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四季杜家のしきたり 2
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屋敷に到着すると、先日のようにリビングルームに案内された。流石に屋敷の中では横抱きにされることはなく、衣都は安堵したのだった。
「待たせてすみませんでした」
「貴方が遅刻だなんて、珍しいこともあるのね~」
綾子は遅刻を詫びる響を冗談めかして許した。
リビングルームでは響の両親が彼の到着を今か今かと待ち受けていた。
「ああ、衣都ちゃんも一緒だったんだね。昨日は発表会、お疲れ様。私も見に行きたかったよ」
「素敵なお花をいただき、ありがとうございました」
おまけの自分にも親しみのこもった温かな言葉をかけるのは、響の父、秋雪だ。
響に似た面差しを持つ秋雪は四季杜財閥を率いる総帥にして、早逝した衣都の父親とは大学時代の同期で友人でもあった。
秋雪がいなかったら、兄と自分はきっと路頭に迷っていたことだろう。
四季杜家が勢揃いし、否応がなしに緊張が高まる。
「さあ、二人とも座りなさい」
息子の到着を首を長くして待っていた秋雪は落ち着きのある渋い声で、ソファに座るようにすすめた。
「それで、響。わざわざ私を呼んだわけを聞かせてもらおうじゃないか?」
秋雪は肘掛けの上に頬杖をつくと、響に早く本題に入るよう促した。
まるで、自分を呼び出す価値があるのか、試しているみたいだ。
秋雪は実に多忙だ。
政財界との顔つなぎや、四季杜に運輸を委託する各企業とのパイプ役を担う秋雪は、文字通り日本のみならず世界を飛び回っている。
四季杜が財閥と呼ばれるようになった今なお、胡座をかくことなく精力的に営業活動に励んでいる。
実の息子を見る目は、他人に対するものよりシビアだ。
血の繋がった親子といえども、そう簡単に呼び出しに応じるわけではない。
(響さん、何のためにおじ様を呼んだのかしら……?)
衣都はまだ響から何の説明も受けていない。
秋雪を呼ぶほどの大事な用件なら、なおさら衣都を連れてきた理由が不明だった。
席を外そうかと尋ねようとしたその時、響が衣都の手を握ってきた。
秋雪と綾子の前だというのに、本物の恋人のように指を絡ませるものだから、余計にぎょっとする。
しかし、それはこれから起こる混沌のほんの序章に過ぎなかった。
「父さん、母さん。僕は衣都と結婚します」
響はリビングルーム中にこだまするような声量で堂々と言ってのけた。
――時が止まった気がした。
(今、なんて……?)
何が起こったのか信じられなくて、衣都は響を凝視した。
『結婚』というのは、聞き間違い?それとも空耳?
「響、お前……。自分が何を言っているのか分かっているのか?」
突拍子もない響の発言に秋雪は呆れ果てていた。響は弁明するどころか、一歩も引かなかった。
「僕は四季杜家の『しきたり』に従っているだけですよ、父さん」
秋雪とハッと息を呑むと、背もたれに身体をあずけ、今度こそ押し黙った。
全く話が読めず、衣都はオロオロと視線を彷徨わせるばかりだった。
ところが、響の驚愕の発言はとどまることを知らず、さらに爆弾が投下されていく。
「昨日、衣都とセックスしました」
世界広しといえども、両親に性交を律儀に報告する息子は響しかいないだろう。
衣都は今度こそ倒れるかと思った。血の気が引いたなんて、そんな可愛いものじゃない。
「響さん、それは……!」
衣都は響に対して抗議しようとした。
昨晩のことを誰にも言わないように口止めしていなかったのは確かだが、よりにもよって尊敬する四季杜夫妻に言うなんてあんまりだ。
「本当なの?衣都ちゃん……」
「え!?あ、その……」
綾子から真剣な眼差しで問いかけられ、衣都はしばしの逡巡の末に小さく頷いた。
響とひと晩過ごしたことは最早、誤魔化しようのない事実である。
「ああ……なんてことなの……」
綾子は顔を両手で覆い、嘆き悲しんでいた。
婚約前の大事な時期に、元居候の自分と身体の関係を持ったと告白されれば、当然の反応だった。
「あの……。婚約間近と知りながら関係を迫ったのは私なんです!どんなお叱りでも受けます!だからどうか……」
「そういうことじゃないんだよ、衣都ちゃん」
不義理を働いたと責められるべきは自分だと、主張する衣都を秋雪が遮った。
秋雪は低く唸り、最後には大きなため息をついた。
響だけが晴れ晴れとした表情で己の両親を見下ろしていた。
三者三様の反応が出揃い、話についていけない衣都は途方に暮れた。
どうしようもない疎外感に苦しめられていると、響に肩を抱かれる。
「驚かせてごめんね、衣都。実は四季杜家には、ある『しきたり』があるんだ」
響はようやくこの状況を説明する気になったらしい。
「しきたり、ですか?」
四季杜家で長い間居候生活を送っていた衣都だったが、しきたりの存在については初耳だった。
「四季杜家の男子は『初めて』身体を重ねた女性と結婚しなければならない」
「……え?」
しきたりの内容を聞いた衣都は目を大きく見開いた。
(け、結婚……!?)
