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前世の記憶 -フロリアン①-
しおりを挟む10年の時が巻きもどる。そんな、奇跡のような魔法を体験した僕は、初めて10年前の彼女と出会った。
僕とリアが初めて会ったのはリアが12歳の頃だから……。記憶よりも少し幼いリアは、やっぱりとても可愛らしい。
時が戻ったことを心から喜ぶことはできない。それはきっと、僕だけじゃない。みんなそうだ。…禁忌の魔法に手を染めてでも、時を戻したかった理由があるのだから。でも、こんなに可愛いリアとまた仲良くなれるなら…それはそれとして、嬉しいことだと思う。
僕とリアが初めて会った時、既に僕らの婚約は決まっていた。
僕の父は現皇帝の弟で、2人はとても仲が良かった。さらに父は政治や外交面でも皇帝から信頼されているため、公爵の爵位を授かった。そんな、王家に匹敵する権力を持ったウェブスター公爵家でも、まだ公爵家としての日が浅いため元老院や貴族派の家門からの反発は避けられなかった。それを補うために、建国当初から続く由緒あるハルトマン侯爵家の後ろ盾と財力がどうしても必要だった。そこに偶然いたのが、婚約者がいない僕とリア。
僕はその頃16歳で、次期公爵としての教育を受けていたから、家門のために会ったこともない彼女と婚約することもそれほど抵抗はなかった。…いくら彼女の評判が悪くても、その名前さえあればよかったから。
「傲慢で気分屋で馬鹿な悪女をハルトマン侯爵家は恥晒しと呼び、隠している」
これは社交界であまりにも有名な話だった。
現に、12歳だというのにたったの一度も公の場に出たことがない彼女の噂を真に受ける貴族はかなり多かった。
同世代の令嬢の軽いお茶会にも参加せず、令嬢達の情報源となるドレスの仕立て屋とも一切関わりがない彼女はいつしか、噂に尾ひれがついて「口が頬まで裂けている」だとか「屋敷の侍従らですら直視できないほどの醜女」だとか言われるようになっていた。そんな貴族らの話を仕入れた新聞記者が、彼女の姿絵を想像だけで悪魔のように描いた記事は飛ぶように売れたという。
…でもそんなこと、僕にとっては本当に何でもなかった。もし噂通りの傲慢な人物だったなら、別邸を与え使用人をつけて不自由なく勝手に生活してもらえばいい。子供が必要だと言うのなら義務として務めは果たすし、子を蔑ろにするつもりもない。僕の仕事と公爵家の名に恥じないようにいてくれれば、あとはどうでもいい。
そう思って…いや、きっとそう言い聞かせて、僕は彼女の屋敷に出向いた。まだ会ったこともない12歳の少女に怯えていたのは確かだった。
「フロリアン・ウェブスターと申します。この度は僕とご令嬢の婚約を許可して下さりありがとうございます。ハルトマン侯爵とご令嬢にご挨拶に伺いました。」
“厳格”という言葉そのもののような雰囲気を醸し出すハルトマン侯爵に挨拶をした。ハルトマン侯爵はそんな僕を見ながらため息をついて、考え込むようにしばらく黙っていた。
「…………あの子は……」
僕から何か話そうかと考え出した頃、侯爵はぽつりと呟いた。しかし、その言葉の先に続くものはなかった。
「……ガリアナの部屋に案内させる。自由にしてくれて構わない。」
「ご令嬢の部屋…ですか?客間ではなく…?婚約者といえど、婚前の女性の部屋に入るなど…」
思わず聞き返すと、侯爵は苦々しい顔で頷いた。
「あの子は…母親を亡くした後、部屋から出なくなった。私やヘルベルトとは顔も合わせたくないらしく、婚約の承諾もあの子のメイドが代わりに伝えてきた。……ガリアナにとって、婚約はこの家を出られる良い機会なのだろう。」
「そんな…」
ハルトマン侯爵夫人が亡くなったのは、もう8年程前のことだ。そんなにも長い期間部屋から出ないなんてことが有り得るのだろうか。既に10代だったならまだしも、たった4歳の子供が自分の意思で部屋から出ないなんて…。
「…君との婚約は許可したが、私は公爵家の名が欲しいわけでも、王家との繋がりが欲しいわけでもない。……ただ…親として、あの子にしてやれる事がこれしかなかっただけだ。」
ハルトマン家は娘をあえて隠しているわけじゃない。そう分かっただけでも、彼女は噂とは違うのではないかとほんの少しだけ感じた。
「私はメイドからしかあの子の様子を聞いていない。どんな風に成長したのかすら分からない。同じ家に住む血を分けた家族だというのに。…無理に愛してやってほしいとは言わない。愛人をつくるなとも言わない。…だがどうか、せめて公爵夫人として不自由のない生活はおくらせてやってほしい。金銭の援助が必要なら出そう。あの子の使う物は全て私が払ってもいい。だから、あの子が何か公爵家の名を汚すような問題を起こさない限り、故意に傷つけるようなことはしないと約束してほしい。」
「約束しろ」と命令できる状況で、ハルトマン侯爵は僕にあくまでお願いをした。
それほどまでに切実なんだろう。侯爵はご令嬢を愛している。…会いたくないと言われたからその言葉通り何年も会わず放置しておくなんて、そんな愛情は不器用で歪んでいるとは思うけど。
「…分かりました。それに、大丈夫です。僕は僕の妻として、公爵家の重い責任を共にしてくれるご令嬢をわざと傷付けることなんてできません。あと…子ができない場合は別として、愛人を抱えるつもりもありません。僕はそんなに器用な男ではありませんから。」
僕がそう言うと、侯爵の強ばっていた顔が少しだけ和らいだ気がした。
「……そうか。もう他に縁談なんて…と思い許可したが、君で良かったのかもしれないな。…さぁ、あの子に会って行ってくれ。」
「はい。では失礼します。」
執事が扉を開ける。そこで侯爵に呼び止められた。
「……もし時間が許すなら、帰る前にもう一度ここに寄るといい。」
「…是非、そうさせていただきます。」
彼女の様子を僕から聞きたいんだろう。初対面の僕なんかに任せないで、さっさと会いに行けばいいのに。侯爵は案外臆病な面があるのかな。
そうして僕は、彼女に会いに行った。
その頃にはもう、彼女に対する恐怖心なんてすっかり消え去ってしまっていて、むしろ好奇心で気持ちが逸っていた。
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