星渡る舟は、戻らない。

蘇 陶華

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姿なき君の色

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雨が窓を打ちつけている。外は、嵐になっているのだろうか。雨の匂いが、部屋の中にまで、満ちている。
「澪。ここに置いていくわね。10時の方向」
母親が、暖かいコーヒーを運んできた。10時の方向とは、テーブルに置いたコーヒーの場所。テーブルを時計に見立て、10時の方向に、コーヒーを置いたクロックオプションだ。
「うん」
「そうそう、落ち込まないで。アポロンまで、落ち込んでいる」
「アポロンが、落ち込んでいるのは、外に出れないからだけ。私とは、違う」
足元では、ハーネスを外されたアポロンが、横になっていた。手足を伸ばして、口角を緩めた姿は、盲導犬とは、思えないほど、間抜けである。
「外に出る時は、アポロンを連れて行く事ね。もしくは、必ず、声をかけて」
母親は、自分の事が心配でならない。すぐ、送迎しようとする。自分、1人で、外出だってできるのだ。事故に遭ってから、過保護で困る。あの時、両親は、自分を失ったと諦めたようだが、大きな犠牲もあり、こうして、戻ってきた。できる事は、自分で、行いたい。コンビニだって、バイトの高校生と友達になれた。何処にだって、自分で、出かける。失うものは、もう、何もないのだから。それなのに、捻挫してしまった。まだまだ、街は、障がい者に優しくない。点字ブロックの上に、自転車が停めてあったせいで、転倒し、足を挫いてしまった。通りがかった、親子に助けられた。アポロンを連れて行かなかった事を、母親に責められた。何より、がっかりしたのは、自宅で、しばらく過ごす事だった。仕事も、ネットに頼るざるを得なかった。
「ストレスが溜まっているのは、アポロンだけじゃないのよね」
アポロンは、外に出かける方が、ステレスかも。そう、思った。お仕事中は、緊張して、トイレもできない。動物虐待しているような気がして、あまり、盲導犬の使用者には、なりたくなかった。だから、なるべく、家にいる時は、自由にしている。大事にしている利用者は、たくさんいるのだ。それは、アポロンもわかってくれているだろう。母親が、部屋を出て行くと、少し、ホッとする。あの日、以来、母親は、自分に異常に干渉してくる。それが、負担である。
「気持ちは、わかるんだけど」
感情が、波打っている。母親の声の奥には、何故か、小さな怒りの炎が見え隠れする。澪は、Siriにyoutubeを検索する様に、伝える。この間の、ネットサーフィンで見つけたチャンネル。
「ようやく見つけた」
2人の男性が、じゃれ合いながら楽器を演奏したり、歌を歌い合うチャンネルだ。ギターが、物凄く下手で、片方の男性が、バカにしていた。年頃の男性の会話内容が、面白く、自分の置かれた立場を忘れさせてくれる。彼も、生きていれば、この位の年齢なのだろうか。
「もすごく、下手」
聞くに耐えない。だけど・・・合わせて、相手の歌声に惹かれてしまった。
「これは・・・」
柔らかく若葉のような色を帯びた歌声。どこかで、聞いた事があるその声。それは、最近ではなく、ずっと、昔。懐かしい歌声。
「まさか・・・」
記憶を辿るその声。思い当たるのは、あの日に亡くした彼の声とよく似ていた。
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