三千世界の鴉なんて殺さなくても、我々は朝を迎えられる

片喰 一歌

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Interlude

Interlude<XVIII>

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「ガタガタうっせぇなぁ。デキたら堕ろせばいいだけじゃねぇか。金なら出してやるよ」

 彼が面倒くさそうにあくびをした瞬間、なにかがぷつんと音を立てて切れた気がした。

 か細い信頼の糸だったかもしれないし、堪忍袋の緒だったのかもしれないが、いまとなっては知る術もない。もっとも、当時からそれがなんであれ、どうでもいいと感じていたのは確かだ。
 
(……なに甘いこと考えてたんだろう。人のこと平気で殴ったり蹴ったりできる人が優しいはずなかった。『この人はわたしに手を上げない』んじゃなくて、『この人はわたしには手を上げてない』だけだ)

 元々、熱を上げていたわけではなかったから、『百年の恋も冷める』や『夢から醒めた』といった言い回しは不適格だ。

 冷めるほどの恋をわたしはしていなかったし、醒めるまでもなくわたしは夢を見ていなかった。

(この人は自分のことしか考えてない。妊娠も出産も、直接負担がかかるのは女性だけだ。……お金も出さない最低のクズより少しましなだけ。……というか、手術費用だけで済ませようなんてみみっちいし、そんなことないか。どっちもクズだ。もうこんな人、この先の人生に登場させたくないなぁ……)

 彼は他にもなにか喚いていた気がするけれど、自分の考えをまとめるのに忙しくて、聞いていられなかった。

「…………やだ」

 言葉が途切れた隙間を狙って、いちばん伝えたいことだけを声に出した。

「あ?」

 威嚇が返ってきたけれど、ただの反射でそれが彼の習性なのだろうということは、意外そうに持ち上がった眉を見ればわかった。

 恐怖でしか人を動かせないなんて、なんてみじめな人なんだろう。

 あいにく、そんな人に同情できるほど優しくもなかったけれど。

「嫌だって言ってるの! 堕胎手術ってすごく痛いって聞くし、自分が気持ちよく出すことしか考えてなくて、作った命の責任を取るどころか命を命とも思ってないような人とは、避妊しててももうシたくない!!」

 啖呵を切り、急所を蹴って、無駄に大きな身体の下から脱出する。彼が着衣セックスを好んでいたことにこれほどまでに感謝したことはなかった。

「……っ!!!」

 悶える彼が転がっていき、天井を仰ぐ。

 いま思えば、トドメに股間を潰してもよかったかもしれない。
 
 しかし、急所を押さえて転がり回っている姿が殺虫剤をもろに受けてのたうち回っている害虫のようで滑稽だったことと、逃げることを最優先事項に設定していたことから、そのときのわたしは、乱れた制服のままで彼の家を出てくることしかできなかった。
 
(……次に付き合ったパチスロ狂いの彼は、ナマでシたがることはなかった。お金なかったし、一時的に持っててもすぐにすっからかんにしちゃう計画性のない人だったけど、自覚あるだけましだったのかな。でも、やっぱりどっちもクズだし、どんぐりの背比べか……)

 一連の出来事に救いがあるとしたら――――。
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