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序章:異世界にて

第五話:拾われた

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 早朝、朝露が草木を湿らせた匂いが薄暗い森に漂う。
 少し長い癖毛の茶髪に、茶色の瞳、剣を腰に携えた中年の男は、森の香りに混じる異臭に気がつく。
 ゆったりとした足取りで、あくびをしながら、匂いの元まで歩いていく。
 静かな森に、剣が荷物と擦れる金属音がカチャカチャとよく響く。

 木々をかき分け進み、男は異臭の原因を目にした。

「なんだ……こりゃ」

 数秒して足元のぬかるみが、全て血溜まりであることに気づく。
 さらに目の前の物体が、血に塗れた少女と魔獣の死骸であることに気づき、さらに表情が強張る。

「おい……、おい、大丈夫か?」

 男は血まみれの少女の肩を揺すり、息があることを確認するとほっとした。

「ん……。ふあぁ……」

 少女は眠たそうにあくびをして目を擦っている。顔も血で埋もれているので、側から見ると目がどこにあるのかさえわからない。
 少女は自分の姿を見て、血まみれの素っ裸で寝ていたことに気づき、暫し考え込むように顎に手を添える。
 そして目の前の男に気づき、男と目が合う。

「おっさん……。俺の服盗んだな?」

 は? と男の表情に疑問符が浮かび、大量の汗がその額に浮かぶ。
 目の前の少女はなぜか血まみれで寝ている。そして親切心で声をかけた自分は、まだ十四歳くらいであろう少女の服を盗んだと、あらぬ疑いをかけられている。
 情報量が渋滞し、男は固まってしまった。こんな時、冷静に対処できる人間と、そうでない人間がいる。
 この男は明らかに後者であるようだ。

「ん……違うのか?」
「……。ああ、違う! 違うに決まってんだろ! 俺には妻も娘も……」

 少女の問いに、固まっていた男はハッと我に返り全力で否定した。
 なおも怪訝そうな少女だったが、徐々に頭が冴えてきたのか状況を思い出す。

「あ、そういえばこの犬に食われたんだった……。すまんな、おっさん」

 特に悪びれる様子もなく、また大きなあくびをする。
 男は自身の尊厳の危機が去ったことに一息つき、頬を伝う汗を肩で拭う。

「なあ、嬢ちゃん、大丈夫なのか?」

 男は背負っていた荷物を下ろし、中から一枚の毛布を引っ張り出し、少女に差し出す。
 毛布というには暖かそうではない布だが、ギリギリ服代わりにはなりそうな布である。

「ありがとう。見ての通り大丈夫だ」
「見ての通り……? まあ、大丈夫なら良い。街まで一緒にくるかい?」

 少女は布を宙ではためかせると、それで身を包み、男に街まで案内してもらうことにした。

******

 歩きながら少女と男は話をしていた。
 と言っても歩いているのは男の方だけで、少女は男におぶられている。
 男は少女を軽々と運び、足場の悪い森をズンズンと進んでいく。

「嬢ちゃん、名前は?」
「ヴィルトゥス、ヴィルでいいよ」
「そうか、俺はレイヴン、冒険者だ」
「冒険者!?」

 そう聞いてヴィルが興奮気味に身を乗り出すと、レイヴンはバランスを崩し、どうにか落ちつかせる。
 こんな少女が冒険者に興味があると聞いて驚くが、口下手な彼は話題ができたことに安心し、自分のことについて話し始めた。

 話を聞いていると、彼はかなり凄腕の冒険者のようだった。若い頃から竜を討伐して『竜殺し』の異名までついたという。
 各地を周り、人々の生活を脅かす魔物などを駆除してまわっているらしい。
 腰に携えている剣は魔剣で、並の冒険者にはまず扱えないと自慢げだ。
 そんな話にヴィルは、冒険の予感を感じて胸が高鳴り、ルビーのような瞳を輝かせていた。

「そんなに、冒険者に興味があるのか……?」
「ああ、小さい頃からの夢だ。目指すはS級冒険者だ!」

 冒険者とは全男子の夢であるのは言わずもがな。その浪漫に掻き立てられ、小学生の夏休みに田舎の祖父母の家に行き、修行と称し裏山で木刀を振り回していたものだ。まあ、S級という等級があるかは不明だが。

