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8 故国の帝王 ◆

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◆ R15 今回、物語上、少しだけ不快な場面を連想させるような文章がでてきます。苦手な方はとばしていただければと存じます。



 私達の国から、スン国を抜けてシャムスヌール帝国の首都ナイルまでの道のりは、実はさほど遠くない。通常のゆるゆるとした旅なら片道5日、馬を途中で交代させる事が可能なら、実質2日程で到着できる。
 私は、王と鷲の盾10名と共に王城を出発し、全速力で道中を駆け抜け、首都ナイルにたどり着いた。

 一国の王アドラーとして、彼は正式にシャムスヌール帝国の帝王に、緊急の謁見を申し込んだのだ。


 私達は、シャムスヌール帝国城内に招き入れられ、客間で待機させられている。
 用意された軽食と飲み物を流し込む。
 一息つくとどうしても強行軍の疲れから、睡魔が襲ってきた。

「15分交代で、仮眠をとる。オレは先に眠る。ギルティアス、後を頼む」
「かしこまりました。では、私とブライス、リットが見張りをいたします。他の者はすぐに眠るように」

 王の指示で、皆即座に横になる。床に直寝とはいえ、絨毯なのが有難い。
 私は2日前の会話を思い出しながら、目を瞑った。

***

「シャムスヌール帝国では、貴族の遺体は貴族墓地に埋葬するという決まりがあります。そして、平民の遺体も同じく、貴族墓地の外れにある平民共同墓地に埋められます。墓地には管理人が常駐しており、埋葬には届け出が必要です。貴族のものであろうと平民であろうと、帝国人は死の象徴である骨や遺体を身近に置きたくはありません。それなのに、もしブルービット公爵の邸宅内に骨があったら? 庭園に人骨がたくさん埋まっていたら、それは墓地に埋葬できない、公にできない死体を内密に処理したという証拠になりませんか?」
「ブルービット公爵邸内に人骨がみつかったからといって、公爵の犯行だとは言い切れないだろう」
「死体の数が1,2体ならそうでしょう。ただし、それが数十体なら? もしくは、驚く程多くの骨がみつかれば、事件性があるとみなされるでしょう。そして、その数が多ければ多い程、当主であるブルービット公爵の関与も否定できないかと」
「ルイ、あなたがなぜそのような話を知っているかどうかは今は問いません。しかし、ブルービット公爵の庭園に死体の山が眠っているというのは確実なのですか? 残念ですが、不確実な話につきあうわけにはいきませんね」
「シュナイゼルのいう通りだ。我々は王とこの国を守る盾だ。他国のいち貴族の悪事を暴く為だけに、危険を冒すわけにはいかない」

 ギルディアスとシュナイゼルが、たて続けに私に反対するかのような言葉を放つ。
 当然だろう。彼らにとって大切なのはアドラーとこの国だ。
 確かに、よその国のたかがいち貴族の事など、どうでもよい話だ。

 降りかかる火の粉は払っても、わざわざ他国に行ってまでその火を消す必要があるのか。彼らはそこまで行動する価値を感じないだろう。
 他国の悪事は、他国が責任をもって対応すべきで、我々がリスクを冒してまで正義を行使する警邏隊けいらたいとなる必要はない。
 また、正義は国ごとに違う。同じ国でも、貴族と平民では正義の重さも質も違うだろう。
 私にとって、ブルービット公爵の悪事をあばくというのは必要な正義だ。いや、正義というよりは、個人的な私怨か……。

