上 下
20 / 41

君にしかけた甘い罠 3

しおりを挟む


 ◇

「ご機嫌ですね」
「そう?」

 四季杜財閥の中で海上輸送を担う『四季杜海運』の副社長室には、荒れ模様の冬の海とは真逆の穏やかな空気が流れていた。
 衣都に結婚を承諾させた響はここのところ、かなりの上機嫌だった。
 朝は同じベッドで目覚め、夜は最愛の女性を愛で溶かし腕の中に閉じ込めて眠る。
 ああ、なんと幸せなことか。

 満ち足りた生活を送り、心が弾んでいる響とは打って変わり、律は何とも言えない渋い表情だった。

「何があったのか聞かないのかい?」
「身内のコイバナなんて聞きたかないです。勘弁してください」
「つれないねえ……」
「響さんの機嫌を取るのは俺の仕事じゃないんで」

 長年、響の秘書として働いておきながら、この発言である。
 響は律の誰にも迎合しないところを、非常に気に入っていた。
 しかし、あらゆる人間が弱点と呼ぶべき弁慶の泣き所を持っている。
 響は更に一歩踏みこむことにした。

「僕の機嫌を取っておけば、三宅製薬を取り戻せるかもしれないのに?」

 意地悪をしたかったわけではない。
 何事ものらりくらりとかわす律が一体どういう反応をするのか、純粋に気になったのだ。

「実際、そういう話はちょこちょこありますね」

 律は怒るでもなく、嘆くでもなく、やれやれと面倒臭そうに首の後ろをかいた。


「俺は三宅製薬の元社員たちがくいっぱぐれることがなくて、家族が幸せならそれでいいんです。余計な波風立てる必要ありませんよ。四季杜財閥と違って、こちとら小市民なもんで」
「父上の会社を取り戻さなくていいのかい?」
「響さんの面倒をちまちま見てる方が、気が楽でいいです。それに、四季杜の監視の目が光っている内は、迂闊に元社員達の首を切れないでしょう?共存の道を模索していた親父なら、文句言いませんよ」

 響は素直に感心した。
 試合に負けて、勝負に勝つ。言うが易し、行うが難し。
 自分の感情を押し殺し、大多数の幸福を迷いなく選び取れるのは、やはり経営者の器に違いない。
 ……本人は否定したがるだろうけれど。

「はい、三宅です」

 執務室に着信音が鳴り響くと、律は話を中断し、素早くスマホを耳に当てた。
 何往復かやりとりした末に通話を終えると、改めて響に向き直る。

「総帥から御命令です。明後日、衣都と一緒に屋敷まで来るようにと」
「……わかった」

 秋雪の動きは響の予想よりも随分と遅かった。

(とうとう来たか)

 ようやく手に入れた最愛の女性との生活を守るためなら、響はどんなことでも厭わないつもりだった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

黒豹の騎士団長様に美味しく食べられました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:142pt お気に入り:507

清廉潔白な神官長様は、昼も夜もけだもの。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:2,005

痛い瞳が好きな人

BL / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:43

ちびヨメは氷血の辺境伯に溺愛される

BL / 連載中 24h.ポイント:49,164pt お気に入り:5,149

売れ残り同士、結婚します!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:314

憐の喜び〜あなただけ知らない〜

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:562pt お気に入り:6

処理中です...