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序章:異世界にて

第十五話:荒くれ者には縁がある!!!

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「ああ、そういえばいたなぁ」

 泥水に転がるレイヴンの先を見て、やっとヴィルの存在を思い出した男は、また悪辣な考えを巡らせて卑しい笑みを浮かべる。

 ああ、それはきっと面白いだろう。 
 この英雄気取りの無力な人間が、どんな顔をして泣き喚くのか、想像しただけで全身の血液が沸騰して頭が痒くなる。

「よく聞けよ英雄、お前を先に殺してやる。そのあとは……どうなると思う?」

 言葉も発せず死息をしているだけのレイヴンの髪を掴み、それでもよく聞こえるように耳元に顔を近づける。

「おまえ、さぞかしこのガキを可愛がってたなあ……。おまえを殺しても、このガキは殺さないでやる。その代わり……」

 レイヴンの反応をじっくり観察し、朦朧としたその瞳に僅かに灯る殺意をみつけると、男は一番の笑顔を見せ、

「おまえが死んだ後は、このガキは俺が一生大事に可愛がってやる。お前は何もできず、指を咥えて、爪を噛んで、怒りに歯を軋ませながらッ! あの世でこのガキが苦しむ姿を眺めているんだな。あっははは、はっ、はは……。はあ、ようやく、頭痛が止んだ……」

 死の間際に最大限の後悔と絶望を与えてやろうという、どこまでも低俗で野蛮な思考。
 レイヴンは混濁した意識の中で、頭に響く声の主の、望み通りに絶望していた。
 あの日、シルスの言った通りに穏便に済ませられていれば、ヴィルを冒険者にさせなければ、もっと自分が気を張っていれば……。
 目の前の少女にこんな顔をさせはしなかったのに。
 霞む視界の中でも鮮明に見える紅の瞳には、いつもの明るい輝きはない。
 この少女もまた、自身の弱さと愚かしさを責めているのだ。

 しかしヴィルはこの世界で、すでに二度も絶望を経験している。
 三度目ともなれば、流石にもう見飽きた。
 こんな安い絶望劇は終わりにして、明るい明日を迎える方法を知っているのだ。
 ただ、諦めなければいい、それだけのこと。

(そうだ、ダメだ……。俺のせいでこんな……、俺みたいなクズのために、この人が死ぬのは、それだけは、許されない!!!)

 ヴィルの右手がピクリと動くと、徐々に体に力が戻っていく。あと少し、脇腹の短剣に指が触れる。
 この剣が抜ければ、この下賎な男を……。

 短剣を引くと肉が裂け始め、乱れた呼吸が痛みを増幅させた。
 ジリジリと刀身が体内から引き摺り出され、その切先が姿を見せる頃、レイヴンの頭を割ろうと男がナイフを大きく振りかぶる。

「死ねええぇぇぇーーーー!!!」
 
 振り下ろされた刃は、憎き頭蓋を割らんと一直線に振り下ろされるが……。

 刹那、鋭い金属音が響きわたると、弾かれたナイフが泥濘に落ちる。
 男の視線の先にある茶髪の頭は、未だその忌々しい形を保っていた。
 数秒間、困惑に固まってから、遠くに離れたナイフと、なぜか立ち上がっている少女を見る。

「なっ!? ……お前! なんで動ける!!!」

 状況を理解したが、予期せぬ結果に男は慌て、腰に携えた直剣を抜刀する。
 息を切らし、怒りに染まった紅の少女の手には、脇腹に深く刺したはずの短剣が握られていた。

「……ごめん……レイヴン……」

 ヴィルは背後に横たわるレイヴンに手をかざし、解毒と回復を施す。

「ヴィ……ル……」
「よかった、少しそこで休んでてくれ」

 レイヴンの顔色が良くなったことに安心しながら、視界の隅に映り込むごみに明確な殺意を放つ。
 その殺気に、レイヴンへの恨みなど綺麗にかき消され、ただ自身の死の予感に男の足は震えていた。
 こんなガキに何を怯えているのか、と言い聞かせるも、本能が死を直感してしまっている以上どうしようもない。

「こいよ……」

 激しい雨音の中、小さく、低く呟かれたはずの一言が、はっきりと男の鼓膜を震わせ、頭蓋の内に恐怖を刻む。
 湧き出した脂汗は雨に流されるが、恐怖だけが依然として居座り続ける。 
 相手はただのガキだ。あの竜殺しに守られていただけのガキだ。
 殺せば終わり、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!  

「う……うおぉぉっ!!!」

 恐怖を無理やり誤魔化すように声を絞り出し、魔力を込めた上段からの一撃。
 ガンッ、と鈍い音が響き、その場でヴィルの短剣に弾き返される。
 戻ってきた剣をそのまま肩に担ぐようにして構えをとり、もう一撃。しかし呆気なく弾かれ、剣は宙を舞う。
 ヴィルは泥濘に落下した剣を、足で器用に拾い上げると男に放り返す。

「こいよ」

 男は少女に威圧され剣を拾い再度構える。
 なぜ攻撃してこない? 自分をどうするつもりなのか? 
 理解できない少女の行動に恐怖は増長する。
 剣を弾かれて痛感した実力の差、いつ殺されてもおかしくない状況は、弱い男には耐え難い苦痛だった。

 しかし実のところ、ヴィル自身もこの行動の意味など分かっていなかった。
 いや、本当は分かっている、別に大した意味などない。どうするべきか考える時間がほしいだけだ。
 初めて明確に殺意を抱いた人間を相手に、それでもいざ対峙すると、殺す覚悟など無いことに気がついた。
 レイヴンは彼のその葛藤に気づき、剣を取ろうとするも、まだ体に力が入らない。

「クッソ……、なんなんだ……なんなんだよお前ッ!!!」

 軽々と、迫り来る攻撃を短剣で凌ぎながら、ヴィルは苛立っていた。これが実力の拮抗した死闘であれば、この男を殺す理由にもなったかもしれないのに……。
 目の前の人間は、殺したいほど憎いはずなのに、殺しても文句を言われないような屑なのに、それでも自分は言い訳を求めているのか……。
 もう……わからない……。

「……!?」

 彼はふと違和感に気づき目を見開く。確かに自分は、この男へ殺意を抱いている。
 しかし……、これは全て、自分の殺意なのか……?
 そう考えた瞬間、ヴィルの紅の髪は、目を細めたくなるほど眩い白髪へと変化する。
 同時に彼の意識は深い闇の中に引き込まれ、その闇の中で紅の瞳を見た。
 少女の周囲に落ちる水滴は重力に逆らい、溢れ出す魔力と混ざり合い生み出される幻想的な光景は、見る者の心を奪う。

「ヴィル……なのか?」

 脱力したように呟くレイヴン。
 少女は表情を変えずレイヴンを一瞥すると、立ったまま呆けている男へ視線を向ける。
 その瞳は、今までの宝石のような紅ではなく、深い闇へ続いているように見えた。
 少女が男の胸に手を触れる。
 男には初動も何も見えなかった、目を離すはずもない、音も無く意識から消えていた。
 その手は細く不気味なほど白く、命に触れられている感覚を知る。

「ひぃっ……、ゆ、許してくれっ! もうお前らに関わらない……どうか、見逃してくれ……」

 ガタガタと奥歯を震わせ、恐怖のあまり目から血の涙を流し懇願する。
 そして少女と目があう、その瞳に男の姿は映っていない……。
 直後、男の体は塵となり霧散し、その血は雨に溶けた。
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