24 / 39
5章(3)
しおりを挟む
侍女を屋敷に入れないというのも、アウストルがメルフェリーゼのすべての世話をすると言ったのも本当のことだったのだと気づいたのは、メルフェリーゼが屋敷に来てから五日が経った頃だった。
アウストルは片時も、メルフェリーゼを離さなかった。食事の時は膝の間に座らせ、眠る時はメルフェリーゼを後ろから抱きすくめて眠り、湯浴みの時はあいかわらず甲斐甲斐しくメルフェリーゼの全身を洗い、髪を丁寧に梳いた。
彼が唯一、メルフェリーゼを解放するのは自身が湯浴みをする時と着替えをする時だけだった。メルフェリーゼには自分の前で服を脱がせるくせに、アウストルは彼女の前では決して服を脱いだり、着替えをすることはなかった。
解放といっても、自由にできるわけではない。一度、アウストルが湯浴みをしている間に外へ出て、庭を見に行ったことがある。様々なハーブが植えられている庭はきちんと手入れがされており、降り注ぐ日光も気持ちよくてすっかりメルフェリーゼのお気に入りの場所になった。
しかし、安寧の時間は長くは続かなかった。メルフェリーゼが屋敷の中にいないと気づいたアウストルが、髪の毛から湯を滴らせながら庭に裸足で飛び出してきたのである。メルフェリーゼを一目見るなり、彼は猛然と彼女を屋敷の中へ連れ帰り、葉で手を切ったりしていないか、蛇に噛まれなかったか、と安全を確かめるまでメルフェリーゼを解放しなかった。
そんなことがあって以来、メルフェリーゼはアウストルが湯浴みや着替えで姿を見せない時でも、大人しく浴室や寝室の前で待っているようになった。また半乱狂になって自分を捜されたら困る。
それに近頃のアウストルはメルフェリーゼのこととなると自制がきかないようでもある。夕食時にメルフェリーゼがぽつりと言った「羊肉のスープが食べたい」の一言で、屋敷を飛び出し、羊を丸々一頭買い込んでくるようなこともあった。
メルフェリーゼの寝室にはアウストルから贈られたドレスや宝飾品が溢れんばかりに詰め込まれ、アウストルが所用で屋敷を空ける前日には決まって勝手に屋敷を出て行かないことを約束させられるのだった。
「最近のアウストル様は、おかしいです」
ある夕食時、メルフェリーゼはついに口にした。
後ろからにゅっと手が伸びてきて、パンを取ろうと伸ばしていた手を絡め取られる。
「どんな風におかしい」
後ろを振り返って、アウストルの表情を確認することは怖くてできない。穏やかな声色からは、どんな感情も読み取ることができない。
メルフェリーゼは取られた手にアウストルの熱い体温を感じながら、言葉を選ぶ。
「ここに来てからのアウストル様の行動は、心変わりをして私を愛そうとしているのではなく、すべて私の監視が目的ですよね?」
「なぜそんなことをする必要がある」
これがアウストルの愛であるなんて思えるほど、メルフェリーゼの頭はめでたくない。
愛でないなら答えはひとつだけ。
「アウストル様は、私のしたことがいつか世間へ知れ渡ることを恐れているのではありませんか。私は王子妃でありながら王族である夫を殺し、庶民の男と駆け落ちした身です。たとえアウストル様や私が亡くなったとしても、このことが世間へ知られたら王族の顔に泥を塗ることでしょう」
握られた手にわずかに力が込められたが、アウストルはなにも言わない。自分の考えが正しいのだと思って、メルフェリーゼは続ける。
「だから私をこの屋敷に幽閉することにした。誰にも知られないように、贅と手を尽くし、私がここから逃げる気も起きないようにして――」
「心外だな」
後ろから回された腕が、きつくメルフェリーゼの身体を抱きしめる。骨が軋むような痛みに呻く。
「お前を愛していないと言ったことなど、一度もないはずだが」
「ならば、なぜ……!」
メルフェリーゼはアウストルの腕を振り解こうともがき、それが無理と分かると叩きつけるように叫ぶ。
「なぜ結婚してからの二年、私に触れてくださらなかったのですか! なぜ冷たい態度ばかり取って私を遠ざけていたのですか! 私がアウストル様の行いでどれほど傷ついたか、周りの夫人方になにを言われていたのか、アウストル様は知りたいとも思わないのでしょう……!」
