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21.水分補給

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 珠奈は先ほど手に入れた奴隷と共に路地裏から大通りへと戻ってきた。
 大通りは相変わらず買い物客で中々に賑わっている。

 ボロボロの奴隷を連れていたら目立つかと思ったが特にそのような事はなく、人々にはそんな奴隷など目に入っていないかのようであった。


(さて、どうしようかな)


 流れでうっかり奴隷を手に入れてしまった珠奈は大変悩んでいた。
 今現在アラン以外の人手を必要としていないし、お財布事情が厳しいため新入りに余分なお金を割くのも惜しい。

 珠奈は頭を悩ませつつ、後ろをついて来るボロボロの男性に目を向ける。

(とりあえずまずは怪我の治療かな。このままの身体じゃ何も出来ないもの)

 服から出ている部分だけでもかなり痛々しい傷が見える。きっと、服の下にもいくつもの怪我が隠れていることだろう。
 治療するとなると病院へ連れて行くのが最善だ。しかし、今の珠奈では病院で彼に治療を受けさせてあげる事が難しい。
 国民健康保険もなさそうなこの世界では、治療費が一体いくらになるのか全く見当が付かないためだ。

 ただ、幸いな事に珠奈がアランのために買った傷薬の軟膏が手付かずの状態で残っている。
 このような物では病院で受ける治療には遠く及ばないが、何もしないよりかは幾分かマシだろう。

(私が引き取ったんだから最低限の責任は持たなきゃ。部屋に連れて帰って傷薬塗って少し休ませよう)

 宿屋の部屋に連れて行くことを決めると、後ろを振り返って彼の様子を確認する。

「あの、身体は大丈夫ですか?もう少し歩けますか?」
「……」

(これはダメそうかも……)

 珠奈の問いかけに弱々しく頷きはしたが、その様子は明らかに限界寸前だ。彼は今かなり無理をして歩いているのだろう。

 今いる場所から宿屋までは少し距離がある。
 無理にでも歩かせて早く部屋で休ませる事も考えたが、万が一途中で倒れでもしたら珠奈には対処出来なくなってしまう。


 悩んだ末、少しだけ休ませてから宿屋へ向かう事に決める。

「少し休みましょう。ここに座っていてください」

 大通りから一本逸れた道に入ると、乱雑に置かれた木箱の上に座るようにと伝える。
 野晒しのため少々汚れているが、彼の服も薄汚れているので気にしなくても構わないだろう。

 珠奈は彼が座ったのを確認すると、その手に銀色に光る何かを握らせた。

「これはあなたが持っていてくださいね。もし、逃げたいのならお好きにどうぞ。私は何か飲み物を買ってきますので」

 彼に渡したのは彼自身の認識票だ。
 奴隷と主人を結ぶために必要なそれに主人の登録をしなければ、実質奴隷は自由である。

 珠奈にはアラン以外の人は必要ないのだから、彼自身に持たせておくべきだろう。
 座っている彼にくるりと背を向けると、飲み物を売っている店まで早足で向かった。



 肌寒いこの時期であれば、何か温かい飲み物が欲しくなるところであるが、残念ながらこの辺りには冷たい飲み物しかない。それも酒か水の二択だ。
 瓶詰めにされた水を選ぶと支払いを済ませて、元の場所へと戻るために歩き出す。

(彼、多分逃げてるだろうね。奴隷が自由になる機会なんてそうそうないもの。多少無理をすれば歩けるみたいだし、私が追わなければ彼は自由の身になる)

 逃げたとしても当然ながら主人がいないというだけで、奴隷という彼の身分がなくなる訳ではない。
 首輪も外せないし、真っ当な仕事に就くことも難しい。

 しかし、そうであったとしても自由になりたい奴隷は多いと聞く。
 それだけ主人や世間から不当な扱いを受けているという事だろう。


 帰り道は努めてゆっくりと歩く。万が一、逃げる途中の彼と出会してしまったらお互い困るためである。
 行きの倍以上の時間を掛けて戻ってくれば、そこには先ほどと全く変わらない姿勢で項垂れた彼が座っていた。

「えっ!逃げなかったんですか?」

 もしや逃げれないほどに具合が悪いのか、と慌てて駆け寄れば、長めの前髪の隙間から覗く瞳と目が合った。


(何だろう?とっても不思議な色……)


