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序章:異世界にて
第一話:ニートと魔女①
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暗い部屋の中、パソコンのモニターの明かりだけが眩しく光を放ち、中年の男の顔を照らしている。
「チッ! クソつまんねーな……、コンビニ行くか」
くたびれた部屋着のままサンダルを履いて外に出る。
静まり返った夜の住宅街に、肌を刺すような冷たい風が吹き付けると、外に出たことを少し後悔した。
会社を辞めて何年になるだろう、男は考える。あれから毎日、「明日は、明日こそは」と先延ばしにしてきた彼の人生は、すでに詰んでいた。
いや、今からでも頑張れば良いのだろうが、彼自身が諦めてしまっていた。無意にネットに時間を費やす日々、これからもきっと彼は時間を浪費し続けるのだろう……いつか死ぬ、その時まで。
車通りの少ない夜、歩行者信号に従い立ち止まる。社会に必要とされていない俺が、社会のルールは律儀に守ってやってるんだな、といつも通り壊れた頭で意味の分からないことを考える。
「うわっ!?」
突然の強烈な光に視界が真っ白になり、腕で目を覆う。
ドンッと強い衝撃に一瞬で意識が持っていかれる。なにが起きたのか考える暇もなく、彼は血を流して倒れ込んでいた。
死の間際に、歩道に乗り上げたトラックと青に変わる信号の光が見え、薄れゆく意識の中で漸く状況を把握する。
(ああ……死ぬのか)
そう悟った。
しかし腐った彼の脳は今際の際に立たされてなお、この状況に希望を見出していた。
この世にはニートのクズ男と相性最高の乗り物がある。そう……、トラックだ。
(クソみたいな人生だった……来世は美少女にでも生まれ変わりたいぜ……)
最期に思うことがそれかと、中身のない人生に苦笑して、彼は死んだ。
******
ヴァレリア王国・王城の謁見の間に、返り血で顔を汚した白髪の少女が息を切らして立っていた。
紅の瞳には憎悪の炎を宿し、深い影の落ちた玉座を睨みつける。
広大な謁見の間は壮麗な装飾が施され、王国の威厳を示す。そこに月明かりが差し込み、隠されていた玉座を照らす。
玉座に座り、彼女と相対するのは、英雄王、アルデン・レインハートである。
「復讐か……」
王の低い声が、静かな空間に重々しく響き渡る。
「忘れてはいないようだな、あれから200年……お前を殺し、妹を解放する」
向けられた射るような視線にも怯むことなく、少女はそう口にする。
「全ては国のためだ……許せとは言わん、ここで余自らが決着をつけてくれよう」
王は玉座からゆっくりと立ち上がる。
挙手一投足に、少女の頭は全力で危険を知らせる。
立ち姿はまるで岩のように堅固で、蹄鉄のように冷たかった。
王国の全てを象徴する厳かなその姿は、まさに英雄王に相応しい。
「国の……ため? 勝手なこと言わないでよッ!!! それで妹が犠牲になるなんて、間違ってるわ」
なおも怯まず、声を荒げる少女。
彼女の肉体から溢れ出す魔力に、部屋に亀裂が走る。
「…………」
問答は無用。
アルデンは剣を引き抜くと、一足一足、硬い床を踏み締めるように歩み出す。
「なんか言えよ……なぁ? 返せよ、妹を……」
『獄炎』、少女がそう呟くと、体の周りを渦巻いていた魔力の奔流が、赤黒い炎へと変化して少女に従属する。
その禍々しい炎の温度に、空間全体の水分が失われた。
少女は怒りと憎しみを噛み締めると、濁流のような炎を唾棄すべき王へと導く。
炎の通過した石造りの床は溶解。
逃げ場などない広範囲攻撃が王の眼前に迫り、少女は勝利を確信するが……。
「なッ!?」
一閃、アルデンは炎を容易く切り裂いた。
流れた炎は王城に燃え広がる。
少女は続けて炎を放つが、王の歩みは止められない。彼の眼差しは決然としており、その気迫に少女は気圧される。
あらゆる障害を切り裂き、悠然と前進するその姿に、彼女は戦慄し手が震え出す。
妹の仇を前にして、怒りと恐怖の感情がさらに魔力を乱していく。
あと一歩、この機会を二百年待ち続けた。
あの日、妹の魂と力を無情に、卑劣に奪ったこの男を殺す機会。
本当にあと一歩で、妹を解放できるのに……、その一歩の距離が、果てしなく遠い。