メルフェリーゼはすべてをぶちまけてから、唇を噛む。じんわりと浮かんできた涙を無理やり飲み下す。また、あの時のように冷たくあしらわれるのが怖かった。口ではなんとでも言える。いくらアウストルがメルフェリーゼに愛していると言っても、行動が伴っていなければそれはただのまやかしだ。
今のアウストルは違う。メルフェリーゼを大切に扱っているような素振りを見せておいて、その源流は愛ではないかもしれない。ただ、メルフェリーゼをここに縛りつけておくためだけの優しさに、心が疲弊している。
アウストルに「愛している」と言われたら満足なのか。メルフェリーゼは自分の心さえも分からずに、黙って涙を流した。
「結婚してからお前に触れなかったのは、俺が兄とは……マーリンドとは違う人間だと証明したかったからだ」
予想もしていなかった言葉に、メルフェリーゼの涙も止まる。なぜここで、マーリンドの名前が出てくるのか。
メルフェリーゼの戸惑いを感じ取ったアウストルが自嘲気味に笑う。
「こんなことを言っても、お前には伝わらないかもしれないな」
「どうして、マーリンド様が関わってくるのですか……」
アウストルがメルフェリーゼを抱いていた腕をゆるめ、ため息をつく。
涙声のメルフェリーゼの頭を撫で、うなじに顔を埋める。
「覚えているか、はじめて会った時のこと」
「はじめて? 結婚式の時のことですか?」
「いや、もっと前のことだ」
うなじにアウストルの息がかかり、くすぐったい。
アウストルは顔を埋めたまま、呟いた。
「あれは俺が二十四歳の時……お前がまだ十歳で、貧民窟にいた時のことだ――」
アウストルは片時も、メルフェリーゼを離さなかった。食事の時は膝の間に座らせ、眠る時はメルフェリーゼを後ろから抱きすくめて眠り、湯浴みの時はあいかわらず甲斐甲斐しくメルフェリーゼの全身を洗い、髪を丁寧に梳いた。
彼が唯一、メルフェリーゼを解放するのは自身が湯浴みをする時と着替えをする時だけだった。メルフェリーゼには自分の前で服を脱がせるくせに、アウストルは彼女の前では決して服を脱いだり、着替えをすることはなかった。
解放といっても、自由にできるわけではない。一度、アウストルが湯浴みをしている間に外へ出て、庭を見に行ったことがある。様々なハーブが植えられている庭はきちんと手入れがされており、降り注ぐ日光も気持ちよくてすっかりメルフェリーゼのお気に入りの場所になった。
しかし、安寧の時間は長くは続かなかった。メルフェリーゼが屋敷の中にいないと気づいたアウストルが、髪の毛から湯を滴らせながら庭に裸足で飛び出してきたのである。メルフェリーゼを一目見るなり、彼は猛然と彼女を屋敷の中へ連れ帰り、葉で手を切ったりしていないか、蛇に噛まれなかったか、と安全を確かめるまでメルフェリーゼを解放しなかった。
そんなことがあって以来、メルフェリーゼはアウストルが湯浴みや着替えで姿を見せない時でも、大人しく浴室や寝室の前で待っているようになった。また半乱狂になって自分を捜されたら困る。
それに近頃のアウストルはメルフェリーゼのこととなると自制がきかないようでもある。夕食時にメルフェリーゼがぽつりと言った「羊肉のスープが食べたい」の一言で、屋敷を飛び出し、羊を丸々一頭買い込んでくるようなこともあった。
メルフェリーゼの寝室にはアウストルから贈られたドレスや宝飾品が溢れんばかりに詰め込まれ、アウストルが所用で屋敷を空ける前日には決まって勝手に屋敷を出て行かないことを約束させられるのだった。
「最近のアウストル様は、おかしいです」
ある夕食時、メルフェリーゼはついに口にした。
後ろからにゅっと手が伸びてきて、パンを取ろうと伸ばしていた手を絡め取られる。
「どんな風におかしい」
後ろを振り返って、アウストルの表情を確認することは怖くてできない。穏やかな声色からは、どんな感情も読み取ることができない。
メルフェリーゼは取られた手にアウストルの熱い体温を感じながら、言葉を選ぶ。
「ここに来てからのアウストル様の行動は、心変わりをして私を愛そうとしているのではなく、すべて私の監視が目的ですよね?」
「なぜそんなことをする必要がある」
これがアウストルの愛であるなんて思えるほど、メルフェリーゼの頭はめでたくない。
愛でないなら答えはひとつだけ。
「アウストル様は、私のしたことがいつか世間へ知れ渡ることを恐れているのではありませんか。私は王子妃でありながら王族である夫を殺し、庶民の男と駆け落ちした身です。たとえアウストル様や私が亡くなったとしても、このことが世間へ知られたら王族の顔に泥を塗ることでしょう」
