太が心に引っかかったのは暁が彩鳥のことを「彩鳥ちゃん」と呼んだことだ。下の名前で呼べるほど、仲がいいのか?
彩鳥は暁を睨むように一瞥すると、すぐに将太を目をじっと覗き込んできた。黒目がちな瞳に、緊張して硬い表情の将太が映っている。将太が彩鳥の目を見つめ返すと、彩鳥は弁当屋で見せるようなやわらかい笑みを浮かべた。菱目が横から肘で脇をつついてくるが、気にならないほど、彩鳥の黒い瞳に溺れそうになる。
「どこから話せばいいかな……将太くんは、わたしと暁さんの関係を知りたいのよね?」
彩鳥にまっすぐ見つめられながら、こっくりと頷く。彩鳥は少し、暁の顔色を窺ったようだ。けれど、暁は意味ありげに微笑むだけで、言葉を発しない。
「わたしと暁さんはね、そうだな……浮気相手、かな?」
「「え?」」
将太と暁の声が、同時に反響した。将太がちがうのか、と問うように暁を見ると、暁も信じられないものを見たというように目を丸くして将太を凝視している。
「浮気相手は初耳だって顔してますけど」
冷静さを欠いた将太の代わりに、菱目が落ち着いて彩鳥を問いただす。
「いや、いやちがうんだ。まさか彩鳥ちゃんがそんな言い方をするなんて思っていなかったから、少し驚いただけで……」
暁がうろたえながら、言葉を絞り出す。将太は勝手に二人の力関係でいえば暁が上だと思っていたが、案外、実権を握っているのは彩鳥の方かもしれない。ますます彩鳥が得体の知れない人間のように見えてくる。
「で、実際どうなんですか? 浮気相手なんですか? 加藤の話だと、水本さんは結婚してるって聞きましたけど、この部屋全然二人で住んでる感じがしないんですよね」
「ちょ、菱目さん詰め方が怖い……」
菱目はすっかり容疑者の取り調べをしているような勢いで、彩鳥に迫っている。彩鳥はそれでも、表情を崩さない。菱目の質問は、すべて想定内であるというように余裕すら見える。
彩鳥は空になったコップに麦茶を注ぎながら、小さくため息をついた。
「ちょっとした冗談ですよ」と言って、彼女は笑った。菱目が苛ついたように目を細める。菱目はただでさえ夜中に呼び出され、会いたくもない海廊社の人間に会って機嫌が悪い。
聞きたいことは山ほどあるが、一旦菱目だけでも家に送るべきではないか? その後、将太だけが戻ってゆっくり話を聞けばいい。そう思うものの、正直将太は一人で二人の話を冷静に聞ける自信はない。菱目には悪いが、いてくれた方がありがたい。
菱目が彩鳥の冗談をまったく笑わなかったのはともかく、意外にも暁も渋い顔をしていた。どうやら彼も、彩鳥との関係を誤解されるようなことは避けたいらしい。早く本当のことを言え、と促すように暁は彩鳥を見ている。
彩鳥はもったいぶって、ゆっくりと口を開いた。
「暁さんは、ただのビジネスパートナーですよ」
ビジネスパートナー? 弁当屋と、週刊誌の記者が?
将太の疑問を感じ取ったのか、暁は彩鳥に対して説明が足りないと呟く。
「君は彼に、本当のことをひとつも言ってないのかい?」
暁が彩鳥にそう声をかけながら、憐れむような目で将太を見てくる。彩鳥はにべもなく「和室に入った時点で分かったでしょう」と言った。
将太の冷え切った背中を再度、汗が伝う。いつまで待っても帰ってこない彩鳥の旦那、菱目が言うには二人で住んでいる気配のない部屋、そして和室の位牌と若い男性の遺影。まさか、と将太は思う。それでも、そのまさかが、ここでは起こっているのだ。
憐れむように将太を見ていた暁が、子どもに言い聞かせるように、ゆったりと話し出す。
「君が水本さんと呼んでいる彼女の本当の名前は、添木彩鳥だ。そして和室にあった遺影は、彼女の夫のものだ。添木迅。5年前、24歳で亡くなった」
菱目と暁の睨み合いが終わった後に気になるのは、暁と彩鳥の関係である。彩鳥の様子を見ていると、暁とは旧知の仲であることは分かる。しかし、菱目に言わせれば「警察ネタでご飯を食べている低俗な週刊誌記者」と彩鳥のどこに接点があるのか、分からない。
それに、和室にあった遺影のことも気になっている。警察の制服を着た彼は誰なのか。彩鳥と、どんな関係があるのか。そしてなぜ、亡くなったのか。
聞きたいことはたくさんあるのに、将太の口は上手く動いてくれない。緊張なのか、暑さなのか、喉がカラカラに乾いている。
将太を含めた四人は今、リビングにぽつりと置かれたローテーブルを囲んで座っていた。和室を背にして将太と菱目が、その対面に彩鳥と暁が座っている。
将太の喉の渇きを察知したかどうかは分からないが、彩鳥は一度立ち上がると、人数分のコップを持って戻ってきた。コップにはなみなみと麦茶が注がれている。
麦茶を一息で飲み干すと、すかさず彩鳥が「おかわりいる?」と将太にボトルを差し出した。ありがたく二杯目をいただき、やっと腰を落ち着ける。聞きたいことを聞くには、今しかない。彩鳥の部屋を出たらもう、なにも聞けなくなってしまう。そんな気がしていた。
「水本さん、は、暁さんとどんな関係で?」
「え、彩鳥ちゃん、水本さんって呼ばれてるの? あ、そっか弁当屋の――」
「黙って」
ぴしゃりと彩鳥が暁の言葉を遮る。彩鳥の剣幕にもどぎまぎするが、将太が心に引っかかったのは暁が彩鳥のことを「彩鳥ちゃん」と呼んだことだ。下の名前で呼べるほど、仲がいいのか?