必死に魔法を放つも虚しく、王の歩みを阻むことはできない。
「王は強くあらねばならん、一人の民を犠牲にしようとも……国を、多くを守らねばならん。」
その言葉に少女の震えがピタリと止まる。
「は……? ふざけんなよ……」
多くの人を守れるなら、妹はどうなってもいい? 到底理解できない。
そんな世界を認めてはならない、認めない。絶対に。
「ふざッッッけんなぁあああ!!!」
少女が絶叫すると同時に、炎の温度がはね上がる。
腕を天に突き出し、炎はそこで球体をなす。ありったけの魔力を込めた超高温、高密度の火球。
大気が乾燥して唇は裂け、城が溶け始める。
その少女の最期とも呼べる姿は、王の歩みを止めた。
「待っててね、アイラ……」
穏やかに妹の名を口にし、恐怖も躊躇いも全て飲み込んだ様子で、ただ眼前の憎むべき相手を見据える。
「来るがいい。その炎も切り伏せて終わりにしてやる」
「ああ、消えろカス」
放たれた太陽の如き火球がアルデンへ襲いかかり、近づくにつれて身に纏う鎧は熱で変形を始める。
彼は大きく剣を振りかぶり、瞬きもせず集中。
そして振り下ろされた一撃は、火球を切り裂き、掻き消し、その奥の少女までも切り伏せて見せた。
少女の傷は深く、魔力の枯渇した彼女は動くこともできない。傷口から流れ出す鮮血に、己の無力さを嘆く。
(もう……これに賭けるしか……)
少女は最期に一縷の望みをかけて、魂を代償に『秘術』を使用した。
「見事であった」
全身に火傷を負った王は、目の前の少女に敬意の念を抱いていた。
自身の信念に従った事を後悔はしない、間違いだとも考えていないが、妹というただ一人のために戦う少女の意思を侮った事に、己の未熟さを恥じる。
少女の胸に剣を突き立てると、静かに目を瞑る。
剣が心臓を貫くと、少女の瞳から光が失われ、絶命の気配が音もなく彼女を包んだ。
広間は静まり返り、王城を焼き尽くさんと燃え盛っていた炎は消える。
戦いが終わり、王は静かに息を吐く……その瞬間、消えたはずの炎が再び勢いを取り戻す。
がらんどうな少女の瞳に生気が宿り、心臓に刺さった剣を引き抜き、立ち上がる。
少女の傷はたちどころに癒え、さらに膨大な魔力がその身に包む。
理解の及ばない状況に、王は再び短く息を吐くと、
「余の負けか……」
小さく悟ったように言葉を吐いた。
その古傷に覆われた肉体に少女の手が触れる……。
王の体に怨念のような魔力が広がると、彼は爆発するように無数の塵となり、血の雨を降らせた。
広間には少女が一人。
「…………」
悔しさに、血が滴るほど唇を噛み締め、目には今にも溢れそうなほど涙を浮かべている。
「やっと……。これで救えたのかな……?」
力なくその場にへたり込む。炎の熱を肌に感じ、ゆらめく陽炎に霞んでいく視界。
溢れだした涙は止まることを知らず、床に額をつけて奥歯を堅く噛み締め、泣き叫びたい声を押し殺す。
自分が泣いたところで、妹は帰ってこない……。
床に流れる王の血液を横目で眺めても、もう怒りも憎しみも感じなかった。
やり終えたという安堵と、妹を守れなかった過去の自分への後悔が残る小さな胸を、苦しそうに抑えている。
そんな彼女の前に、火の粉とは違う光の球が一つ、穏やかな風に乗るように流れ着く。
その光が、そっと少女の頬に触れたように感じて、少女はハッと勢いよく顔を上げる。
「アイ……ラ!?」
妹の名前を溢れるように口にすると、光はゆっくりとその人物を模り、燃え盛る炎の中で涙に濡れた紅の瞳には、最愛の妹が映る。
息も忘れ目を見開いた少女は、唇を震わせて光へと手を伸ばす。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「ううん……遅くなって、ごめんね……本当に。アイラが苦しんでるの、ずっと、感じていたから……」
「いいの。私のために、いっぱい無理してくれたんだよね。迷惑かけちゃって、ごめん」
そう言って申し訳なさそうに笑う妹に、小さく左右に首を振る少女。
無理をするのは当然だった。たとえどんなに無理をしてでも、妹は救わなければならない。それがあの日、一人だけ生き残ってしまった事への贖罪になるのなら、しかし……。
「結局お姉ちゃんは、あなたを助けて……あげられなかった」
