誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

文字の大きさ
上 下
192 / 193
第4章 夕べの調べ

第82話 誰かが尾鰭をつけたがった話<LXII>

しおりを挟む

「有言実行を人魚なんだな」

 その背に向かって投げかけたのは、果たして純粋な賞賛だっただろうか。
 
 その気はなくとも、多少は皮肉めいていたかもしれない。

「ううん。だよ」

 彼女にとっては深い意味のない言葉遊びだったのだとしても、常日頃から世界の隔たりを痛感している僕には腹の底まで響いてくるような台詞だった。

「あたしの世界の果ては、海だった。だった…………っていうか、いまもそうなんだけどね。そこからへは上がれなかったし、本気で上がろうって思ってたら死んでも上がってた」 

 続けざまにそう言って振り向いた彼女が次にしたことは、僕の爪先にそっと触れることだった。
 
「踏みとどまってくれて本当によかったよ。君が君らしく生きられる場所は、海以外にないだろうから。……だが、こうも思うんだ……」

 俯き加減の微笑が悔しさに歪むのを見ていたら、奥の奥に隠してきた本心を打ち明けずにはいられなくなってしまった。

「…………『僕は、どうして人魚として生まれなかったんだろう』、と」

 それは、彼女を愛し始めたときからずっと思っていたことだった。
 
「泣くのはわかるけど、どうして悔やむようなこと言うの?」

 というひと言を受けて頬に触れた手のひらに、滂沱の跡が示される。

「だって、僕が人魚だったら……!」

 『すべてうまくいったじゃないか』と言いかけた口を、細い指一本で塞がれる。

 質量などほとんどないにもかかわらず、圧倒的な強制力を感じたのは、骨抜きになってしまっているからか。

「人魚だったら…………なに? きみが人魚だったとしても、遠い海に生まれてたら、あたしたちは出会えてなかったんじゃない?」

 『どうにもできないことを考えるだけ無駄』とばっさり切り捨てられることに比べたら、いくぶんかはましかもしれないが、同種の諦観が感じられたのも確かだ。

「君の旅の途中で出会う可能性は?」
 
「なくはないね。だけど、海は広いし、視界も悪い。挨拶もしないですれ違うだけだったかもしれないし、そのたった一回さえなかったかもしれない。……それでも、きみはまだ人魚として生まれたかったって言える?」  

 鼻にかかった声が鼓膜を揺らし、心を震わせる。
  
「君は…………とても意地悪だな」

 その振動は喉まで到達してしまったようで、平坦と評されがちな声が情けなく震えた。

「いまさらじゃない? あたしはあたしとして生まれて、どんなときもあたしらしく生きたことを後悔してないし、。『人間だったら、どんな人生を送ったかな?』って考えたことはあるし、きみと同じ寝台で眠ってみたかったけどね?」

「……砂の寝心地だって、悪くはなかったじゃないか」

「そうだね。正直、寝るどころじゃなかったけど」

 こうして流し目の誘惑を仕掛けられることも、もうないのかもしれない。

「ああ、でも…………。もう、砂の上で一緒に寝るのも難しい……かも…………」

 彼女は弱気な考えを読み取ったかのようにおどけたが、漣にさえ敗北を喫した囁き声で言われたところで、作り笑顔ひとつ見せられなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

【R-18】クリしつけ

蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。

猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。 『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』 一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。

【R18】短編集【更新中】調教無理矢理監禁etc...【女性向け】

笹野葉
恋愛
1.負債を抱えたメイドはご主人様と契約を (借金処女メイド×ご主人様×無理矢理) 2.異世界転移したら、身体の隅々までチェックされちゃいました (異世界転移×王子×縛り×媚薬×無理矢理)

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

処理中です...