「Sランクか、俺でさえAランク止まりなんだ。Sランクは人間のまま到達できるものではないんだぞ」

 なるほど、Sランクという階級は存在するのか、と一歩夢に近づいた気分で幸せそうな笑顔を見せるヴィル。
 その異様な真剣さに、レイヴンは若干引き気味だ。
 冒険者は危険な職業だ、少女の細腕でやっていけるほど甘い職業ではない。
 
「ところでお前は、なんであそこで寝てたんだ?」
「……」
「いや、色々あったんだな……」

 突然の質問にどう誤魔化そうか考え沈黙が生まれると、レイヴンは聞いては不味ったと悟り、話を終える。
 冒険者間であまり詮索をしないのは常識だが、少女相手につい気になることを聞いてしまったという感じだった。

「この先に川がある。そんな格好で街には入れないからな」

 レイヴンはヴィルに血まみれの姿をなんとかするように伝える。
 ヴィルの姿は、頭からつま先まで、全身組まなく生乾きの血でドロドロだった。 
 確かにこんな姿で街に入れば、レイヴンに迷惑をかけることは目に見えている。
 それにさっきからベトベトで、匂いも気持ち悪かったので早く川に浸かりたい。
 とここで、エリザのアドバイスを思い出す。

(そうか髪色、どうする? 洗ったら染まっててくれないか? なんか魔法で……)

 髪色はレオナ達に見られていた筈だ。ここがどこかわからない以上、髪は染めたほうが良いだろう。
 どうにか髪色を誤魔化すために、使えそうな魔法を思い浮かべるが、そんな使い所の少ない魔法などエリザは知らなかった。
 背中で「ん~」と考え込んでいるヴィルを見て、可笑しな奴だと思い微笑むレイヴン。
 茂みを抜けると段差があり、その下に綺麗な沢が流れていた。

「俺は向こうにいる。なんかあったら呼べ」
「お、おう……。覗くなよ」
「だから違えって」

 結局何もいい案が思いつかないまま来てしまったが、あまり長い時間かけるのも不自然だ。
 近くに使えそうなものが落ちていないかと探すが、あるのは木の枝と落ち葉のみ。
 往生際悪く考えながら腰まで水に浸かると、血が溶け始め、徐々に冷んやりとした水を肌に感じる。

(ん、そういえば……改めて見ると……おお!)

 ここで改めて自分の体が女になっていると実感した。
 転生してから初めての水浴び。だが、なぜかヴィルは興奮しなかった。自分の体だからか、或いは性別が変化したことで、そもそも恋愛対象が変わったのか?
 いやそんなことより、と逸れた思考を戻して考える。

(どうする? そもそも白髪だからって、すぐすぐ捕まることはないだろう。ここは異世界だ、白髪くらいたくさんいるはずだ。いや……。んーああ、もういい、とにかく染まっててくれ!!!)

 思考を巡らせたが、とうとう観念し頭から水に浸かる。
 汚れが落ち、長い髪の毛が水にサラサラと解けていく。
 数十秒潜り、血の色が染み込んでくれていることを願い、ザバっと勢いよく水面から顔を出し空気を吸い込む。
 冷たい川の水は案外気持ちが良く、加えて森で全裸という文明人には縁遠い開放感に、ヴィルは感動を覚えていた。
 水に濡れ、肩にかかる長い髪を手ですくうと。

「……ほんとに染まってる」

 長い白髪は、鮮やかな紅に染まっていた。血で染まったとは思えないが、なんとかなったと平たい胸を撫で下ろす。
 なぜか魔力が減ったような感覚がしたが、それは後で考えることにして、レイヴンに貰ったもう一枚の綺麗な布を羽織る。
 
 レイヴンは少し離れた茂みで退屈そうに待っていた。

「待たせたなおっさん」
「あ……、ああ行くか」

 レイヴンはヴィルの鮮やかな紅の髪に目を見開き、すぐに顔を背けた。

「おっさん、何見とれてんだ?」
「だから、ちげーって」

 ヴィルはレイヴンの表情が今にも泣きそうに見えたので、冗談を言って触れないようにした。

(ふっふっふ。俺ってば、気も使えちゃう完璧美少女……)

 ニート生活から脱却した彼は、随分と久しぶりに気を使い、誇らしげな微笑を浮かべる。
 歩いているうちに陽が差し始め、乾いた髪は風に解けて靡く。
 その後、街道に出た二人は、通りかかった行商人に、街まで乗せてもらうことにした。
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