 その個人的な復讐劇に、アドラーとこの国を巻き込もうとする私は、ブルービット公爵より罪深いのかもしれない……。

 じっと沈黙を貫く私に、王が問いかける。

「ルイ、その多くの死体が今も埋まっている可能性はどれ位あるのだ?」
「そうですね……」

 私は前世の記憶を辿りながら、王への答えを探した。

 サラディナーサがブルービット公爵の妻として、あの館に囚われていた1年間。
 自由に館を動き回る事はできなかったが、それでも館の異常さは肌で感じていた。

 何度かみかけた使用人達が、短期間でいなくなるのだ。
 新しく入ったメイドや雑用係の若い女性、見習いの少女、そして少年。

 夜中に聞こえてくる、甲高い悲鳴……。
 そしてその数日後に、庭園の土が掘り起こされ、その上に花が植えられる。
 あの一年間で、何度その情景を目にしただろうか。

 最初は気づかなかった。奴らの犠牲者は、妻だけではないという事実に。

「死体が埋められた面積は広範囲に及びます。その全ての土を掘り起こし、骨を移動させるには労働力が必要ですし、事情を知る人間が増える。そのような危険を冒す必要は、ブルービット公爵にはなかった筈です。彼は、あの国では権力者です。そう簡単に、彼の領地を調べに入る人間はおりません。あくまでも私個人の考えですが、悪事の証拠となり得る人骨は、現在も公爵の庭園に眠ったままだと推測します」 
「……そうか……。わかった」

 王はそう言って、ギルディアス、シュナイゼルの二人に顔を向けた。

「ギルディアス、シュナイゼル。事が終われば、事情を話す。今は時間が惜しい。オレは、ルイと共にシャムスヌール帝国へ行く。帝王に謁見し、許可を得てから公爵邸で骨を見つける。お前たちは、この国を守り、同時にスン国に滞在しているハノイ公爵とブルービット公爵の動きを見張っていてくれ。オレの全権をギルディアスに託す。万が一オレが死ねば、ギルディアス、お前が王として立つのだ」
「できません。私は王の盾です。幼い頃より、あなたの剣士としてお仕えしてきました。王が行くのであれば、私もシャムスヌール帝国にまいります」
「では、シュナイゼル、お前だ。お前に全権を託す。あとはダニエル、イザックと宜しく頼む」
「……今回のことは、王自身が行かねばならない程の大事なのでしょうか?」
「そうだ。これはオレにとって、自分事である重要な案件だ。わがままを言うが、どうか理解してくれ」
「……わかりました。仕方ありません。ですが、できるだけお早くお帰り下さいね。あなたのかわりに王になるなんて、私はごめんですから」
「了解した。ではギルティアス、シャムスヌール帝国へ連れ立つ仲間を9名選んでくれ。仮眠をとらせろ。3時間後に出発する。ルイ、お前も一緒に行け。シュナイゼル、この後少し打合せだ。以上」

 あまりの急展開に頭が追いつかない私は、大人しく命令を聞くしかなかった。
 王は最後にこうつけ加えた。

「ルイ、シャムスヌール帝国へ行くのはオレ自身の為だ。オレの決断だ。お前の為ではない。それだけは勘違いしないように」

***

 王は、そう言って、私が罪悪感を抱かないように気遣ってくれた。
 こうして、国王であるアドラー自身がこの軍事大国に少人数でやってきた。
 あまりにも無謀な行動だ。

 王をこのような危険な状況に誘導した責任は、私にある。
 だが、後悔したり許しを請うのは、全てが終わってからだ。

 まずは、シャムスヌール帝国の帝王に会い、ブルービット公爵邸を掘り返す許可をもらわねばならない……。
 気が付くと、私は起こされるまで、夢もみず泥のように眠っていた。


「よし! 全員起きたな。これから、この国の帝王、軍事大国の総大将、ラムヌールに会いに行く。タイミングのいいことに、今宵この帝国城ではラムヌール帝王の即位50年の祝いの催しが開催中との事だ。我々は、そのめでたい祝いの席で、来賓の貴族達の前で、ブルービット公爵への懸念と庭園を掘る許可を得なくてはならない。何を言われても、動揺せず、オレの指示があるまで決して動くな。堂々としていろ。以上だ」
「御意!!」 