彩鳥は暁を睨むように一瞥すると、すぐに将太を目をじっと覗き込んできた。黒目がちな瞳に、緊張して硬い表情の将太が映っている。将太が彩鳥の目を見つめ返すと、彩鳥は弁当屋で見せるようなやわらかい笑みを浮かべた。菱目が横から肘で脇をつついてくるが、気にならないほど、彩鳥の黒い瞳に溺れそうになる。
「どこから話せばいいかな……将太くんは、わたしと暁さんの関係を知りたいのよね?」
彩鳥にまっすぐ見つめられながら、こっくりと頷く。彩鳥は少し、暁の顔色を窺ったようだ。けれど、暁は意味ありげに微笑むだけで、言葉を発しない。
「わたしと暁さんはね、そうだな……浮気相手、かな?」
「「え?」」
将太と暁の声が、同時に反響した。将太がちがうのか、と問うように暁を見ると、暁も信じられないものを見たというように目を丸くして将太を凝視している。
「浮気相手は初耳だって顔してますけど」
冷静さを欠いた将太の代わりに、菱目が落ち着いて彩鳥を問いただす。
「いや、いやちがうんだ。まさか彩鳥ちゃんがそんな言い方をするなんて思っていなかったから、少し驚いただけで……」
暁がうろたえながら、言葉を絞り出す。将太は勝手に二人の力関係でいえば暁が上だと思っていたが、案外、実権を握っているのは彩鳥の方かもしれない。ますます彩鳥が得体の知れない人間のように見えてくる。
「で、実際どうなんですか? 浮気相手なんですか? 加藤の話だと、水本さんは結婚してるって聞きましたけど、この部屋全然二人で住んでる感じがしないんですよね」
「ちょ、菱目さん詰め方が怖い……」
菱目はすっかり容疑者の取り調べをしているような勢いで、彩鳥に迫っている。彩鳥はそれでも、表情を崩さない。菱目の質問は、すべて想定内であるというように余裕すら見える。
彩鳥は空になったコップに麦茶を注ぎながら、小さくため息をついた。
「ちょっとした冗談ですよ」と言って、彼女は笑った。菱目が苛ついたように目を細める。菱目はただでさえ夜中に呼び出され、会いたくもない海廊社の人間に会って機嫌が悪い。
聞きたいことは山ほどあるが、一旦菱目だけでも家に送るべきではないか? その後、将太だけが戻ってゆっくり話を聞けばいい。そう思うものの、正直将太は一人で二人の話を冷静に聞ける自信はない。菱目には悪いが、いてくれた方がありがたい。
菱目が彩鳥の冗談をまったく笑わなかったのはともかく、意外にも暁も渋い顔をしていた。どうやら彼も、彩鳥との関係を誤解されるようなことは避けたいらしい。早く本当のことを言え、と促すように暁は彩鳥を見ている。
彩鳥はもったいぶって、ゆっくりと口を開いた。
「暁さんは、ただのビジネスパートナーですよ」
ビジネスパートナー? 弁当屋と、週刊誌の記者が?
将太の疑問を感じ取ったのか、暁は彩鳥に対して説明が足りないと呟く。
「君は彼に、本当のことをひとつも言ってないのかい?」
暁が彩鳥にそう声をかけながら、憐れむような目で将太を見てくる。彩鳥はにべもなく「和室に入った時点で分かったでしょう」と言った。
将太の冷え切った背中を再度、汗が伝う。いつまで待っても帰ってこない彩鳥の旦那、菱目が言うには二人で住んでいる気配のない部屋、そして和室の位牌と若い男性の遺影。まさか、と将太は思う。それでも、そのまさかが、ここでは起こっているのだ。
憐れむように将太を見ていた暁が、子どもに言い聞かせるように、ゆったりと話し出す。
「君が水本さんと呼んでいる彼女の本当の名前は、添木彩鳥だ。そして和室にあった遺影は、彼女の夫のものだ。添木迅。5年前、24歳で亡くなった」
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