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四季杜家のしきたり 1
しおりを挟む響とひとつになった翌朝、衣都は肌を滑るシーツの冷たい感触で目を覚ました。
瞼を開けると既に響の姿はなく、キングサイズのベッドの中でひとりきりで寝ていた。
ぽっかりと胸に穴が開いたような、寂しさに襲われる。
――寂しいと感じること自体、おこがましいのに。
昨夜脱がされた服はどこだろうと視線を巡らすと、サイドチェストの上に畳まれた状態で置かれていた。
言わずもがな、響の仕業だ。
響本人は既に身支度を終えており、何食わぬ顔でソファに座り新聞を読んでいた。
ジャケットからボトムスまでキチンと身につけられていると、昨夜、裸で抱き合ったことが夢のよう。
響は衣都が目を覚ましたことに気がつくと、ふっと表情を和らげた。
「おはよう、衣都」
「おはよう……ございます」
破瓜の痛みを労わるようにそろそろとベッドから身体を起こしていく。
発表会の翌日、日曜日となる今日、教室は休みだ。慣れない行為をしたばかりの衣都にとっては、ありがたかった。
「起きてすぐで悪いけれど、この後両親と会う予定があるんだ。急いで支度してもらえる?」
「……はい」
衣都は頷くと怠い身体に鞭を打ち、シャワーを浴びるためにバスルームへと向かった。
昨夜の残り香をすべて洗い流すと、ようやく実感が湧いてくる。
――夢のような一夜はもう終わってしまった。
そう遠くないうちに響はあの女性と婚約し、最後には結婚してしまうのだ。
そう思うだけで、ズキンと胸に痛みが走る。
(余計に忘れられなくなるだけだった……)
諦めるために身を任せたのに、身体に残るいくつもの爪痕に愛しさは募るばかりだ。
……ダメだ。
泣くのは家に帰ってからにしないと、響に余計な罪悪感を与えてしまう。
衣都はシャワーを浴び終わると、急いで下着とワンピースを身に着け、軽くメイクを直した。
「大丈夫?顔色が悪そうだけれど……」
「……平気です」
衣都は異物感の残る身体を隠し、気丈に振る舞った。
あんなことをした翌日だというのに、響は何ら変わることなく衣都を気遣ってくれる。
――それが、余計に惨めだった。
衣都にとっては男性とホテルに行き、そのまま朝帰りなんて天地がひっくり返る出来事でも、響にはありふれた日常のひとコマに過ぎないのだと思い知らされる。
(いつも通りにしなきゃ……)
普段通りを装うことに頭を支配されていた衣都に想定外の出来事が起こったのは、エレベーターで地下駐車場に降りたった時だった。
「きゃっ!」
突然、足が地面から離れ、衣都は思わず悲鳴をあげた。
「響さん!?」
「何?」
響が衣都の膝裏に腕を差し入れ、そのまま持ち上げたのだ。
「あ、あの……!」
「ん?」
抱き上げられてあたふたしているのは衣都だけだった。響は平然とした顔で衣都を抱え、薄暗い駐車場内を歩き始めた。
(なんで歩くのが辛いってわかったんだろう……)
それ以上何も言えなくなり、大人しく響のなすがままになる。衣都は響の腕の中で、彼の真意を探ろうとした。
(恋人でもない女性を、こんな風に抱き上げるなんて……)
いくら駐車場には人気がなくても、軽率な振る舞いだと言わざるを得ない。
誰にも見咎められないことをいいことに、響の過保護は止まらなかった。片手で車のドアを開け、衣都を助手席に座らせると、満足げに頭をひと撫でした。
結局、響が何を考えているのか、衣都にはさっぱり分からなかった。
(もうすぐね……)
夢の終わりは刻一刻と迫っていた。
車はホテルの地下駐車場を出て十分ほどで、衣都のマンション付近に辿り着いた。
目の前にある信号を左に曲がれば、エントランスが見えてくるはずだ。
衣都は既に最後のお別れを言う覚悟を決めていた。
ところが、車は左折することなく信号を直進したのだった。
(あれ?)
道を間違えたのかと思わず運転席の響を仰ぎ見る。
「響さん、うちのマンションを通り過ぎてしまいましたけど……」
「何を言っているんだい?君も一緒に屋敷まで行くんだよ」
「私も、ですか……?」
「ああ」
当然のように同行を求められ、衣都は首を傾げた。
てっきり屋敷には響ひとりで行くものだと思っていたからだ。
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