 私達は、すぐさま宴席へ案内された。
 大ホールに1000名以上はいる貴族達からの、鋭い目に晒される。

 私達は楽しい宴席に無作法に乗り込んだならず者なのだ。緊張しながらも、アドラー王に恥をかかせないように、堂々とした態度を意識する。

 豪奢で広々とした空間の奥に、遠くからでも一目でわかる重厚な玉座がある。
 壮麗で美しい内装、豪勢な食事、オーケストラが織りなす音楽、そして集まる貴族達が身につける豪華絢爛な衣装。どれもが、この帝国の財力と文化の高さを示している。 

「かまわん、全員こちらへ通せ。アドラー王よ、久しぶりだな。小僧が6年ですっかり大男に成長したな。見違えたぞ」
「お祝いの席とは知らず、失礼をお詫びします。謁見をお許し下さり感謝致します。シャムスヌール帝国の益々の繁栄と、ラムヌール帝王のご健勝を祈願いたします」

 王と私達、鷲の盾は帝王の前に跪き、頭を下げる。
 これが、ラムヌール帝王。前世の私、サラディナーサが生まれ育った国の王。
 齢60を超えているとは思えぬ若々しい声、肉体と気迫を持つ男が、玉座から私達を見下ろしている。

 アドラー王が獰猛な鷲だとすれば、ラムヌール帝王は猛毒をもつコブラといったところだろうか。
 のらりくらりと、緩やかに動きながら、相手が懐に飛び込んでくるのを待つ、老獪な毒蛇。

 こんな危険な場所に、私はアドラーをいざなってしまったのだ……。
 絶対に、彼を安全に帰国させなくてはならない!

「それで、いったいどんな理由で貴殿が我が宴席へ紛れ込んだのだ?」
「はい、のっぴきならない事情により、ラムヌール帝王にお願いを致したく参りました。御国のとある方の、……屋敷内を掘り起こす許可を頂きたく存じます」
「とある者とは……?」
「ブルービット公爵です。ご存じかとは思いますが、彼は現在、スン国のハノイ公爵邸に滞在中です。実は、ブルービット公爵に虐待されていたらしき娘の知人が、我が国におります。どうしてもブルービット公爵が犯した罪をあきらかにする手伝いがしたく、押しかけてしまいました。他国の者が余計なお節介をとご迷惑な事は重々承知しております。ラムヌール帝王の寛大なお心にすがりたく存じます。ブルービット公爵の庭園を、掘り返す許可をいただきますよう、どうかお願い申し上げます」

 場内がざわめきだす。
 私達への非難だけでなく、ブルービット公爵の名を聞いたことへの戸惑いや、帝王がどう動くのかという好奇心等、様々な思いが感じられる。

「アドラー王よ、ひとつ聞きたいのだが」
「何なりとお聞きください、ラムヌール帝王」
「なぜ貴殿は、私に頭を下げてまでこの場にいるのだ? わかっているのだろう? 今、私が命じれば、貴殿の首は即座に刎ねられ、貴殿の国はわが物となる。なぜ得にもならん事に首をつっこみ、自ら窮地にとびこんで来たのか、さっぱりわからん」
「先ほど申し上げた通りですよ。ブルービット公爵に虐待されていたと話す娘の知人が、我が国にいるのです。その者は、どうしてもブルービット公爵の罪をあきらかにしたいと願っている。だから、来た。それだけです」
「ますます、わからんな。貴殿がそんなに馬鹿だとは知らなかった。私は馬鹿は嫌いなのだ。気はすすまんが、消えてもらうか」
「おやおや、天下のシャムスヌール大帝国の、偉大なラムヌール帝王の即位50年というめでたき日ですよ。小国の王の首を切りわざわざ祝いの席を血で汚す必要はないでしょう。また、小さな国の領土を増やしたところで、それこそたいした得にはならないと思いますがね。それよりも、御国の腐った膿をだすのを、物好きな他国の労働力でさせる方が、よっぽど利になりますよ」

