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第4章 夕べの調べ
第82話 誰かが尾鰭をつけたがった話<LXII>
しおりを挟む「有言実行を地で行く人魚なんだな」
その背に向かって投げかけたのは、果たして純粋な賞賛だっただろうか。
その気はなくとも、多少は皮肉めいていたかもしれない。
「ううん。どんなときだって、あたしが往ったのは海だよ」
彼女にとっては深い意味のない言葉遊びだったのだとしても、常日頃から世界の隔たりを痛感している僕には腹の底まで響いてくるような台詞だった。
「あたしの世界の果ては、海だった。だった…………っていうか、いまもそうなんだけどね。そこから陸へは上がれなかったし、本気で上がろうって思ってたら死んでも上がってた」
続けざまにそう言って振り向いた彼女が次にしたことは、僕の爪先にそっと触れることだった。
「踏みとどまってくれて本当によかったよ。君が君らしく生きられる場所は、海以外にないだろうから。……だが、こうも思うんだ……」
俯き加減の微笑が悔しさに歪むのを見ていたら、奥の奥に隠してきた本心を打ち明けずにはいられなくなってしまった。
「…………『僕は、どうして人魚として生まれなかったんだろう』、と」
それは、彼女を愛し始めたときからずっと思っていたことだった。
「泣くのはわかるけど、どうして悔やむようなこと言うの?」
というひと言を受けて頬に触れた手のひらに、滂沱の跡が示される。
「だって、僕が人魚だったら……!」
『すべてうまくいったじゃないか』と言いかけた口を、細い指一本で塞がれる。
質量などほとんどないにもかかわらず、圧倒的な強制力を感じたのは、骨抜きになってしまっているからか。
「人魚だったら…………なに? きみが人魚だったとしても、遠い海に生まれてたら、あたしたちは出会えてなかったんじゃない?」
『どうにもできないことを考えるだけ無駄』とばっさり切り捨てられることに比べたら、いくぶんかはましかもしれないが、同種の諦観が感じられたのも確かだ。
「君の旅の途中で出会う可能性は?」
「なくはないね。だけど、海は広いし、視界も悪い。挨拶もしないですれ違うだけだったかもしれないし、そのたった一回さえなかったかもしれない。……それでも、きみはまだ人魚として生まれたかったって言える?」
鼻にかかった声が鼓膜を揺らし、心を震わせる。
「君は…………とても意地悪だな」
その振動は喉まで到達してしまったようで、平坦と評されがちな声が情けなく震えた。
「いまさらじゃない? あたしはあたしとして生まれて、どんなときもあたしらしく生きたことを後悔してないし、きみの気持ちなんてわかりたくない。『人間だったら、どんな人生を送ったかな?』って考えたことはあるし、きみと同じ寝台で眠ってみたかったけどね?」
「……砂の寝心地だって、悪くはなかったじゃないか」
「そうだね。正直、寝るどころじゃなかったけど」
こうして流し目の誘惑を仕掛けられることも、もうないのかもしれない。
「ああ、でも…………。もう、砂の上で一緒に寝るのも難しい……かも…………」
彼女は弱気な考えを読み取ったかのようにおどけたが、漣にさえ敗北を喫した囁き声で言われたところで、作り笑顔ひとつ見せられなかった。
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