 今まで見た事のないその不思議な瞳に、珠奈は引き込まれてしまった。
 一見するとなんの変哲もないただの茶色の瞳であるのだが、その奥には若葉が芽吹くような瑞々しい色合いを感じたのだ。

 茶色の髪に茶色の瞳という良くある組み合わせであるはずなのに、珠奈の目には大層特別なものに見えた。
 見えないその色をもっと良く見ようと、じっと彼の瞳の奥を見つめる。

「………」
「あ、すみません。見過ぎでしたね。えっと、お水買ってきたのですが飲めますか?」

 珠奈が手にしている瓶を見せると、ふるりと首を横に振った。

(んーっと、これは……?)

 飲みたくないという事なのか。それとも、飲みたくても飲めないという事なのか。

 彼の状態から察するに、まともな食事は食べていないだろう。水分だって満足に飲めているか怪しい。
 彼の意思が明確ではない今、彼のためにも多少無理やりにでもこの場を水を飲ませるべきだ、と珠奈は判断した。


「ただの水なので毒はありません。大人しく飲んでくださいね」

 そう言うと、片手で彼の顔を上げさせて、もう片手で水の入った瓶を持ちその口元へと運ぶ。
 気を付けて瓶を傾けたのだが、思いの外勢い良く彼の口へと水が流れていってしまった。


(あ、やばい。失敗した)


 人が飲み込める量を大幅に超えた水は当然口元から溢れ、彼の顔や服を冷たい水でびしょびしょにする。

「んぐ……!けほっ、げほっ…!」
「ああぁぁぁ!ごめんなさいごめんなさい!!」

 苦しそうに咳き込む彼の背中をさすりながら、袖で口元を拭ってやる。
 ハンカチなどという上品な物は、生憎持ち合わせていない。

「ごめんなさい……。決してわざとではないんです。あぁ、ほんとにすみません………」

(ほんっともう何やってんのよ、私……。怪我人を余計に痛め付けてどうするの……)

 珠奈は心の中で盛大にため息を吐く。神に誓ってわざとやった訳ではないが、彼を無駄に苦しめた事実は変わらない。


「水、もう少し、欲しい……」


 急に聞こえてきた少し掠れた声に驚きつつそちらへと顔を向ければ、咳が治まったらしい彼が珠奈のことを見ていた。

 髪の毛に隠れていたためあまり良く見えていなかったが、こうして見るとかなり整った顔をしている。
 どこか女神然としている中性的な顔立ちの美人さんだ。

(わぁ~!めっちゃ美人!隣に並びたくないくらいに美人!!)

 目の前にある美貌に珠奈が目を瞬かせていると、その美貌の主が困ったような弱々しい笑顔を浮かべた。

「……っ!えっと、お水でしたね!」
「…飲ませて、いただけますか?」
「もちろんです!」

 快諾はしたものの、どうやって飲ませればいいのか頭を悩ませる。
 先ほどと同じようにする事も考えたが、また惨事を起こしてしまう可能性が非常に高い。


「少しだけ我慢してくださいね」


 そう断りを入れてから、珠奈は水の入った瓶を自らの口元へと傾けた。
 そのまま水を口に含むと飲み込まず、彼の口に指を軽く差し込み開かせて直接流し込む。

「ん……ふっ……」

 彼は驚いたように目を見開いたが、すぐに珠奈のその行為を受け入れた。
 彼がなされるがまま水をコクリと嚥下すれば、珠奈の小さな口が離れてゆく。

「はぁ、はぁ……。ちゃんと飲めましたか?本当はストローとかあればいいんですけど……」

 珠奈は彼の口の端から僅かに零れた水を指で拭ってやる。
 少しでも水分を摂れたのならば、身体は多少なりとも楽になるだろう。
 そのまま頑張って宿屋まで行くことが出来れば、後はゆっくり部屋で休んでもらえる。


「……えぇ。おかげさまで、飲めました。……でも、もう一口飲ませて?」
「っ!!」

 艶やかな女神の微笑みを突然投げかけられ、珠奈の心臓はどきりと大きく跳ね上がった。

 後は自分で飲んで欲しいと思っていたのだが、目の前で女神に微笑まれて断れる人などいないだろう。
 珠奈は言われるがまま再び水を口に含むと、女神のような彼に唇を寄せた。
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