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薄翅蜉蝣
第十三夜
しおりを挟む「誰もその人の代わりに出来ない事…………」
紅さんを見送った後も、私は彼女の用事が何なのか考え続けていた。
「もしかして、通院……とか?」
今のところ、一番納得出来る答えだ。
「そういえば、前に…………」
初めてお邪魔した時、彼女は『薬を飲む』と言って台所に消えたではないか。
知り合って間もない客人を玄関に放置してまで服用しに行ったという事は、相当に緊急性の高い――例えば、発作を止める作用のあるような――物だったのかもしれない。
「疾患の有無なんて見ただけじゃわからない場合も結構あるし。命に関わるような病気じゃなくても、経過観察が必要だったりする感じで、今日もそのために……?」
昔、生理痛がひどくて、優先席に座った時の事を思い出す。
当時は電車通学の高校生で、時間帯はラッシュアワーだった。
優先席で冷や汗を掻きながらひどい腹痛に耐えている女子高生の私には、冷たい視線が向けられた。
人々が押し合いへし合いしている中、健康な若者がゆったり腰掛けているように見えたのだろう。
マタニティマークを付けた妊婦さんや杖を突いている人と違って判別しにくかったのは理解出来るが、あの時の私には、混雑時であろうがなかろうがそこにいる権利があったのに。
属性を判別するためだけの無遠慮な観察なら喜び勇んでするくせに、肝心な所には誰一人として気付かないで。
――――あるいは、気付いていながら無視をして。
空いている時間でさえ、健康に見える人がそこに座っていると、感じ悪く睨む人もいる。
必要としている人がその場にいなければ、混雑時であろうと誰でも利用すれば良いのに、馬鹿みたいだ。
そこまで考えて、手の中のぬいぐるみを潰しそうになっている事に気付き、ぱっと握り込んだ手を開く。
「……嫌な事思い出しちゃった。買い物行ってこよう」
貰ったばかりの鍵を掛け、大事にバッグの中に仕舞い込む。
「顔だけ出したら可愛いかな。……本当は全身見せたいけど、ここは妥協しないと」
脳内には、さらに昔の記憶がホームビデオよろしく流れてきた。
幼稚園児の時、お気に入りだったキャラクターのキーホルダーがボールチェーンタイプで、遠足用のリュックサックに付けたは良いが、上手く留められていなかったのに気付かずにどこかへ落としてしまって、結局そのまま見つからなかったという、これまた苦い経験の――――。
「留め具だけ落としにくいのに替えちゃダメかな……」
家の前で念入りにボールチェーンを確認する姿は、鍵をなくした人に見えていたかもしれない。
「ごめんね。そろそろ出掛けなきゃね」
と、エメラルドグリーンの猫に話し掛けて、はっとした。
スペアとして持っていた物を譲ってくれたのかと思っていたが、鮮やかな赤を好む紅さんが、この色のキーホルダーを付けていたとは考えにくい。
最初から私に渡してくれるつもりで用意してくれたのかもしれない。
思わず鼻を近付けると、その猫は真新しい匂いがして、彼女以外に見せる予定のない色の付いた唇が弧を描く。
トレンドカラーのパンプスが立てる音も、昨日より陽気に弾んでいた。
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