 二人の王のやり取りに、周りは固唾をのんで見守っている。
 ラムヌール帝王の言葉ひとつで、私達はこの場で殺されるかもしれない。

 ……いや、だめだ。なんとしても、アドラー王は、必ず国へ帰ってもらわなくては。
 私は、賭けに出る事にした。

「謙遜を言うな、アドラー王。鷲のアドラーと諸外国からも恐れられる貴殿だ。それを喰らえば、私の格はさらに上がる。そして」
「恐れながら、許可なく発言する事を先にお詫び申し上げます。アドラー王の盾、ルイと申します。僭越ながら、ラムヌール帝王に申し上げたい事がございます。ブルービット公爵の館を捜索する事は、ここにいらっしゃる貴族の方々の為にもなると存じます。ブルービット公爵が犯してきた数々の罪をあきらかにすることは、偉大なるシャムスヌール帝国の大きな益となりましょう。証拠さえでれば、かの者の罪深さが、ラムヌール帝王をはじめ、皆様方に見えてくると存じます。ブルービット公爵が、彼の妻達にどのような卑劣な行いをしたか。大切に育てられた貴族のご令嬢達が、彼の妻となりどんなむごい扱いを受けたか。逃げたくとも逃げられず、神に、両親に心で助けを求めながらも、その思いが報われる事なく、孤独に死んでいった彼女たちの血を吐くような叫びを、今こそ明らかにして差し上げたいのです!! どうか、どうか……」

 私は最後まで言い切れぬまま、帝国の兵士に取り押さえられた。

「許可なく我が帝王に物申すなど、不敬にもほどがあるぞ!! 身動きできぬよう、縛れ!!」
「待ってくれ、ルイはオレの考えをかわりに話しただけだ……!!」

 私をめぐって、帝国兵士とアドラー王との間で一触即発のやり取りがされる緊迫した空気のなか、また別の声が聞こえた。

「我が帝王、ラムヌール帝王!! どうか、どうかその者に温情をお与え下さいますよう、このラツィオール侯爵家当主からお願い申し上げます。そして、本当にブルービット公爵が彼の妻達に……死んだ私の娘に、何をしたのか、少しでも明らかになるのであれば……私はその者達と共に、ブルービット公爵の館に行って確かめたいと存じます」
「我が帝王、ラムヌール帝王!! アリスター伯爵家当主からもお願い申し上げます。当家も、娘の死因がブルービット公爵にあるのかを確かめたく存じます。私達も彼らと共に、ブルービット公爵の館にまいります!!」
「我が帝王、ラムヌール帝王!! レッドロック伯爵家当主からもお願い申し上げます。ブルービット公爵邸へ捜査に行くことをお許し下さい!」

 彼らの言葉に、大ホール全体が、しんと静まりかえった。
 私を取り押さえている兵士達の手も止まったまま、主君の言葉を待っている。

「ふ……ん。興が削がれたな。まあ、よい。……今日は、私の即位50年というめでたき日だ。我が民の願いを叶えよう。ブルービット公爵への疑惑は、確かに見過ごせぬ。アドラー王よ、ブルービット公爵の館の捜査を許可しよう。バビット将軍、その者を離してやれ。そして、兵を1000名連れて、アドラー王と一緒に公爵家へ行け。証拠がでれば、すぐに知らせよ。ラツィオール侯爵、アリスター伯爵、レッドロック伯爵。バビット将軍へ同行を許す。皆の者、よいな」
「はっ、かしこまりました。では、御前を失礼いたします!」
「ラムヌール帝王! このアドラー、偉大なる帝王に心より感謝申し上げます」
「アドラー王、貸しひとつだな」
「いえ、ラムヌール帝王。御国の膿をだす為に、私が動くのです。貸しひとつ、は私の台詞かと」
「フフ……言いよるわ、小僧が。ところで、ルイ、だったか」