少女は両目いっぱいに涙を浮かべて謝り続ける。
途切れ途切れの言葉には、ひたすらに後悔と無念さが押し固められていた。
「お姉ちゃん……私ね、お姉ちゃんの妹でよかった……。大、好きだよ……。生まれ変わっても……お姉ちゃんの妹に……なれるかな……」
アイラも泣きそうな掠れる声で言葉を紡ぐ。そして彼女の体は、小さな光の粒子となり、崩壊を始める。
その輝きは徐々に薄れ、姿は次第に透明になっていく。
「ま、まって……行かないで」
消え入るような弱々しい声で光に縋る少女の顔には、熱で乾いた涙の跡をなぞるように次の一滴が伝う。
「やっぱり、そんなに、長くは……いられないみたい」
「まってよ! いまお姉ちゃんが、なんとかしてあげるから!」
そう言って少女は、魔法を使おうとするが発動しない。
魂まで代償にした彼女にはもう、捧げられるものは残ってはいなかった。
「あれ……、なんで……」
彼女は懸命に魔法を詠唱するが、何も起こらない。
指先が震え、顔には焦りと絶望が滲む。魔法の言葉が口からこぼれる度に、その声は震え、そして弱々しく消える。
眼前の希望の光は、涙で滲むたびにその輝きを失う。
「いいの……もういいの……。これ以上は、頑張らないで……」
自分のために苦しむ姉を見て、アイラの胸は張り裂けそうに痛み。
自分の無力感に苛まれながらも、ここまでしてくれる姉が誇らしかった。姉の優しさと愛情だけだけでもう十分に満たされていた。
塵と消えていく光の体は、徐々に自分の意思を反映しなくなる。
「行かないで……」
弱々しい声は、静かな空間の中ではっきりと響き、消え行く妹をただ見つめることしかできなかい。
そんな姉の姿に、アイラは寂しそうに微笑むと。
「お姉ちゃん、今まで……ありがとう……」
大粒の涙を流し続ける姉を優しく包み込む。
触れ合うことはできなくとも、互いの暖かさを感じられた。
その熱も次第に薄れゆき、やがて終わりを迎える。
「ありがとう……、お姉ちゃん……」
感情を隠すように、最期は子供らしい無邪気な笑顔を見せる。
「アイラ!!!」
少女の叫びも虚しく、妹は塵となり姿を消した。
「……」
「……アイラ、ごめ……ん……」
彼女は失意の中、しばらく視界に残る残像を眺めていたが、やがて限界を迎えて床に倒れ込み、意識を失った。
「チッ! クソつまんねーな……、コンビニ行くか」
くたびれた部屋着のままサンダルを履いて外に出る。
静まり返った夜の住宅街に、肌を刺すような冷たい風が吹き付けると、外に出たことを少し後悔した。
会社を辞めて何年になるだろう、男は考える。あれから毎日、「明日は、明日こそは」と先延ばしにしてきた彼の人生は、すでに詰んでいた。
いや、今からでも頑張れば良いのだろうが、彼自身が諦めてしまっていた。無意にネットに時間を費やす日々、これからもきっと彼は時間を浪費し続けるのだろう……いつか死ぬ、その時まで。
車通りの少ない夜、歩行者信号に従い立ち止まる。社会に必要とされていない俺が、社会のルールは律儀に守ってやってるんだな、といつも通り壊れた頭で意味の分からないことを考える。
「うわっ!?」
突然の強烈な光に視界が真っ白になり、腕で目を覆う。
ドンッと強い衝撃に一瞬で意識が持っていかれる。なにが起きたのか考える暇もなく、彼は血を流して倒れ込んでいた。
死の間際に、歩道に乗り上げたトラックと青に変わる信号の光が見え、薄れゆく意識の中で漸く状況を把握する。
(ああ……死ぬのか)
そう悟った。
しかし腐った彼の脳は今際の際に立たされてなお、この状況に希望を見出していた。
この世にはニートのクズ男と相性最高の乗り物がある。そう……、トラックだ。
(クソみたいな人生だった……来世は美少女にでも生まれ変わりたいぜ……)
最期に思うことがそれかと、中身のない人生に苦笑して、彼は死んだ。
******
ヴァレリア王国・王城の謁見の間に、返り血で顔を汚した白髪の少女が息を切らして立っていた。
紅の瞳には憎悪の炎を宿し、深い影の落ちた玉座を睨みつける。
広大な謁見の間は壮麗な装飾が施され、王国の威厳を示す。そこに月明かりが差し込み、隠されていた玉座を照らす。
玉座に座り、彼女と相対するのは、英雄王、アルデン・レインハートである。
