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序章:異世界にて
第二十五話:森の集落①
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夜も深まった頃、見張りの順番が回ってきたヴィルは、墨で塗りつぶされたかのように黒い森を眺めていた。
ヴィルは寝なくとも死なないのだから、一人でできなくもない。
だが普通に眠気は来るし、何より寝ることが好きであった彼は毎日寝ている。
また、眠れなくなることも恐ろしいと思っていた。食事も睡眠も、生命活動の維持に必要なものだ。それらを必要としないこの体は、いつかどんなに寝ようと頑張っても、眠ることができなくなるのではないか? 味覚も失われるのではないか?
そう考えると、恐ろしくてたまらない。
胡座をかき、ふと空を見上げる。
夜空に散りばめられた星々の瞬きは、そんな恐怖も忘れさせるほどに美しい。
(死んだら地獄に落ちると思ってたのにな……。)
アニメや漫画の主人公は、クズでどうしようもないやつなのに、どうして死んだら地獄に行ないで、異世界転生ハーレムを楽しんでいるのかとくだらないことを考えたこともあった。
この世界にきて、いきなり騎士に滅多斬りにされたり、魔獣に食われたりもして、本当に地獄に落ちたのだと思った。
だが今こうして美しい夜空を見上げていることは、実に感慨深い。
それも全て、
「エリザ……」
彼女のおかげだ。
闇の中で輝く星を見ていると、彼女を思い出さずにはいられない。
(この体は、俺のものじゃない、いつかあの少女に返すべきなんだ)
方法も、この世界についても分からない事ばかりだが、それでもいつか必ず返す。
自分はこの世界で、彼女のおかげで、もう十分に救われた。
だから今度は、
(その恩を返したい)
******
初日から更に五日ほど歩き、ヴィルたちは辺りが一望できる崖の上に抜け出た。
少し離れた場所に、人口百人かそこらの小さな村が見える。
周囲を森と岩山に囲まれ、高低差のある地形に家屋が点在しており、よく澄んだ川が流れている。
平坦な場所には小さな教会や共同の施設がいくつかみられ、さらに住居から離れて、開けた場所には小規模の畑も見えた。
「綺麗なところだな」
「うん。そうだよ」
疲れた様子もなくレイヴンが言うと、柔らかな笑顔でブラトニールが返す。
ヴィルも眼前に広がった景色に思わず息を呑み、疲れも忘れて立ち尽くしていた。
「いこっか……」
そう口にするブラトニールは肩を落とし、気が沈んでいるようだった。
やっと村に帰ってきたというのに、どうして更に気を張っているのだろうと、レイヴンとヴィルは顔を見合わせるも、その答えは村の広場に着くとすぐにわかった。
ゾロゾロと、砂利を踏む足音とともに、ヴィルたちを囲むように住人と思しき人たちが姿を現す。
群衆の中から、誰とも知れぬ男の声が冷たく響く。
「2人? アイツはろくに使いもできねーのか」
不満を含む苛立った声の主を発見しないようにと、足元に視線を落とすブラトニール。
また群衆の中には、その発言を窘めようとする声もあったが、全体として冷たい空気を帯びていた。
一人、意地の悪そうな顔つきの男が前に出て、ブラトニールに詰め寄る。
「たった二人……。しかも一人はお前と同じくらいのガキ。猶予もないからお前に行かせたが、どうやら俺らが馬鹿だったみたいだな」
鼻で笑い、軽蔑した目で睨みつけると、
「所詮は半魔か、穢らわしい」
侮辱の言葉を吐き捨てる。
ブラトニールを送り出して、自分は何もしなかっただろうに、そのくせ彼女の苦労も考えないとは勝手が過ぎる。
だがブラトニールが口にするのは細やかな反論のみ。
「あの、街も大変なようで……。でもこの方達は、とても腕の立つ冒険者なので、心配……いらない、です」
こんな高圧的な男を前にしては、言葉はどうしても尻すぼみになってしまう。
