幼なじみの男の子は男らしい女の子で女っぽい幼なじみは男でした

常陸之介寛浩☆第4回歴史時代小説読者賞

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第二章 学校生活

2-12

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私の母は幼い。

〝若い〟ではなく〝幼い〟。

もちろん、実年齢の話じゃない。

母は、境界知能、と呼ばれる知能レベルにあるそうだ。
(私はそれを、数週間前に知った。ナースステーションで主治医と看護師さんが私の家庭について話をしているのが、たまたま聞こえてきたのだった)

境界知能って何なのか、ネットで調べてみたら、こんなことが書いてあった。

〝境界知能とは、IQが70~84で、知的障害の診断が出ていない人の通称として使われる言葉〟

〝IQの平均は、85~115。
70未満の場合には知的障害と診断される。
境界知能は、知的障害と診断はされないが、平均的なIQの人よりは勉強やコミュニケーションや社会生活に困難さを感じやすい〟

〝学習や社会生活でつまずきやすく、失敗を重ねて自尊心が低くなることがある。また、感情をうまく表現できないので、ストレスをうまく処理できないことがある〟

〝障害者と診断されないので、本人の抱える生活上の困難さをまわりは気づきづらい〟

境界知能について書かれた記事はたくさん見つかった。世の中には境界知能の人がたくさんいるそうだ。

そして、私の母も境界知能だというーー。

母のIQが正常より低いという事実にショックを感じたが、やっぱり、と思う気持ちもあった。

母は、予想外のことがあるとすぐにパニックになる。
不安なことがあると、感情をコントロールできなくなって、周りの人に八つ当たりする。
風邪を引いて病院にいっても、受付事務員や医者の説明を理解できず、怒って病院スタッフとケンカになり、薬をもらわずに帰ってくる。
事務員のパートをしていたことが何度かあるが、いずれも仕事が覚えられずに数ヶ月でクビになった。
両親(私からいうと祖父母)とはそりがあわず、絶縁している。親しい友人もいない。
父ともよくケンカをしている。
家事はひととおりできるけれど、キャパオーバーになりやすい。一度そうなると、いらだちがおさえられず、かんしゃくを起こした子供みたいになる。
そんなとき、母は私に対して一方的に怒鳴ることもあったし、食事を作ってくれないこともあった。叩かれたことも何度もあった。

ヒドイ母親だと思う。
常識的に言って、母は母親になるべき人じゃなかった。
それだけど、私は母を嫌いになれなかった。
むしろ、私の心の中にはいつも母がいた。
母の機嫌が私の世界の中心で、私は母から嫌われることがどんなことよりも怖かった。 
小さい頃からずっとそうだった。
まるで、母というより妹みたいな人だけど、それでも私には母が必要だった。

私を産んだ人。
たった一人の母。
私の命の源。
その人から愛されなくて、誰から愛されるだろう。
私の頭にはそういう考えが強くあって、心の奥深くまでその考えが根を張っていた。

それから、父のこと。

父もまた、感情のコントロールが難しい人だった。
怒ると怖くかった。
怒った時の父の目は、何をしでかすかわからないような目をしていた。例えていうなら猛った獣みたいな、理性の欠落したような目をしていた。

両親がそんなふうだったから、私の家には何度も児童相談所の職員がやってきた。
そして、私が小学生の時、私の両親は児童虐待の認定を受けた。

虐待と認定されたあと、私は両親から分離され、さくら園という施設で暮らすことになった。

私はその時小さかったので、なぜ自分が施設で暮らすことになったのか理解ができなかった。
自分の両親が虐待の認定を受けていると知ったのは、ずっとあとのことだ。

それを知った時、私は心をえぐられるような気持ちがした。

自分が受けてきたことは、誰がどう見ても虐待だったけれど、私はそれを受け入れたくなかったのだ。

ーー私の両親は、私を愛している。
ーー私の両親は、普通の親だ。
ーーうちは普通の家庭だ。
そう信じたい気持ちが私の中にはあった。
そう信じれるわけがない現実があっても、そう思っていたかった。
だけど、その気持ちは打ち砕かれてしまった。

入所してから二年後ーー、
週末だけ両親のもとで暮らせるようになった。しかし、それから一年後、私はまた両親から暴力を受け、週末の外泊がとりやめになった。

私がさくら園で暮らしていた数年の間に、私の両親にはいろんなことが起こった。
近所の人に警察を呼ばれるくらい派手なケンカをしたり、
離婚したり、
またよりをもどして再婚したり、
二人そろってアルコール依存症になったり、
抑うつ状態になったり、
精神科に通い出したり、
過量服薬して救急車で運ばれたりーー、
数え上げたらきりがないくらい、いろんな珍事が起きていたそうだ。

私はというと、中学生になった頃から不眠や抑うつ症状など、精神症状が現れるようになった。
高校生になると精神症状はさらに悪化した。学校にもほとんど通えなくなった。それに、リストカットを繰り返すようになった。それで、今、こうして精神科病院に入院しているわけだった。

