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グッド・ナイト・タイム

グッド・ナイト・タイム<Ⅱ>

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「二度目のただいま~。さぁ、これでもう今日はくっつき放題だよ! きみが望むならいつまでも、ね?」

 部屋の入り口のほうから、この時間にしては若干大きめの声が聞こえて、意識が急浮上する。彼はわたしを喜ばせるのがとても上手だ。わたしは彼を待つあいだ、ベッドに腰を下ろしてビジネス書と睨めっこしていたのだが、勝敗は言うまでもないだろう。

「…………って、寝ちゃった? 俺、滑った感じ? とりあえず、横にしたほうがいいかな」

 ああ、そうか。心地好いその声に浸っていないで返事をしないといけなかった。丸まった背中を伸ばし、眠い目をこする。頭蓋骨の重みで首が痛い。

「んぅ……? おかえりなさぁい……。えっと、『かっこにどめ』…………」

「かっこにどめ……? あぁ、『(二度目)』って事か! 口頭で文章表現とはまた斬新だね。お姫様はおねむかな?」

 寝惚けてよくわからないことを口走ってしまったと思ったけれど、彼はわたしのおぼつかない表現がお気に召したらしく、いつにもましてご機嫌だ。徐々に頭が冴えてくる。

「ちょっとうとうとしちゃってたみたいだけど、もう大丈夫」

「ならよかった。なにしてたの?」

 ぽすん、と隣に腰掛けた彼は、わたしに問う。こんなふうに不在時の行動にも興味を示してくる彼の手前、なるべく有益そうなことに時間を使うと決めていた。嘘を吐くなんて以ての外。

「本をね、読んでたの」

「本って、なんの?」

 と言いながら、手元を覗き込む彼。腕同士がぶつかったけれど、全然気にならない。それどころか、もっとくっつきたいなんて思ったりして。

「投資関連の」

「きみ、そういうの好きだったっけ? あ、もしかして最近のマイブーム?」

 ひっくり返して持っていた本の表紙を見せると、彼は戸惑った様子で立て続けに訊いてきた。動転したときに相手の真意を探ろうとしてしまうところはわたしと似ているかもしれない。

「ううん、全然好きじゃないしブームでもないよ。でも、せっかく読むんだから役立ちそうなのを……と思って選んだはいいけど、眠くなっちゃって。だめだねぇ、わたし」

「だめなんかじゃないよ、偉いくらいだって。俺も見習わないといけないなぁ」 

 眠気に逆らえなかった自分が情けなくて縮こまっていると、彼はふいにわたしの髪を掬い、ぽつりと漏らす。シャンプーの香りがふわりと舞った。
 
「…………でも、ちょっと心配」

「心配?」

「きみは物事を要不要で考えてるところがあるから。その二択で迷ったら……いや、のかもな…………」

 まだ本を見つめている彼は、複雑そうな表情を浮かべた。 

「えっと、どういうこと?」

「きみは『必要だと判断したもの以外には見向きもしない』気がしてさ」

「誰だって取捨選択をして生きてるでしょ? 迷ったときは、必要なほうを選ぶんじゃないの?」

 彼の言うことは、ときどきとても難解だ。必要なほうを取らずにあえて不要を取る意味なんて、どこにあるのか。

「うん、大体はそうだろうね。だけど、きみの場合……それが少し過剰なんじゃないかと思うんだよ。真面目すぎるというかさ」

「そう? そんなことないと思うけど」

 そこまで心配しなくても大丈夫なのに、なにを憂いているのだろう。真っ直ぐ見つめ返せば、彼はその視線を受け止めて口を開いた。

「…………わかった。じゃあ、いまから俺の質問に答えてくれる?」
  
「もちろん」

 二つ返事で了承した直後に、再び忘れかけていた問題を掘り起こされることになろうとは。

「『クリスマスプレゼント、なにが欲しいか決まった?』」

 今年だけで何度同じことを尋ねさせてしまっているのだろう。
 
「……ごめんね。まだなの」

 なんとなく気まずくて俯いてしまう。こんなに優柔不断では投資には不向きだろうし、もっと先に考えるべきことがあったのに。

「うん、やっぱりだ」

「やっぱりって?」
 
「きみはどんなときも要不要を重視してるんだなぁと思って。善悪って言い換えてもいいかな。きみは常に『要』もしくは『善』を選択することを自分に課してるんだろうね」

 彼はひとりで納得しているようだが、少し買い被りすぎではないか。そう言いたい気持ちをぐっと堪えて、最後まで黙って聞いていることにした。

「……あのね。確かにそれは正しいし、立派だ。それに、生きていくうえである程度必要なスキルでもある。でもね、好悪がそれに打ち勝つことがあったっていいんだよ。きみが望むなら、他の人に『いらない』って言われるものだって選んでいい……。ひねくれてる人は『だめ』なんて言うかもしれないけど、本当は別にいけないことなんかじゃない。『好き』を優先させるのは」