 兵士達から解放されほっとしたところに、帝王から声をかけられ身構える。

ーーーーやはり、帝王に直接物申すなど、不敬が過ぎたか……。

 アドラーが、守るかのように、私の肩をガシッと抱いた。

「ラムヌール帝王、ルイが許可なく発言したこと、誠に申し訳ない。部下の失態は私の責任だ。私から詫びを申し上げる」
「そうではない。私はその者が気に入ったのだ。この大勢の人間が集う敵地で、あのように発言するなどたいした度胸よ。どうだ、ルイ。私の側室にならぬか?」
「……ラムヌール帝王、それはお断りしよう」
「私はその者に、直接聞いておるのだ。発言を許す。ルイ、どうじゃ? そのように男にまじって厳しい訓練などする必要もない。旨い食事、美しいドレス、珍しい宝石など、贅沢し放題だぞ。私の側室になれ」

 私はアドラーをみて、それから、ラムヌール帝王を見上げた。

「ラムヌール帝王の寛大なお心に感謝申し上げます。また、わたくしのような者に、過分なお心づかいを頂戴し、重ねて御礼申し上げます。しかし、わたくしは、死ぬまでアドラー王の盾です。アドラー王の側を離れる訳にはまいりません。ご冗談でも、お声がけくださり有難うございました」
「ククッ……まあ、よい。気がかわったらいつでもお前を歓迎しよう。以上である。音楽を奏でよ。皆の者、宴を再開するぞ」

 私達は再度跪き、頭を下げてから、その場を後にした。
 帝国の将軍に先導され、私達はブルービット公爵邸へと向かった。
 公爵不在の館は、将軍の訪れに慌てふためき、すぐに門を開いた。

 私はこっそりと王に庭園の場所を示し、彼がその場所を掘り起こすよう将軍に指示する。
 兵士達が土を掘る間、私は人目につかないよう館内に侵入した。

 使用人達は、皆、庭園に集まっているので、誰にも会わずに本館の階段を上がる。
 指先が冷たくなり、鼓動がドクドクと早まるのを感じる。
 吐き気を抑えながら、勝手知ったるその廊下を歩く。

 かっての私の、私達の部屋であった場所にたどり着く。扉をあけ、暗闇のなかを、月明りを頼りに進んだ。

 昔の記憶という恐怖と戦いながら、部屋の奥へと足を進めると、ベッドは以前と同じ場所にあった。
 私は、急いで、ベッドの下のカーペットの裂け目を手探りで探す。

ーーーーあった!!

 布袋は、最後に私がしまったままの状態で、残っていた。
 震える手で、なかのノートを取り出す。

 怒り、憤り、恨み、悲しみ、絶望。
 それらの感情が急激にふくらみ、嵐のように自身のなかで荒れ狂う。

ーーーーいけない! 今は、自分の事を優先していい時じゃない。このノートなら、ブルービット公爵が妻を虐待していた何よりの証拠になる! 内容を確認して、すぐにアドラー王に報告しなくては!!

 私は窓際でノートを開いた。
 昔みた時と同じ、ブルービット公爵の歴代の妻達の叫びが記されている。
 ただ、最後のページに、はじめてみる文章があった。

『私はブルービット公爵家で働く使用人です。奥様方が、そして多くの使用人がブルービット公爵によって殺されました。その数は、100人を下りません。ブルービット公爵は、本物の快楽殺人鬼です。この庭園の花壇に殺された者達の死体が山ほど眠っています。公爵が悪人だという証拠になると思います。勇気のなかった私をどうかお許し下さい。私は、奥様方が殺されるのを、ただ見ることしかできなかった。本当に申し訳ございません。私は明日、奉公の任期が終わります。つまり、明日は私が殺される番なのです。この屋敷で長年勤めた私を、公爵様は逃がさないでしょう。いつの日か、この書面があきらかになり、ブルービット公爵が罰せられるよう心より願います。タナ』

 私は書かれた文字を指で撫でながら、この布袋とノートの場所を教えてくれた老メイドの顔を思い浮かべた。
 あの頃、ただ一人、この屋敷で私を気遣ってくれた人。
 そして、私達と同じように、奴の犠牲になった女性。

「……タナ、約束するわ。ブルービット公爵は、絶対に逃がさない……」

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