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5章(3)
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侍女を屋敷に入れないというのも、アウストルがメルフェリーゼのすべての世話をすると言ったのも本当のことだったのだと気づいたのは、メルフェリーゼが屋敷に来てから五日が経った頃だった。
アウストルは片時も、メルフェリーゼを離さなかった。食事の時は膝の間に座らせ、眠る時はメルフェリーゼを後ろから抱きすくめて眠り、湯浴みの時はあいかわらず甲斐甲斐しくメルフェリーゼの全身を洗い、髪を丁寧に梳いた。
彼が唯一、メルフェリーゼを解放するのは自身が湯浴みをする時と着替えをする時だけだった。メルフェリーゼには自分の前で服を脱がせるくせに、アウストルは彼女の前では決して服を脱いだり、着替えをすることはなかった。
解放といっても、自由にできるわけではない。一度、アウストルが湯浴みをしている間に外へ出て、庭を見に行ったことがある。様々なハーブが植えられている庭はきちんと手入れがされており、降り注ぐ日光も気持ちよくてすっかりメルフェリーゼのお気に入りの場所になった。
しかし、安寧の時間は長くは続かなかった。メルフェリーゼが屋敷の中にいないと気づいたアウストルが、髪の毛から湯を滴らせながら庭に裸足で飛び出してきたのである。メルフェリーゼを一目見るなり、彼は猛然と彼女を屋敷の中へ連れ帰り、葉で手を切ったりしていないか、蛇に噛まれなかったか、と安全を確かめるまでメルフェリーゼを解放しなかった。
そんなことがあって以来、メルフェリーゼはアウストルが湯浴みや着替えで姿を見せない時でも、大人しく浴室や寝室の前で待っているようになった。また半乱狂になって自分を捜されたら困る。
それに近頃のアウストルはメルフェリーゼのこととなると自制がきかないようでもある。夕食時にメルフェリーゼがぽつりと言った「羊肉のスープが食べたい」の一言で、屋敷を飛び出し、羊を丸々一頭買い込んでくるようなこともあった。
メルフェリーゼの寝室にはアウストルから贈られたドレスや宝飾品が溢れんばかりに詰め込まれ、アウストルが所用で屋敷を空ける前日には決まって勝手に屋敷を出て行かないことを約束させられるのだった。
「最近のアウストル様は、おかしいです」
ある夕食時、メルフェリーゼはついに口にした。
後ろからにゅっと手が伸びてきて、パンを取ろうと伸ばしていた手を絡め取られる。
「どんな風におかしい」
後ろを振り返って、アウストルの表情を確認することは怖くてできない。穏やかな声色からは、どんな感情も読み取ることができない。
メルフェリーゼは取られた手にアウストルの熱い体温を感じながら、言葉を選ぶ。
「ここに来てからのアウストル様の行動は、心変わりをして私を愛そうとしているのではなく、すべて私の監視が目的ですよね?」
「なぜそんなことをする必要がある」
これがアウストルの愛であるなんて思えるほど、メルフェリーゼの頭はめでたくない。
愛でないなら答えはひとつだけ。
「アウストル様は、私のしたことがいつか世間へ知れ渡ることを恐れているのではありませんか。私は王子妃でありながら王族である夫を殺し、庶民の男と駆け落ちした身です。たとえアウストル様や私が亡くなったとしても、このことが世間へ知られたら王族の顔に泥を塗ることでしょう」
握られた手にわずかに力が込められたが、アウストルはなにも言わない。自分の考えが正しいのだと思って、メルフェリーゼは続ける。
「だから私をこの屋敷に幽閉することにした。誰にも知られないように、贅と手を尽くし、私がここから逃げる気も起きないようにして――」
「心外だな」
後ろから回された腕が、きつくメルフェリーゼの身体を抱きしめる。骨が軋むような痛みに呻く。