頭の中がいくつもの疑問符で埋めつくされていく。
昨日、衣都は目の前にいる響とベッドで甘いひと時を過ごした。
他の人と比べることはできないが、初めてとは思えないほどコトはスムーズに進んだ。
「響さん……『初めて』だったんですか?」
「そうだよ?」
響は特段恥じるでもなく、いけしゃあしゃあと言い放った。
「ということで、あとのことはそちらで片付けてくださいね?行くよ、衣都」
「え!?あの!響さん!?」
響に腕を引かれて立ち上がった衣都は、戸惑う秋雪と綾子を残し、リビングルームを後にした。
響に引きずられるようにして、長い廊下をバタバタと忙しなく歩いていく。
(なにがどうなっているの!?)
衣都は未だに混乱の渦の中心で、右往左往していた。
訳が分からないまま屋敷の外に連れて行かれ、響の車の助手席に押し込められる。
車はすぐに出発し、四季杜家から徐々に離れていった。
「衣都には今日から僕のマンションで暮らしてもらう。離れて暮らしていると結婚の準備も大変だからね」
「あ、あの……」
「荷物はあとで取りに行こう」
「えっ……あ……。はい……」
矢継ぎ早に今後の予定を決められ、とりつく島もなかった。
衣都は唇を引き結び、黙って耐えるしかなかった。
(結婚だなんて……。本気なの……!?)
「待たせてすみませんでした」
「貴方が遅刻だなんて、珍しいこともあるのね~」
綾子は遅刻を詫びる響を冗談めかして許した。
リビングルームでは響の両親が彼の到着を今か今かと待ち受けていた。
「ああ、衣都ちゃんも一緒だったんだね。昨日は発表会、お疲れ様。私も見に行きたかったよ」
「素敵なお花をいただき、ありがとうございました」
おまけの自分にも親しみのこもった温かな言葉をかけるのは、響の父、秋雪だ。
響に似た面差しを持つ秋雪は四季杜財閥を率いる総帥にして、早逝した衣都の父親とは大学時代の同期で友人でもあった。
秋雪がいなかったら、兄と自分はきっと路頭に迷っていたことだろう。
四季杜家が勢揃いし、否応がなしに緊張が高まる。
「さあ、二人とも座りなさい」
息子の到着を首を長くして待っていた秋雪は落ち着きのある渋い声で、ソファに座るようにすすめた。
「それで、響。わざわざ私を呼んだわけを聞かせてもらおうじゃないか?」
秋雪は肘掛けの上に頬杖をつくと、響に早く本題に入るよう促した。
まるで、自分を呼び出す価値があるのか、試しているみたいだ。
秋雪は実に多忙だ。
政財界との顔つなぎや、四季杜に運輸を委託する各企業とのパイプ役を担う秋雪は、文字通り日本のみならず世界を飛び回っている。
四季杜が財閥と呼ばれるようになった今なお、胡座をかくことなく精力的に営業活動に励んでいる。
実の息子を見る目は、他人に対するものよりシビアだ。
血の繋がった親子といえども、そう簡単に呼び出しに応じるわけではない。
(響さん、何のためにおじ様を呼んだのかしら……?)
