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薄翅蜉蝣
第十四夜
しおりを挟む「ただいま。……って、誰もいないんだった」
同棲二日目――実質的には一日目かもしれないが――にして、帰宅の挨拶をすれば返事が返されるものと思い込んでいたが、同居人が留守にしている可能性を考慮していなかったとは。
「…………『翠、おかえり』」
なかった事にしてしまうのも寂しいと、脳内に彼女を召喚し、その通りに口に出してみた。
「ダメだ、全然似ない」
しかし、羞恥心から生み出された物真似は過去最低の出来で、苦笑とセルフツッコミを動員せざるを得なかった。
「紅さんは……帰ってきてない。セーフ」
玄関扉を振り返り、耳を澄ませて、外から物音も気配もしない事を確認してから、やっと荷物を下ろす。
汗を吸ってぐしゃっとした持ち手のみならず、所々が奇妙なバランスで積み重なった商品の形にぼこっと盛り上がったエコバッグの不格好さになんとなく励まされて、洗面所に向かう。
裸足にぺたぺた張り付く床は、ひやりとしていて気持ち良かった。
「まずは…………」
買った物を冷蔵庫にしまうよりも先に、一番上からお目当ての物を取り出した。
立ち寄ってみたスーパーで特売していた、種ありの巨峰だ。
「いただきます」
さっと洗ってぽいっと投げ込んだ一粒目は特別大きく瑞々しくて。
「……うん。やっぱり美味しい」
もう一粒、もう一粒……を繰り返しているうちに、たわわに実っていた果実が劇的なダイエットに成功した所で、残りは食器棚から発見した涼しげなガラスのフルーツ皿に出した。
「こんなお洒落なお皿持ってるのに、食器棚の肥やしにしてるとか勿体無い。やっぱり貢ぎ物とかかな……。まあ、物に罪はないし、そういう所も紅さんらしいか。誰から貰ったとか以前に、貰った事も忘れてそう」
夕飯を食べられなくなるというのもあるし、以前、種ありと種無しの巨峰について力説した際に『ホントに翠が思ってるほど違う?』と首を捻っていた紅さんにも食べてほしかったから。
「全然違うのに。……でも……」
フルーツ皿に盛られた巨峰を眺めていると、行きつけのバーでの攻防が頭を過った。
「あの店の盛り合わせに入ってるのはない方だし……。前ほど気にならなくなってきたかも。こっちのが好きなのは変わらないけど。慣れてきただけじゃなくて、どんどん美味しいの作れるようになってきてるのかな。……そうだよね、種無しの巨峰なんて昔はなかっただろうし……」
私があの店でフルーツ盛り合わせを頼む事はほぼないが、彼女はこれまでに数度頼んでおり、その度に巨峰を勝手に私の口に運んでくる。
一応は抵抗を試みるのだが、『口、開けなくて良いの? ここでキスするよ』なんて脅すものだから、今の所、勝負は紅さんの全勝だ。
「早く帰ってこないかな」
だが、それを望むなら、急がなくてはならない。
フルーツ皿を冷蔵庫に入れ、夕飯の準備に取り掛かった。
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