 彼の言う事は、やっぱりとても難解だ。善悪や要不要よりも好き嫌いに基づいた判断をしてもいい、だなんて……。間違っているとは思わないけれど、わたしには真似できそうにない。長年繰り返したパターンを変えるのは怖い。ふたりきりの生活に終止符を打つことも同じ。……尻込みしてしまう。一新というほどの大幅な変化ではないとしても。

 でも、それを言うなら、わたしはちゃんと『好き』なものを選んでいる。結婚相手は最高に大好きなひとだし、ふたりだけの結婚生活だってそう。『子どもを作っていない』のも、わたし自身がそれを望んでいたから。少なくとも、いままでは。彼のおかげで少しずつわかってきたかもしれない。

「もうひとつ、質問するね。『きみの好きなものってなに?』」

「好きなもの? それは物質限定で?」

 ピンポイントで考えているのと同じことを問われるなんて。心を読まれてしまっているみたいで、どきどきしながら聞き返すと、彼はなんてことなさそうに言った。

「ううん、形あるものじゃなくたっていいさ。自由になんでも考えてみてほしいな。まぁ、目に見えて手に取れるものだったら、プレゼントの参考になっていいと思うけどね」

 形のない『好き』なら自分でも見つけられたから、次は彼の導きで、優先順位に埋もれた『好きな“はず”のもの』を掘り起こそうともがく。いい香りのする入浴剤? お母さんの作ったグラタン? それとも、ガラス細工の置物だろうか。なんだかどれも『合っているのに違う』気がする。
 
「なるべく物質縛りでと思ったんだけど……わからないや。思いついたものがないわけじゃないの。でも、どれも嫌いじゃないけど好きって言えるほどのものでもない気がしたり、特定の人じゃないと用意できないものだったりして」

「そっか。頑張ってくれてありがとう。いきなり変なこと言い出してごめんね」

 言いにくくて言葉を濁せば、それ以上深追いすることもなく、自分が悪かったみたいに謝ってくる。あなたはどうしてそんなに優しいの? わたしにだけ特別? それとも……。気分が急激に沈んでいく。それを知ってか知らずか、彼は続けてこう言った。気のせいでなければ、珍しく緊張しているように見える。

「じゃあ、質問を変えよう。『寝る前に、俺とこんなふうにスキンシップする時間は無駄?』」

 思いもよらぬことを訊かれ、軽く驚く。さっきで終わりだと思っていた質問はまだ続いていたらしい。

「どうして急にそんなこと…………」

 彼は膝に置かれたわたしの手に自分のそれを重ねる。入浴前に感じた冷たさは微塵もない。
 
「夫婦間のセックスを『夜の営み』って言うことがあるよね。きみはそれも必要なものとして、つまり義務感で仕方なく俺に付き合ってくれてるのかな? ……ってちょっと気になっちゃって。俺は最低な男だから、大好きなきみに触れられるだけで嬉しいけど、もしそうだったら申し訳ないからさ……。嫌だったら、ちゃんと言ってね。セーブするように頑張るから」

 申し訳なさそうに吐き出された言葉で、二つの質問の意味を遅れて理解する。不安にさせた挙句、誤解まで生んでしまっていた。この誤解を解くためには、なんだってしよう。もう恥ずかしがってる場合じゃない。ちゃんと伝えなきゃ。『大好き』って気持ちを全身で。ひそかに決心したはいいものの、今度は別の問題が持ち上がる。でも、どうやって?
 
「ううん、嫌じゃない。嫌じゃないよ……! わたし、あなたにひっついてるときがいちばん幸せ。一緒にごろごろしてるのも、えっちするのも好き。だから、セーブするなんて言わないで?」

 わたしは許可も取らず、向かい合うように彼の脚を跨いで膝に乗り、首に腕を回した。裾が上がって服の下が見えそうになるのもお構いなしに。少しのあいだ、信じられないものを見たような目をしていた彼だが、すぐにその目を眇めると、蠱惑的な雰囲気を纏い始める。

「きみが無理してるわけじゃないってわかって安心した。しかも、煽り文句のおまけ付きなんて……。もう遅いし、さっきまで眠そうだったから、今日は添い寝だけにしておこうかと思ったんだけど」

 彼の吐息が首筋に当たる。そういえば、彼にもその気になってほしくて、こんな時期なのにデコルテまで露出したミニワンピースタイプのルームウェアを着たんだった。

「さっきの、添い寝のお誘いじゃなかったんだよね?」

「…………うん。お仕事で疲れてるのはわかってるんだけど」

 自分の欲深さを後ろめたくて小声になってしまう。しかし、彼は一切気にしていないらしく、がばっと勢いよくわたしを抱き締めた。

「ぬか喜びじゃなくてよかった! きみも同じ気持ちだったみたいで嬉しいよ。……ねぇ、最後まで付き合ってくれる?」

 こくんと頷けば、直後、視界が遮られ、唇が触れ合った。
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