そんな少女の態度に、さらに怒りを露わにした男が吠える。
「何言ってんだガキ! 竜がどんな存在かは、さんざっぱら教えただろ! それを冒険者二人でどうにかできると、本気でそう思ってんのか!」
焦りからくるものか、明らかに冷静さを欠いた発言。冒険者を二人も連れてきたブラトニールは、むしろ褒めて然るべきだろうに。
可哀想に、半魔と呼ばれた少女はそれ以上の反論もせず、ただ涙を浮かべる。
その口元は悔しさに戦慄いてるようだが、しかし初めから分かっていたという、ある種の悟りのような割り切りをしているようにも見えた。
「お前は村のことなんか考えていないんだろう! バケモノ風情が、人間の真似事なんかしてるんじゃねえ!」
それは、理解できない存在への忌避だったのだろう。
竜の脅威に晒されて、冷静でいられなくなるのは分かる。この世界に、種族の壁があることも理解できる。
しかし、ヴィルの前にいる少女は、それでも「みんなのために」と言ったのだ。
幼い身で自分の立場を理解して、なお歩み寄ろうと奮闘した彼女が理不尽に叱責される様に、ヴィルの顔が強張る。
ムカついたのだ、目の前の状況に。テレビやネットで見かける理不尽な出来事。それらを見るとき人々は少なからず苛立ちを覚えるだろう。自分に力があれば、助けることができたかも知れない。自分だったら、こんな理不尽を打ち壊してやる、と。画面の前で、安っぽい正義感に拳を握り、数分後には忘れる。
今のヴィルの抱いている感情も、似たようなものだ。ヴィルは感情移入できるほど共感能力に長けてはいない。ましてブラトニールとは先日あったばかりだ。
――だからこれは自分のため……。
泣いている少女のためなどと、自分の行いを美化するつもりはない。
それは甚だ気持ちが悪い。
ただ自分のためにと言い聞かせて、罵声を浴びせる男へ歩き出す。
「待てヴィル……」
眉を顰めて聞いていたレイヴンが咄嗟に制止するも、ヴィルの耳には届かない。
「あぁ? なんだガキ……」
振り返った男は、ヴィルの顔を見ると怯んで退く。
殺意とも呼べる怒りを宿した紅の瞳は、或いは竜よりも恐ろしい……。
ヴィルは寝なくとも死なないのだから、一人でできなくもない。
だが普通に眠気は来るし、何より寝ることが好きであった彼は毎日寝ている。
また、眠れなくなることも恐ろしいと思っていた。食事も睡眠も、生命活動の維持に必要なものだ。それらを必要としないこの体は、いつかどんなに寝ようと頑張っても、眠ることができなくなるのではないか? 味覚も失われるのではないか?
そう考えると、恐ろしくてたまらない。
胡座をかき、ふと空を見上げる。
夜空に散りばめられた星々の瞬きは、そんな恐怖も忘れさせるほどに美しい。
(死んだら地獄に落ちると思ってたのにな……。)
アニメや漫画の主人公は、クズでどうしようもないやつなのに、どうして死んだら地獄に行ないで、異世界転生ハーレムを楽しんでいるのかとくだらないことを考えたこともあった。
この世界にきて、いきなり騎士に滅多斬りにされたり、魔獣に食われたりもして、本当に地獄に落ちたのだと思った。
だが今こうして美しい夜空を見上げていることは、実に感慨深い。
それも全て、
「エリザ……」
彼女のおかげだ。
闇の中で輝く星を見ていると、彼女を思い出さずにはいられない。
(この体は、俺のものじゃない、いつかあの少女に返すべきなんだ)
方法も、この世界についても分からない事ばかりだが、それでもいつか必ず返す。
自分はこの世界で、彼女のおかげで、もう十分に救われた。
だから今度は、
(その恩を返したい)
******
初日から更に五日ほど歩き、ヴィルたちは辺りが一望できる崖の上に抜け出た。
少し離れた場所に、人口百人かそこらの小さな村が見える。
周囲を森と岩山に囲まれ、高低差のある地形に家屋が点在しており、よく澄んだ川が流れている。