「復讐か……」
王の低い声が、静かな空間に重々しく響き渡る。
「忘れてはいないようだな、あれから200年……お前を殺し、妹を解放する」
向けられた射るような視線にも怯むことなく、少女はそう口にする。
「全ては国のためだ……許せとは言わん、ここで余自らが決着をつけてくれよう」
王は玉座からゆっくりと立ち上がる。
挙手一投足に、少女の頭は全力で危険を知らせる。
立ち姿はまるで岩のように堅固で、蹄鉄のように冷たかった。
王国の全てを象徴する厳かなその姿は、まさに英雄王に相応しい。
「国の……ため? 勝手なこと言わないでよッ!!! それで妹が犠牲になるなんて、間違ってるわ」
なおも怯まず、声を荒げる少女。
彼女の肉体から溢れ出す魔力に、部屋に亀裂が走る。
「…………」
問答は無用。
アルデンは剣を引き抜くと、一足一足、硬い床を踏み締めるように歩み出す。
「なんか言えよ……なぁ? 返せよ、妹を……」
『獄炎』、少女がそう呟くと、体の周りを渦巻いていた魔力の奔流が、赤黒い炎へと変化して少女に従属する。
その禍々しい炎の温度に、空間全体の水分が失われた。
少女は怒りと憎しみを噛み締めると、濁流のような炎を唾棄すべき王へと導く。
炎の通過した石造りの床は溶解。
逃げ場などない広範囲攻撃が王の眼前に迫り、少女は勝利を確信するが……。
「なッ!?」
一閃、アルデンは炎を容易く切り裂いた。
流れた炎は王城に燃え広がる。
少女は続けて炎を放つが、王の歩みは止められない。彼の眼差しは決然としており、その気迫に少女は気圧される。
あらゆる障害を切り裂き、悠然と前進するその姿に、彼女は戦慄し手が震え出す。
妹の仇を前にして、怒りと恐怖の感情がさらに魔力を乱していく。
あと一歩、この機会を二百年待ち続けた。
あの日、妹の魂と力を無情に、卑劣に奪ったこの男を殺す機会。
本当にあと一歩で、妹を解放できるのに……、その一歩の距離が、果てしなく遠い。
必死に魔法を放つも虚しく、王の歩みを阻むことはできない。
「王は強くあらねばならん、一人の民を犠牲にしようとも……国を、多くを守らねばならん。」
その言葉に少女の震えがピタリと止まる。
「は……? ふざけんなよ……」
多くの人を守れるなら、妹はどうなってもいい? 到底理解できない。
そんな世界を認めてはならない、認めない。絶対に。
「ふざッッッけんなぁあああ!!!」
少女が絶叫すると同時に、炎の温度がはね上がる。
腕を天に突き出し、炎はそこで球体をなす。ありったけの魔力を込めた超高温、高密度の火球。
大気が乾燥して唇は裂け、城が溶け始める。
その少女の最期とも呼べる姿は、王の歩みを止めた。
「待っててね、アイラ……」
穏やかに妹の名を口にし、恐怖も躊躇いも全て飲み込んだ様子で、ただ眼前の憎むべき相手を見据える。
「来るがいい。その炎も切り伏せて終わりにしてやる」
「ああ、消えろカス」
放たれた太陽の如き火球がアルデンへ襲いかかり、近づくにつれて身に纏う鎧は熱で変形を始める。
彼は大きく剣を振りかぶり、瞬きもせず集中。
そして振り下ろされた一撃は、火球を切り裂き、掻き消し、その奥の少女までも切り伏せて見せた。
少女の傷は深く、魔力の枯渇した彼女は動くこともできない。傷口から流れ出す鮮血に、己の無力さを嘆く。
(もう……これに賭けるしか……)
少女は最期に一縷の望みをかけて、魂を代償に『秘術』を使用した。
「見事であった」
全身に火傷を負った王は、目の前の少女に敬意の念を抱いていた。
自身の信念に従った事を後悔はしない、間違いだとも考えていないが、妹というただ一人のために戦う少女の意思を侮った事に、己の未熟さを恥じる。
少女の胸に剣を突き立てると、静かに目を瞑る。
剣が心臓を貫くと、少女の瞳から光が失われ、絶命の気配が音もなく彼女を包んだ。
広間は静まり返り、王城を焼き尽くさんと燃え盛っていた炎は消える。
戦いが終わり、王は静かに息を吐く……その瞬間、消えたはずの炎が再び勢いを取り戻す。
がらんどうな少女の瞳に生気が宿り、心臓に刺さった剣を引き抜き、立ち上がる。
少女の傷はたちどころに癒え、さらに膨大な魔力がその身に包む。
理解の及ばない状況に、王は再び短く息を吐くと、
「余の負けか……」
