星渡る舟は、戻らない。

蘇 陶華

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君の存在が輝く色

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胸の鼓動が高まった。
澪は、先ほどまで、父親と言い争いしていた事を忘れていた。
YouTubeで、初めて聞いた時の感動を今でも、覚えている。
「シーイ」
変な名前だと思った。
seaで、海をイメージする名前なのかと思った。
聞いた声。その色は、波の様に打ち寄せるが、それは、海の紺青ではなかった。
「なんだろう」
今も、澪は、その時を思い出している。
それは、五月の新緑の山のように、さまざまな緑色が、何重にもなって、押し寄せる声。
音の波に身を任せる心地良い声。
現在、微かに、シーイの声が聞こえて来る。
途中、アポロンの吠える声にかき消されるが、自分の立つ位置の向こう。
そう、反対側から、シーイと思われる声が、聞こえる。
「どこ?」
澪の持つ、白杖がそこから先には、道が無いことを知らせていた。
昔から、ここに居た澪にとって、公園の中の位置は、全て、把握している。
この先は、侵入出来ない緑地があって、反対側からだけ行ける丘がある。
「そこにいるの?」
微かに、恥ずかしげに、響く歌声。
そして、合間に聞こえるバイオリンの音。
「シーイ」
間違いなくシーイだろう。
そこに行きたい。
澪の視界一杯に、あの時に聞いた声の色が広がる。
「待って」
澪は、急いだ。
その間に、響くバイオリンの音が、不調なのか、変わる。
「これは・・・死の舞踏?」
酷いものだ。
澪は、思わず、笑った。
声の色を見る事はできる。が、今、見ているのは、バイオリンの音色だ。
全く、シーイの声色に合わない。
「ダメよ。この曲は、シーイに合わない」
シーイの表現できる内容ではない。
最初から、この曲を表現するのは、無理なのだ。
そんな事は、気づかないシーイは、バイオリンを続ける。
「とんでもない。不協和音ね」
シーイの綺麗なグリーンが、くすんでいく。
「やめた方がいいのに」
そう思った時に、指先に、何か、温かい息がふれた。
「アポロン?」
だった。家を飛び出した澪を追いかけ、公園の中をまっしぐらに、走り抜けてきたのだ。
「アポロン。お願い、シーイの所に連れて行って」
澪は、シーイと歌声が聞こえてくる向かいの丘に、連れて行くように伝えたが、もう、声は聞こえなかった。
「アポロン。もう、聞こえなくなってしまったわ。アポロンの耳には、聞こえるんでしょうね」
そっと、首筋に触れるが、アポロンは、道のない丘へとは、行く事ができなかった。


どんなに練習しても、満足できない。
海は、苦戦していた。
課題曲が、簡単な訳がない。最初から、期待していた訳ではないが、難易度が高く、
最初から諦めていた。
「その曲は、お前に合わないと思うけどな」
寧大は、初めから、そう言っていた。
「自分で、表現したい事と、決められた事を表現するのは、別だと思うんだ」
寧大の持論だ。
「お前には、お前にしかできない表現をすればいい。そんな曲、弾くな」
「決められた曲を弾くのが、仕事なんだよ」
「矛盾してないか?」
いつもより、厳しい顔で、海のバイオリンの弓を抑える。
「自分で、表現したいお前が、決められた事を表現できる訳がない。違う事、選んでるよ」
確かに、そうだ。自分で、望んでいないのに、自分から、枠に収まろうとしている。
「できなくて、当たり前か」
海は、バイオリンを、肩から、下げた。
練習しても、できない。
僕は、違う事をしている。
もう、帰ろうか?
そう思った時に、丘の向こうから、現れた犬に海は、声を上げた。
「君は?」
いきなり飛びつかれ、危うく、バイオリンを落としそうになった。ハーネスを付けていないが、このゴールデンは、あの朝の白状の女性を連れた犬だった。
「アポロン!」
遠くから、道のない斜面で、立ち尽くす女性の姿があった。
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