上 下
21 / 21

永遠に

しおりを挟む
 
 能力を使用する直前、彼は少し前の会話を思い返していました。

「それですべてですか、貴方のお話は」

「そうだよ。ちょっと話しすぎたくらいだ」

 計画の確認が済んでもなお、使用人の男は彼に詰め寄ります。

「…………嘘はなさそうです」

 睨め付けてくる三白眼気味の眼の下には、ちょっとやそっとでは消えそうにない隈がくっきりと刻まれていました。

 彼の胸には、一日中飛び回ってくれた彼に対する感謝がとめどなく湧き上がってきます。

「そんな残念そうに言われても」

「貴方にはそう見えますか。わたくしは、どちらかというと警戒していました。貴方は、民のためであれば、どのような大胆な嘘をも厭わない。……手段を選ばないお方です」

「私の事をいちばん理解していたのは、君だったね」

 彼が本心からそう言えば、男は軽く受け流します。

「ご冗談を。わからない事ばかりでしたよ」
 
 確かに彼は嘘吐いてはいませんでしたが、ひとつ、大きな大きな隠し事を抱えていました。

 しかし、切れ者のあの人魚のこと。悟ったうえで見送ってくれたのだと考えたほうが自然です。

「貴方にお仕えできた事が、わたくしの生涯の誉れです」

 彼は畏まって深く一礼をしたまま、頭を上げる気配がありません。それはまるで、彼が王室に仕える姿勢を体現しているかのようでした。

 

「いい仲間に恵まれたな、私も」
 
 彼が側近の男にも明かさずにいた事――――……それは、国とともに自分も散るという事実、その決意。

 もし詳らかにしていたなら、彼もここに残ると言って聞かなかったはずです。

 誰よりも高い忠誠心を掲げた美しい青い鱗の男は、いつも紫色の鱗を持つ人魚たちに羨望の眼差しを向けていました。

「紫か……。そういえば、あの子が憧れたドレスも紫色だったな」

 彼は、交わることのない世界の住人だったはずの恋人に思いを馳せます。

「ふふ。懐かしい」

 彼女はよく、一人の老婆の話を聞かせてくれました。年は離れているけれど大切な友人がいるのだと。

 彼女はその人を『おばあちゃん』と呼んでいるようで、その『おばあちゃん』がいるから、あなたと会えない期間もなんとか生きているのだと話していたのを覚えています。
 
 一度も会う事なく世を去ってしまいましたが、血の繋がった家族もおらず、それまで天涯孤独だった彼女に沢山の愛情をかけて育んでくれたその老婆は、間違いなく彼の恩人でもありました。

「私の事もきっと、大好きな『おばあちゃん』に話していたんだろうね」

 彼は、彼女のそばにいてやれなかった事が終生の心残りでした。種族を、生息可能域を理由にして、自分を優先しているとすら思ってしまうほどに。

「いい恋人じゃなくて本当にごめんね。でも、他の誰にも渡したくなかったんだ。君を想う私の心もきっと……ずっと紫色をしていた」
 
 覚悟を決めて数時間。彼は長いようで短い一生を少しずつ振り返ってきました。

 思い出すのは彼女の事ばかり。死後、努めて閉じ込めてきた彼女への想いは、何年経とうと色褪せていません。

 『おばあちゃん』を亡くし、自分ともなかなか会えなくなっても、最後まで生き抜いた彼女。

 彼は怖気づきそうになるたび、彼女の生き様を思い出し、自らを奮い立たせるのでした。
 
 しかしながら、いつまでも思い出に浸っているわけにはいきません。

 名残惜しさを振り切って、行動を起こさなくては。彼は目的地へと急ぎます。

 

 いよいよすべてに終止符を打つとき。彼はなにか光るものを見つけました。

「なんだろう? こんなところまで来る人魚なんて、私くらいだけど……。姉さんか誰かが来ていたのかな」

 現在位置は国の中心……その最深部でした。

 入口がわかりにくい構造になっており、ほとんどの人魚は存在も知らない場所です。

 疑問に思いつつも、半分ほど埋まったそれを手に取ります。

「これは……ブローチ? 見覚えがあるような気がするけど、なんだったかな…………」

 拾い上げたものはプラチナ製のブローチでした。

 人間の持ち物がどうしてこんな場所にあるのでしょう。光るものを好む魚たちがどこかから運んできたのかもしれません。

「いや、そんなはずはないか。きっとよくあるデザインなんだろう」

 六角形に加工されたそれは、昔、彼女と待ち合わせたあの大岩を彷彿とさせます。

「……ん? このデザイン…………まさか!」
 
 繊細な細工のブローチを眺めていた彼の脳裏に、ある日の彼女とのやりとりがよみがえってきました。



 風景がどこも灰色に煙る頃。その日も二人はいつものように平たい岩の上で、のんびりお喋りをしていました。

「それ、可愛いね。君によく似合ってる」

 彼は彼女の胸元に輝くブローチを指して微笑みます。

「ありがとう! わたしも気に入ってるの。この前、おばあちゃんがくれたんだ」

 質素なコーディネートの中でひときわ目を引くその飾りは、見るからに上質な素材で作られていました。

「ああ、クリスマスプレゼントかな? 珊瑚のような形をしてるね」

「そうそう。これね、雪の結晶を象ってるんだって」 

「なるほど、雪か……。いまの季節にぴったりだね」

 彼女は極寒の中でも、変わらず海に通い詰めていました。

 冬のあいだ、待ち合わせの場所まで小舟でやってきます。他の季節ほど長くは過ごせませんが、それでも二人は幸せでした。

「うん。でもね、わたしにはこれ……雪の結晶じゃなくて、そこの大きい岩に見えるの」

 彼女は二人が出会って以来、目印にしている大岩を見つめて言いました。変わった形のその岩は、今日も二人を見守るように聳えています。

「……本当だ」

 ブローチと岩を見比べ、感嘆の声を漏らす彼。にっこり笑った彼女は、彼の手を胸元へと持っていきます。
 
「だから、あなたにも見せたくて」

 二人は思わず見つめ合い、どちらからともなく口付けを交わします。一段と寒い日の出来事でした。




「僕は君を一人にしてしまったのに……君は死んでからも僕に寄り添ってくれるんだね…………」

 彼は雪の結晶を握り締めたまま、堪えきれずに嗚咽を漏らします。

「これからは、ずっと一緒だよ……」
 
 

 その日、海底では、一つの王国をまるまる呑み込む規模の噴火が起きました。大量の火山灰は雪のように降り注ぎ、すべてを覆い尽くします。

 そして、生命の絶えたその国は、ひっそりと永遠の眠りに就きました。




END

しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...