「お前を愛していないと言ったことなど、一度もないはずだが」
「ならば、なぜ……!」
メルフェリーゼはアウストルの腕を振り解こうともがき、それが無理と分かると叩きつけるように叫ぶ。
「なぜ結婚してからの二年、私に触れてくださらなかったのですか! なぜ冷たい態度ばかり取って私を遠ざけていたのですか! 私がアウストル様の行いでどれほど傷ついたか、周りの夫人方になにを言われていたのか、アウストル様は知りたいとも思わないのでしょう……!」
メルフェリーゼはすべてをぶちまけてから、唇を噛む。じんわりと浮かんできた涙を無理やり飲み下す。また、あの時のように冷たくあしらわれるのが怖かった。口ではなんとでも言える。いくらアウストルがメルフェリーゼに愛していると言っても、行動が伴っていなければそれはただのまやかしだ。
今のアウストルは違う。メルフェリーゼを大切に扱っているような素振りを見せておいて、その源流は愛ではないかもしれない。ただ、メルフェリーゼをここに縛りつけておくためだけの優しさに、心が疲弊している。
アウストルに「愛している」と言われたら満足なのか。メルフェリーゼは自分の心さえも分からずに、黙って涙を流した。
「結婚してからお前に触れなかったのは、俺が兄とは……マーリンドとは違う人間だと証明したかったからだ」
予想もしていなかった言葉に、メルフェリーゼの涙も止まる。なぜここで、マーリンドの名前が出てくるのか。
メルフェリーゼの戸惑いを感じ取ったアウストルが自嘲気味に笑う。
「こんなことを言っても、お前には伝わらないかもしれないな」
「どうして、マーリンド様が関わってくるのですか……」
アウストルがメルフェリーゼを抱いていた腕をゆるめ、ため息をつく。
涙声のメルフェリーゼの頭を撫で、うなじに顔を埋める。
「覚えているか、はじめて会った時のこと」
「はじめて? 結婚式の時のことですか?」
「いや、もっと前のことだ」
うなじにアウストルの息がかかり、くすぐったい。
アウストルは顔を埋めたまま、呟いた。
「あれは俺が二十四歳の時……お前がまだ十歳で、貧民窟にいた時のことだ――」
アウストルは片時も、メルフェリーゼを離さなかった。食事の時は膝の間に座らせ、眠る時はメルフェリーゼを後ろから抱きすくめて眠り、湯浴みの時はあいかわらず甲斐甲斐しくメルフェリーゼの全身を洗い、髪を丁寧に梳いた。
彼が唯一、メルフェリーゼを解放するのは自身が湯浴みをする時と着替えをする時だけだった。メルフェリーゼには自分の前で服を脱がせるくせに、アウストルは彼女の前では決して服を脱いだり、着替えをすることはなかった。
解放といっても、自由にできるわけではない。一度、アウストルが湯浴みをしている間に外へ出て、庭を見に行ったことがある。様々なハーブが植えられている庭はきちんと手入れがされており、降り注ぐ日光も気持ちよくてすっかりメルフェリーゼのお気に入りの場所になった。
しかし、安寧の時間は長くは続かなかった。メルフェリーゼが屋敷の中にいないと気づいたアウストルが、髪の毛から湯を滴らせながら庭に裸足で飛び出してきたのである。メルフェリーゼを一目見るなり、彼は猛然と彼女を屋敷の中へ連れ帰り、葉で手を切ったりしていないか、蛇に噛まれなかったか、と安全を確かめるまでメルフェリーゼを解放しなかった。
そんなことがあって以来、メルフェリーゼはアウストルが湯浴みや着替えで姿を見せない時でも、大人しく浴室や寝室の前で待っているようになった。また半乱狂になって自分を捜されたら困る。
それに近頃のアウストルはメルフェリーゼのこととなると自制がきかないようでもある。夕食時にメルフェリーゼがぽつりと言った「羊肉のスープが食べたい」の一言で、屋敷を飛び出し、羊を丸々一頭買い込んでくるようなこともあった。