平坦な場所には小さな教会や共同の施設がいくつかみられ、さらに住居から離れて、開けた場所には小規模の畑も見えた。
「綺麗なところだな」
「うん。そうだよ」
疲れた様子もなくレイヴンが言うと、柔らかな笑顔でブラトニールが返す。
ヴィルも眼前に広がった景色に思わず息を呑み、疲れも忘れて立ち尽くしていた。
「いこっか……」
そう口にするブラトニールは肩を落とし、気が沈んでいるようだった。
やっと村に帰ってきたというのに、どうして更に気を張っているのだろうと、レイヴンとヴィルは顔を見合わせるも、その答えは村の広場に着くとすぐにわかった。
ゾロゾロと、砂利を踏む足音とともに、ヴィルたちを囲むように住人と思しき人たちが姿を現す。
群衆の中から、誰とも知れぬ男の声が冷たく響く。
「2人? アイツはろくに使いもできねーのか」
不満を含む苛立った声の主を発見しないようにと、足元に視線を落とすブラトニール。
また群衆の中には、その発言を窘めようとする声もあったが、全体として冷たい空気を帯びていた。
一人、意地の悪そうな顔つきの男が前に出て、ブラトニールに詰め寄る。
「たった二人……。しかも一人はお前と同じくらいのガキ。猶予もないからお前に行かせたが、どうやら俺らが馬鹿だったみたいだな」
鼻で笑い、軽蔑した目で睨みつけると、
「所詮は半魔か、穢らわしい」
侮辱の言葉を吐き捨てる。
ブラトニールを送り出して、自分は何もしなかっただろうに、そのくせ彼女の苦労も考えないとは勝手が過ぎる。
だがブラトニールが口にするのは細やかな反論のみ。
「あの、街も大変なようで……。でもこの方達は、とても腕の立つ冒険者なので、心配……いらない、です」
こんな高圧的な男を前にしては、言葉はどうしても尻すぼみになってしまう。
そんな少女の態度に、さらに怒りを露わにした男が吠える。
「何言ってんだガキ! 竜がどんな存在かは、さんざっぱら教えただろ! それを冒険者二人でどうにかできると、本気でそう思ってんのか!」
焦りからくるものか、明らかに冷静さを欠いた発言。冒険者を二人も連れてきたブラトニールは、むしろ褒めて然るべきだろうに。
可哀想に、半魔と呼ばれた少女はそれ以上の反論もせず、ただ涙を浮かべる。
その口元は悔しさに戦慄いてるようだが、しかし初めから分かっていたという、ある種の悟りのような割り切りをしているようにも見えた。
「お前は村のことなんか考えていないんだろう! バケモノ風情が、人間の真似事なんかしてるんじゃねえ!」
それは、理解できない存在への忌避だったのだろう。
竜の脅威に晒されて、冷静でいられなくなるのは分かる。この世界に、種族の壁があることも理解できる。
しかし、ヴィルの前にいる少女は、それでも「みんなのために」と言ったのだ。
幼い身で自分の立場を理解して、なお歩み寄ろうと奮闘した彼女が理不尽に叱責される様に、ヴィルの顔が強張る。
ムカついたのだ、目の前の状況に。テレビやネットで見かける理不尽な出来事。それらを見るとき人々は少なからず苛立ちを覚えるだろう。自分に力があれば、助けることができたかも知れない。自分だったら、こんな理不尽を打ち壊してやる、と。画面の前で、安っぽい正義感に拳を握り、数分後には忘れる。
今のヴィルの抱いている感情も、似たようなものだ。ヴィルは感情移入できるほど共感能力に長けてはいない。ましてブラトニールとは先日あったばかりだ。
――だからこれは自分のため……。
泣いている少女のためなどと、自分の行いを美化するつもりはない。
それは甚だ気持ちが悪い。
ただ自分のためにと言い聞かせて、罵声を浴びせる男へ歩き出す。
「待てヴィル……」
眉を顰めて聞いていたレイヴンが咄嗟に制止するも、ヴィルの耳には届かない。
「あぁ? なんだガキ……」
振り返った男は、ヴィルの顔を見ると怯んで退く。
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