誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第5章 宵の口

第29話 『まっとう』

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「長生きしたいって気持ちは、少しもなかったんですか?」

 わずかな好奇心も捨て置けない千鶴は、視界の端にかろうじて居座っている紳士に問いかけました。

(自分のために長生きしたいと思ってる人がいないわけじゃない。……わたしが見てきた感じでは。でも、『家族を遺して死ねない』って言う人はもっとたくさんいた。じゃあ、この人が奥さんの言うとおりにしなかったのはどうして?)

 彼女は不老や長寿を夢見る人々と人並み以上に接してきた経験から、この男の出した結論に違和感をおぼえていたのです。

「ありましたよ。私は妻を愛していました。できる限り長く、彼女とともにありたかった……。しかし、私に与えられた時間を上回ってまで生きるということに、激しい抵抗がありました」

 紳士の視線の先では、大きな振り子時計が時を刻んでいました。彼は自身に残された時間に思いを馳せているのでしょうか。

「天寿をまっとうしたかった…………?」

 千鶴は、彼の言葉を自分にとって最も通りのいい言葉に置き換えました。

「ええ。不老長寿。甘美な響きですね。誰もが……と言えるほど無知ではありませんが、多くの人が一度は夢見て、大なり小なり望んだことがあるのではないでしょうか。……私はどうでしたかね。覚えていませんが」

 秒針の刻む音が響きます。いままで気にも留めなかったのが不思議なほどに、時計は職務をまっとうしていました。
 
「いまの私には、『天寿をまっとうする』という言葉のほうが好ましいですよ。自然の摂理に反してまで、どうして人間は――――。いえ、すみません。単なる愚痴で、嘆きです。貴女のお耳に入れるべきではない醜い醜い独り言でした」

 紳士は笑顔で取り繕った気でいるようでしたが、ひくひく蠢く目の下の筋肉が彼の思いを代弁していました。

「もしもです。望めば、誰もが好きなだけ寿命を延長することのできる世の中になったとしましょう。寿命を延長したなかに、長生きに値する傑物が何人存在すると思いますか。そして、人間ヒトの価値というのは、どこで測るべきなんでしょう。誰が決めるべきなんでしょう……」

「……あなたは『自分は寿命を超えて生きるべき人間ではない』と思ってるんですね」

「ええ」

 たったそれだけの肯定に、いかほどの思いが集約されていたことでしょう。 

「『愛想を尽かされた』っていうのは、そのお返事のせいで…………?」

 愛した人間に同じ化け物になってほしいと乞うた人魚が、彼の返答に自分を突き放す以上の意味を見出すことはついぞかなわなかったのでしょう。

「…………であれば、どんなによかったか。積もりに積もった不満もあったんでしょう。貴女もご指摘のとおり、私は言わなくていいことを言ってしまうきらいがあるようで、よく彼女の機嫌を損ねていました……。しかし、決定打となった出来事はそれでしょうね」

 まっすぐ前を向いた横顔は、悲しみに暮れているようにも、過去の呪縛から解き放たれたようにも見えました。
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