メルフェリーゼの寝室にはアウストルから贈られたドレスや宝飾品が溢れんばかりに詰め込まれ、アウストルが所用で屋敷を空ける前日には決まって勝手に屋敷を出て行かないことを約束させられるのだった。
「最近のアウストル様は、おかしいです」
ある夕食時、メルフェリーゼはついに口にした。
後ろからにゅっと手が伸びてきて、パンを取ろうと伸ばしていた手を絡め取られる。
「どんな風におかしい」
後ろを振り返って、アウストルの表情を確認することは怖くてできない。穏やかな声色からは、どんな感情も読み取ることができない。
メルフェリーゼは取られた手にアウストルの熱い体温を感じながら、言葉を選ぶ。
「ここに来てからのアウストル様の行動は、心変わりをして私を愛そうとしているのではなく、すべて私の監視が目的ですよね?」
「なぜそんなことをする必要がある」
これがアウストルの愛であるなんて思えるほど、メルフェリーゼの頭はめでたくない。
愛でないなら答えはひとつだけ。
「アウストル様は、私のしたことがいつか世間へ知れ渡ることを恐れているのではありませんか。私は王子妃でありながら王族である夫を殺し、庶民の男と駆け落ちした身です。たとえアウストル様や私が亡くなったとしても、このことが世間へ知られたら王族の顔に泥を塗ることでしょう」
握られた手にわずかに力が込められたが、アウストルはなにも言わない。自分の考えが正しいのだと思って、メルフェリーゼは続ける。
「だから私をこの屋敷に幽閉することにした。誰にも知られないように、贅と手を尽くし、私がここから逃げる気も起きないようにして――」
「心外だな」
後ろから回された腕が、きつくメルフェリーゼの身体を抱きしめる。骨が軋むような痛みに呻く。
「お前を愛していないと言ったことなど、一度もないはずだが」
「ならば、なぜ……!」
メルフェリーゼはアウストルの腕を振り解こうともがき、それが無理と分かると叩きつけるように叫ぶ。
「なぜ結婚してからの二年、私に触れてくださらなかったのですか! なぜ冷たい態度ばかり取って私を遠ざけていたのですか! 私がアウストル様の行いでどれほど傷ついたか、周りの夫人方になにを言われていたのか、アウストル様は知りたいとも思わないのでしょう……!」
メルフェリーゼはすべてをぶちまけてから、唇を噛む。じんわりと浮かんできた涙を無理やり飲み下す。また、あの時のように冷たくあしらわれるのが怖かった。口ではなんとでも言える。いくらアウストルがメルフェリーゼに愛していると言っても、行動が伴っていなければそれはただのまやかしだ。
今のアウストルは違う。メルフェリーゼを大切に扱っているような素振りを見せておいて、その源流は愛ではないかもしれない。ただ、メルフェリーゼをここに縛りつけておくためだけの優しさに、心が疲弊している。
アウストルに「愛している」と言われたら満足なのか。メルフェリーゼは自分の心さえも分からずに、黙って涙を流した。
「結婚してからお前に触れなかったのは、俺が兄とは……マーリンドとは違う人間だと証明したかったからだ」
予想もしていなかった言葉に、メルフェリーゼの涙も止まる。なぜここで、マーリンドの名前が出てくるのか。
メルフェリーゼの戸惑いを感じ取ったアウストルが自嘲気味に笑う。
「こんなことを言っても、お前には伝わらないかもしれないな」
「どうして、マーリンド様が関わってくるのですか……」
アウストルがメルフェリーゼを抱いていた腕をゆるめ、ため息をつく。
涙声のメルフェリーゼの頭を撫で、うなじに顔を埋める。
「覚えているか、はじめて会った時のこと」
「はじめて? 結婚式の時のことですか?」
「いや、もっと前のことだ」
うなじにアウストルの息がかかり、くすぐったい。
アウストルは顔を埋めたまま、呟いた。
「あれは俺が二十四歳の時……お前がまだ十歳で、貧民窟にいた時のことだ――」
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