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短夜

第二夜

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 金曜だったか土曜だったか。

 夏至の頃、自宅のエアコンが不調になり、私は仕方なく涼を取れる場所を求めて行きつけのバーに来ていた。

 恋人はいるが、お気に入りの場所なんて教えて別れた後に出会したら気まずいから、ここに連れてきたことはない。

 ここは私だけの行きつけだ。いつかは別れる恋人になど、教えてやる義理はない。

 いつものようにカーディナルを舌で転がしていたとき、左手に人の気配を感じた。

 
  
「ねえ、隣いい?」

 その直後に女性の声。足音は一人分。誰かと連れ立っているようでもなさそうだ。

「どうぞ」

 首を向ける程度の動作も億劫がって、カウンターの奥を眺めたまま機械的に応答すると、スパイシーな香水の香りが鼻を擽った。

「ありがとう。アタシね、アナタのことこの店でよく見かけてて気になってたの」

 一瞬遅れて、聞き覚えのある声に思わず吹き出しそうになる。

 しっとりしていて低い、いかにも『オトナの女性』といった落ち着きのある声は、数ヶ月前からこの店で見かけていた妖艶な女性のものだったから。

「……わ、私もです。綺麗な人がいるなあって……!」

 第一声からどもってしまう。ああ、なんて格好悪い。

 体ごと隣の席を向き、信じられない気持ちでまじまじと彼女を見つめる。

 一生言葉を交わす事もないと諦めていた憧れの同性(恐らくは、だが)が触れれば届く距離にいて、向こうも私の事を認知していたなんて、今まで持ち掛けられたどんな儲け話よりも嘘臭い。

「本当? あ、エル・ディアブロで」

 視線が外されたほんの一瞬、高く通った鼻筋に目を奪われた。さながら何百年衰えぬ魔女のような美貌だ。

「本当ですよ。夢みたい」

「夢? 芸能人でもないのに。大袈裟じゃない?」

 彼女が首を傾げると、目の細かいチェーンが照明を反射した。私には縁のないラグジュアリーな装飾だ。

 住む世界が違う人だという事をまざまざと見せつけられているようで胸が痛んだから、早々に視線を長い睫毛の位置まで戻す。
 
「芸能人とか一般人とか関係ないです。憧れみたいな……。気持ち悪かったらすみません」

 『最近では店のドアを開けて一番に確認してしまうのは、混み具合ではなく、貴女の後ろ姿だった』。

 ――――なんて打ち明けたら、どんな顔を見せてくれるだろう。

 実行に移すほど蛮勇ではないのが残念だが、口説くにしても、もう少しセンスの良い文句を選びたいところだ。

「全然。お世辞でも嬉しい」

 彼女が目を細めると、優美な印象がより強まった。これなら駄々洩れる色気に吸い寄せられたとしても、下手な男は手出し出来ないだろう。

 高嶺の花という形容は、きっと彼女のような女性のためにある。
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