握られた手にわずかに力が込められたが、アウストルはなにも言わない。自分の考えが正しいのだと思って、メルフェリーゼは続ける。
「だから私をこの屋敷に幽閉することにした。誰にも知られないように、贅と手を尽くし、私がここから逃げる気も起きないようにして――」
「心外だな」
後ろから回された腕が、きつくメルフェリーゼの身体を抱きしめる。骨が軋むような痛みに呻く。
「お前を愛していないと言ったことなど、一度もないはずだが」
「ならば、なぜ……!」
メルフェリーゼはアウストルの腕を振り解こうともがき、それが無理と分かると叩きつけるように叫ぶ。
「なぜ結婚してからの二年、私に触れてくださらなかったのですか! なぜ冷たい態度ばかり取って私を遠ざけていたのですか! 私がアウストル様の行いでどれほど傷ついたか、周りの夫人方になにを言われていたのか、アウストル様は知りたいとも思わないのでしょう……!」
メルフェリーゼはすべてをぶちまけてから、唇を噛む。じんわりと浮かんできた涙を無理やり飲み下す。また、あの時のように冷たくあしらわれるのが怖かった。口ではなんとでも言える。いくらアウストルがメルフェリーゼに愛していると言っても、行動が伴っていなければそれはただのまやかしだ。
今のアウストルは違う。メルフェリーゼを大切に扱っているような素振りを見せておいて、その源流は愛ではないかもしれない。ただ、メルフェリーゼをここに縛りつけておくためだけの優しさに、心が疲弊している。
アウストルに「愛している」と言われたら満足なのか。メルフェリーゼは自分の心さえも分からずに、黙って涙を流した。
「結婚してからお前に触れなかったのは、俺が兄とは……マーリンドとは違う人間だと証明したかったからだ」
予想もしていなかった言葉に、メルフェリーゼの涙も止まる。なぜここで、マーリンドの名前が出てくるのか。
メルフェリーゼの戸惑いを感じ取ったアウストルが自嘲気味に笑う。
「こんなことを言っても、お前には伝わらないかもしれないな」
「どうして、マーリンド様が関わってくるのですか……」
アウストルがメルフェリーゼを抱いていた腕をゆるめ、ため息をつく。
涙声のメルフェリーゼの頭を撫で、うなじに顔を埋める。
「覚えているか、はじめて会った時のこと」
「はじめて? 結婚式の時のことですか?」
「いや、もっと前のことだ」
うなじにアウストルの息がかかり、くすぐったい。
アウストルは顔を埋めたまま、呟いた。
「あれは俺が二十四歳の時……お前がまだ十歳で、貧民窟にいた時のことだ――」
6
お気に入りに追加
249
あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
貴方だけが私に優しくしてくれた
バンブー竹田
恋愛
人質として隣国の皇帝に嫁がされた王女フィリアは宮殿の端っこの部屋をあてがわれ、お飾りの側妃として空虚な日々をやり過ごすことになった。
そんなフィリアを気遣い、優しくしてくれたのは年下の少年騎士アベルだけだった。
いつの間にかアベルに想いを寄せるようになっていくフィリア。
しかし、ある時、皇帝とアベルの会話を漏れ聞いたフィリアはアベルの優しさの裏の真実を知ってしまってーーー
【完】嫁き遅れの伯爵令嬢は逃げられ公爵に熱愛される
えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
リリエラは母を亡くし弟の養育や領地の執務の手伝いをしていて貴族令嬢としての適齢期をやや逃してしまっていた。ところが弟の成人と婚約を機に家を追い出されることになり、住み込みの働き口を探していたところ教会のシスターから公爵との契約婚を勧められた。
お相手は公爵家当主となったばかりで、さらに彼は婚約者に立て続けに逃げられるといういわくつきの物件だったのだ。
少し辛辣なところがあるもののお人好しでお節介なリリエラに公爵も心惹かれていて……。
22.4.7女性向けホットランキングに入っておりました。ありがとうございます 22.4.9.9位,4.10.5位,4.11.3位,4.12.2位
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる