三千世界の鴉なんて殺さなくても、我々は朝を迎えられる

片喰 一歌

文字の大きさ
上 下
163 / 187
HONEYDEW RAIN

HONEYDEW RAIN<XXXIV>

しおりを挟む

「「………………」」 

 彼は身体のどこもわたしにぶつけることなく湯船におさまった。なにか話すべきかと思ったけれど、なにも思い浮かばないあたまがまっしろだ。そして、会話の上手な彼も同じ状況らしく、しばらくは無言の状態が続いた。

「あ。そういえば言ってなかったね。お邪魔します♡」

 沈黙に慣れて声には出さずに時間を数え始めた頃、彼が思い出したように声を上げた。そんなのわたしだって忘れていたからいいのに、律儀なひとだ。

「え!? ……う、うん。全然邪魔じゃないから、お構いなく……?」

「あはは♡ なにそれ♡♡ 『お邪魔します』に『邪魔じゃない』って返されたのはじめてだよ♡ ……かわいいなぁ、もう♡♡」

 小さく笑い続ける彼の息がうなじや肩に当たるのと、後れ毛がふわふわと肌を撫でてくるのが擽ったい。
  
(いつもの君だったら…………というか、服着てたらぎゅーってしてくれてたよね。いまも気にしないでしてくれていいのに。前にきてもらってたらわたしからもできたのに、選択間違えたかなぁ。思いきって振り向いて飛び込む……のもできなくはないけど……!)

 ひとりで浸かっていたときよりも大きく揺れる水面も、わたしの気持ちを反映しているみたいだ。
 
「実は俺さ、こういうことするの夢だったんだよね♡♡」

 ひとしきり笑った彼は、肘を浴槽の縁にかけた。

「こういうことって?」

「彼女と一緒にお風呂入るでしょ?♡♡ ……で、いまみたいな形で湯船浸かるの♡♡ きみが俺の前にいて、俺がきみの後ろにいてまったりおしゃべりする……っていう、いまのこのシチュエーションが理想で♡」

 バスルームの反響度合を考えてか、普段より抑え気味のトーンの声は少し大人っぽく聞こえる。

「そうだったの?♡ でも、この座り方自体は前もしたことなかった?♡ 大ヒットした昔のホラー映画観たときに…………」 

「あぁ、あれね♡♡ きみがめちゃくちゃ怖がって、途中から俺の胸にすっぽり収まっちゃった作品♡♡」

「あのときはごめんね……。前から観たがってた作品なのに、全然集中できなかったんじゃない?」

 彼が指定した作品は十年以上前の作品だからか、昨今の作品とは違い映像が洗練されておらず、また幽霊や超常現象といった明確なホラー要素を抜きにしてもなかなか陰鬱な内容で、半分ほどで視聴を投げてしまったのだった。

「いや、ばっちり楽しんだよ♡♡ それに、映画に集中したかったら最初からひとりで観るし♡ 彼女と一緒にホラー観るなんて、イチャイチャする口実に決まってるでしょ♡♡ あの日はたくさん甘えてもらえて嬉しかったなぁ♡ 普段からあれくらい甘えてくれていいんだよ?♡♡」

 頭の向きは動かしていないけれど、わたしの視線は浴槽の縁に置かれた筋張った腕に集中していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

処理中です...