衣都はまだ響から何の説明も受けていない。
秋雪を呼ぶほどの大事な用件なら、なおさら衣都を連れてきた理由が不明だった。
席を外そうかと尋ねようとしたその時、響が衣都の手を握ってきた。
秋雪と綾子の前だというのに、本物の恋人のように指を絡ませるものだから、余計にぎょっとする。
しかし、それはこれから起こる混沌のほんの序章に過ぎなかった。
「父さん、母さん。僕は衣都と結婚します」
響はリビングルーム中にこだまするような声量で堂々と言ってのけた。
――時が止まった気がした。
(今、なんて……?)
何が起こったのか信じられなくて、衣都は響を凝視した。
『結婚』というのは、聞き間違い?それとも空耳?
「響、お前……。自分が何を言っているのか分かっているのか?」
突拍子もない響の発言に秋雪は呆れ果てていた。響は弁明するどころか、一歩も引かなかった。
「僕は四季杜家の『しきたり』に従っているだけですよ、父さん」
秋雪とハッと息を呑むと、背もたれに身体をあずけ、今度こそ押し黙った。
全く話が読めず、衣都はオロオロと視線を彷徨わせるばかりだった。
ところが、響の驚愕の発言はとどまることを知らず、さらに爆弾が投下されていく。
「昨日、衣都とセックスしました」
世界広しといえども、両親に性交を律儀に報告する息子は響しかいないだろう。
衣都は今度こそ倒れるかと思った。血の気が引いたなんて、そんな可愛いものじゃない。
「響さん、それは……!」
衣都は響に対して抗議しようとした。
昨晩のことを誰にも言わないように口止めしていなかったのは確かだが、よりにもよって尊敬する四季杜夫妻に言うなんてあんまりだ。
「本当なの?衣都ちゃん……」
「え!?あ、その……」
綾子から真剣な眼差しで問いかけられ、衣都はしばしの逡巡の末に小さく頷いた。
響とひと晩過ごしたことは最早、誤魔化しようのない事実である。
「ああ……なんてことなの……」
綾子は顔を両手で覆い、嘆き悲しんでいた。
婚約前の大事な時期に、元居候の自分と身体の関係を持ったと告白されれば、当然の反応だった。
「あの……。婚約間近と知りながら関係を迫ったのは私なんです!どんなお叱りでも受けます!だからどうか……」
「そういうことじゃないんだよ、衣都ちゃん」
不義理を働いたと責められるべきは自分だと、主張する衣都を秋雪が遮った。
秋雪は低く唸り、最後には大きなため息をついた。
響だけが晴れ晴れとした表情で己の両親を見下ろしていた。
三者三様の反応が出揃い、話についていけない衣都は途方に暮れた。
どうしようもない疎外感に苦しめられていると、響に肩を抱かれる。
「驚かせてごめんね、衣都。実は四季杜家には、ある『しきたり』があるんだ」
響はようやくこの状況を説明する気になったらしい。
「しきたり、ですか?」
四季杜家で長い間居候生活を送っていた衣都だったが、しきたりの存在については初耳だった。
「四季杜家の男子は『初めて』身体を重ねた女性と結婚しなければならない」
「……え?」
しきたりの内容を聞いた衣都は目を大きく見開いた。
(け、結婚……!?)
頭の中がいくつもの疑問符で埋めつくされていく。
昨日、衣都は目の前にいる響とベッドで甘いひと時を過ごした。
他の人と比べることはできないが、初めてとは思えないほどコトはスムーズに進んだ。
「響さん……『初めて』だったんですか?」
「そうだよ?」
響は特段恥じるでもなく、いけしゃあしゃあと言い放った。
「ということで、あとのことはそちらで片付けてくださいね?行くよ、衣都」
「え!?あの!響さん!?」
響に腕を引かれて立ち上がった衣都は、戸惑う秋雪と綾子を残し、リビングルームを後にした。
響に引きずられるようにして、長い廊下をバタバタと忙しなく歩いていく。
(なにがどうなっているの!?)
衣都は未だに混乱の渦の中心で、右往左往していた。
訳が分からないまま屋敷の外に連れて行かれ、響の車の助手席に押し込められる。
車はすぐに出発し、四季杜家から徐々に離れていった。
「衣都には今日から僕のマンションで暮らしてもらう。離れて暮らしていると結婚の準備も大変だからね」
「あ、あの……」
「荷物はあとで取りに行こう」
「えっ……あ……。はい……」
矢継ぎ早に今後の予定を決められ、とりつく島もなかった。
衣都は唇を引き結び、黙って耐えるしかなかった。
(結婚だなんて……。本気なの……!?)
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