モヒート・モスキート・モヒート

片喰 一歌

文字の大きさ
上 下
63 / 171
薄翅蜉蝣

第十三夜

しおりを挟む

「誰もその人の代わりに出来ない事…………」
 
 紅さんを見送った後も、私は彼女の用事が何なのか考え続けていた。
 
「もしかして、通院……とか?」

 今のところ、一番納得出来る答えだ。

「そういえば、前に…………」

 初めてお邪魔した時、彼女は『薬を飲む』と言って台所に消えたではないか。

 知り合って間もない客人を玄関に放置してまで服用しに行ったという事は、相当に緊急性の高い――例えば、発作を止める作用のあるような――物だったのかもしれない。

「疾患の有無なんて見ただけじゃわからない場合も結構あるし。命に関わるような病気じゃなくても、経過観察が必要だったりする感じで、今日もそのために……?」
 
 昔、生理痛がひどくて、優先席に座った時の事を思い出す。

 当時は電車通学の高校生で、時間帯はラッシュアワーだった。

 優先席で冷や汗を掻きながらひどい腹痛に耐えている女子高生の私には、冷たい視線が向けられた。
 
 人々が押し合いへし合いしている中、健康な若者がゆったり腰掛けているように見えたのだろう。

 マタニティマークを付けた妊婦さんや杖を突いている人と違って判別しにくかったのは理解出来るが、あの時の私には、混雑時であろうがなかろうがそこにいる権利があったのに。

 属性を判別するためだけの無遠慮な観察なら喜び勇んでするくせに、肝心な所には誰一人として気付かないで。

 ――――あるいは、気付いていながら無視をして。
 
 空いている時間でさえ、人がそこに座っていると、感じ悪く睨む人もいる。

 必要としている人がその場にいなければ、混雑時であろうと誰でも利用すれば良いのに、馬鹿みたいだ。

 そこまで考えて、手の中のぬいぐるみを潰しそうになっている事に気付き、ぱっと握り込んだ手を開く。
 
「……嫌な事思い出しちゃった。買い物行ってこよう」

 貰ったばかりの鍵を掛け、大事にバッグの中に仕舞い込む。

「顔だけ出したら可愛いかな。……本当は全身見せたいけど、ここは妥協しないと」

 脳内には、さらに昔の記憶がホームビデオよろしく流れてきた。

 幼稚園児の時、お気に入りだったキャラクターのキーホルダーがボールチェーンタイプで、遠足用のリュックサックに付けたは良いが、上手く留められていなかったのに気付かずにどこかへ落としてしまって、結局そのまま見つからなかったという、これまた苦い経験の――――。

「留め具だけ落としにくいのに替えちゃダメかな……」
 
 家の前で念入りにボールチェーンを確認する姿は、鍵をなくした人に見えていたかもしれない。
 
「ごめんね。そろそろ出掛けなきゃね」

 と、エメラルドグリーンの猫に話し掛けて、はっとした。
 
 スペアとして持っていた物を譲ってくれたのかと思っていたが、鮮やかな赤を好む紅さんが、この色のキーホルダーを付けていたとは考えにくい。
 
 最初から私に渡してくれるつもりで用意してくれたのかもしれない。

 思わず鼻を近付けると、その猫は真新しい匂いがして、彼女以外に見せる予定のない色の付いた唇が弧を描く。
 
 トレンドカラーのパンプスが立てる音も、昨日より陽気に弾んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

身体だけの関係です‐原田巴について‐

みのりすい
恋愛
原田巴は高校一年生。(ボクっ子) 彼女には昔から尊敬している10歳年上の従姉がいた。 ある日巴は酒に酔ったお姉ちゃんに身体を奪われる。 その日から、仲の良かった二人の秒針は狂っていく。 毎日19時ごろ更新予定 「身体だけの関係です 三崎早月について」と同一世界観です。また、1~2話はそちらにも投稿しています。今回分けることにしましたため重複しています。ご迷惑をおかけします。 良ければそちらもお読みください。 身体だけの関係です‐三崎早月について‐ https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/500699060

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

処理中です...