「でも、もう,そんなこと関係ないよ」
とレンは言った。

トンネルの下を、私とレンは歩いていた。
車通りの少ないトンネルだった。
オレンジの明かりがともるドーム型の屋根に、レンの声が反響する。

「思い出したくないことなんて、全部忘れたらいいよ」

レンはそう言って私にキスをした。
いたわるような長いキスだった。
一台の車が、キスをしている私たちの横を通り過ぎた。車の運転手が、私たちを横目で眺めていた。

レンは車がそばを通過しても恥ずかしがらなかった。
離すまいとするように、私を抱き寄せる腕。
私の心から悲しみを遠ざけてくれる唇の感触。

「リコが好きだよ」

レンは欲しい言葉をくれた。
母がくれなかった言葉。
父もくれなかった言葉。
私をすっぽり包んでくれる言葉。
私は、レンになら自分の心を預けられると思った。

私たちは、トンネルを抜け、大通りへ出て、ポケットの中にあった小銭で電車に乗って繁華街に向かった。

繁華街を私たちはぶらぶらと歩いた。
時刻は夕方の六時。
早くも酔っ払っているスーツ姿のおじさんたちが、何人か固まって歩いていた。

繁華街には絵を描いている人や、
歌を歌っている人、
踊りを踊っている人がいた。

会社帰り風の人、学生、何の仕事をしているのかわからないような外観の人もたくさんいた。

いろんな人がそこにいた。
誰も私たちのことに気を止めなかった。
私たちは、ここでなら野良猫のように生きられる気がした。

ポケットの中のわずかなお金でゲームセンターで遊んだ。
クレーンゲームやエアーホッケーをした。
あっという間にポケットは空になった。
楽しかったけど、刹那的な楽しさだった。
私たちはすぐに何もすることがなくなった。

街の上にだんだんと夜が訪れる。

私たちには行くあてがなかった。
病院に帰るとひどく叱られることはわかっていた。
無鉄砲に病院を飛び出したことへの後悔と不安が、暗くなるほど心につのってきて私をそわそわとさせた。

本当に野良猫みたいだった。
私たちは何も持っていなかった。
お金も食事も居場所も。
私たちの前には、先の予定がたっていない時間だけがあった。
それは、ぽっかりと空いた穴に似ていた。
そして、私の心の中にも、ぽっかりと穴が空いていた。きっと、レンの中にもーー。
私たちはそれを埋め合わせたくて、
繁華街の外れにある公園のベンチで、しばらく互いの体を抱き寄せ合っていた。
互いの肌の感触が与えてくれる幸福感だけが、私たちの持っているものだった。
私はレンに触れた。
レンも私に触れた。
そうしないといられなかった。
私たちは空っぽだったから。

夜の公園で触れた異性の体の感触は、
いつも過ごしている場所で触れた感触とは違っていた。
指の一本一本が、レンの感触を覚えようとしていた。

「俺が好き?」
とレンは尋ねた。
レンはよくそう尋ねる。

レンは不安がっているのだ。
今、こんなにそばにいるのにーー、
互いに触れあっているのに、それでも不安なのだ。

私はレンの不安な気持ちがとてもよく分かった。
私も同じようにレンに尋ねてしまうからだ。

私たちは、たぶん、互いの気持ちを確認しあっていないと不安になるのだ。

私たちの心には、愛情や幸福の貯蓄がない。
きっとそれを貯める貯金箱に穴が空いてしまっている。
いつでも、そのときに愛情を与えてもらわないと不安になる。
そして、どんなに幸せな時間も、過ぎてしまえば心に残らない。
心には、ぽっかりと穴。
心を包丁で縦にすっぱり切り開くと、
心は薄皮だけになっていて中はがらんどうだ。
だからこそ、私たちは心の穴をうめるために互いに触れたがった。

刹那的な夜だった。

ここが幸福のはじまりであってほしいと思った。

でも、そう願うこと自体、
内心では不幸の始まりを予感しているということかもしれない。

私たちの幸福はどこにあるんだろう。
私は脱走した病院の夏祭りの景色を思い浮かべる。
提灯の暖色の灯りに照らされた中庭、
並ぶ夜店。
屋台に並ぶ焼きそばやわたあめ、たこ焼きのにおい。
それは、あたたかく幸福そうな光景だった。
ほんの少し、帰りたいような気持ちも感じた。
脱走する前はさほど愛着を感じなかった場所なのに、一度離れてしまうと愛着を感じるのはどういうわけなんだろう。

いつもいたはずの病院が、すごく遠い場所みたいに感じた。

幻みたい。

川の対岸に見える明かりみたい。

見えるけど、渡れない場所にある明かりみたい。

私たちはそこを捨てて、どこに向かおうとしているんだろう。

星が静かにまたたいていた。
私たちの呼吸にあわせるみたいに。

私の腕の中でレンの胸が、
レンの腕の中で私の胸が、
ゆっくりとふくらんだり、しぼんだりした。

星あかりの下では、不完全な私たちも、ちゃんとした生き物みたいに感じられた。
心も体も、どこも欠けたところがない生き物みうに。

レンが私のシャツをはだけて、肩にキスをした。
時が止まればいいのに、と、
私は星がまたたくのを見上げて思った。




続く~






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