小さく悟ったように言葉を吐いた。
その古傷に覆われた肉体に少女の手が触れる……。
王の体に怨念のような魔力が広がると、彼は爆発するように無数の塵となり、血の雨を降らせた。
広間には少女が一人。
「…………」
悔しさに、血が滴るほど唇を噛み締め、目には今にも溢れそうなほど涙を浮かべている。
「やっと……。これで救えたのかな……?」
力なくその場にへたり込む。炎の熱を肌に感じ、ゆらめく陽炎に霞んでいく視界。
溢れだした涙は止まることを知らず、床に額をつけて奥歯を堅く噛み締め、泣き叫びたい声を押し殺す。
自分が泣いたところで、妹は帰ってこない……。
床に流れる王の血液を横目で眺めても、もう怒りも憎しみも感じなかった。
やり終えたという安堵と、妹を守れなかった過去の自分への後悔が残る小さな胸を、苦しそうに抑えている。
そんな彼女の前に、火の粉とは違う光の球が一つ、穏やかな風に乗るように流れ着く。
その光が、そっと少女の頬に触れたように感じて、少女はハッと勢いよく顔を上げる。
「アイ……ラ!?」
妹の名前を溢れるように口にすると、光はゆっくりとその人物を模り、燃え盛る炎の中で涙に濡れた紅の瞳には、最愛の妹が映る。
息も忘れ目を見開いた少女は、唇を震わせて光へと手を伸ばす。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「ううん……遅くなって、ごめんね……本当に。アイラが苦しんでるの、ずっと、感じていたから……」
「いいの。私のために、いっぱい無理してくれたんだよね。迷惑かけちゃって、ごめん」
そう言って申し訳なさそうに笑う妹に、小さく左右に首を振る少女。
無理をするのは当然だった。たとえどんなに無理をしてでも、妹は救わなければならない。それがあの日、一人だけ生き残ってしまった事への贖罪になるのなら、しかし……。
「結局お姉ちゃんは、あなたを助けて……あげられなかった」
少女は両目いっぱいに涙を浮かべて謝り続ける。
途切れ途切れの言葉には、ひたすらに後悔と無念さが押し固められていた。
「お姉ちゃん……私ね、お姉ちゃんの妹でよかった……。大、好きだよ……。生まれ変わっても……お姉ちゃんの妹に……なれるかな……」
アイラも泣きそうな掠れる声で言葉を紡ぐ。そして彼女の体は、小さな光の粒子となり、崩壊を始める。
その輝きは徐々に薄れ、姿は次第に透明になっていく。
「ま、まって……行かないで」
消え入るような弱々しい声で光に縋る少女の顔には、熱で乾いた涙の跡をなぞるように次の一滴が伝う。
「やっぱり、そんなに、長くは……いられないみたい」
「まってよ! いまお姉ちゃんが、なんとかしてあげるから!」
そう言って少女は、魔法を使おうとするが発動しない。
魂まで代償にした彼女にはもう、捧げられるものは残ってはいなかった。
「あれ……、なんで……」
彼女は懸命に魔法を詠唱するが、何も起こらない。
指先が震え、顔には焦りと絶望が滲む。魔法の言葉が口からこぼれる度に、その声は震え、そして弱々しく消える。
眼前の希望の光は、涙で滲むたびにその輝きを失う。
「いいの……もういいの……。これ以上は、頑張らないで……」
自分のために苦しむ姉を見て、アイラの胸は張り裂けそうに痛み。
自分の無力感に苛まれながらも、ここまでしてくれる姉が誇らしかった。姉の優しさと愛情だけだけでもう十分に満たされていた。
塵と消えていく光の体は、徐々に自分の意思を反映しなくなる。
「行かないで……」
弱々しい声は、静かな空間の中ではっきりと響き、消え行く妹をただ見つめることしかできなかい。
そんな姉の姿に、アイラは寂しそうに微笑むと。
「お姉ちゃん、今まで……ありがとう……」
大粒の涙を流し続ける姉を優しく包み込む。
触れ合うことはできなくとも、互いの暖かさを感じられた。
その熱も次第に薄れゆき、やがて終わりを迎える。
「ありがとう……、お姉ちゃん……」
感情を隠すように、最期は子供らしい無邪気な笑顔を見せる。
「アイラ!!!」
少女の叫びも虚しく、妹は塵となり姿を消した。
「……」
「……アイラ、ごめ……ん……」
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