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第4章 夕べの調べ
第78話 誰かが尾鰭をつけたがった話<LVIII>
しおりを挟む――――先に結論から告げておこう。
彼女は、生きて僕の元に帰ってきてくれた。
「ただいま…………」
かろうじて生きてはいたが、疲労困憊を体現したような姿は気の毒だ。代われるものなら代わってやりたい。
「……よく帰ってきてくれた、イーヴァ。目的は果たせたか?」
体調を気遣う言葉を掛ければ、気丈な振る舞いを強いることになるだろう。
乱れた髪を直しながら、問いかけた。
「うん。何年ぶりかも覚えてないのに、全然変わってなくてさ……。あの子があの子でいられるうちに会えてよかった…………」
思い出を反芻しているのだろうが、瞼を閉じた彼女が安らかな死に顔を浮かべているように見えて仕方ない。
そう遠くないうちに来る未来を思い、気が重くなった。
「そうか。では、この痛々しい傷や吸盤の痕は……再会を喜びすぎた友人からの贈り物か?」
「あっははは! いいねえ、それ! 採用しちゃおっと!!」
弾けるような笑い声を炸裂させた彼女だったが、聖母のように静謐な微笑を崩すことはなかった。
「……吸盤のほうは、友達としてのあの子からの最後のプレゼント。こっちの……見るからに痛い傷は…………」
「…………大丈夫。君の言わんとしていることはよく伝わった。受け取ってもらえて嬉しかったと思うよ。彼女も」
「そうかな? そうだったら……いいな……」
髪を整え終えてもなんとなく離れがたい思いで置いたままの手に頭部を擦り付けている彼女だったが、ほとんど力も入っておらず、動きにもキレがない。
「別れの言葉は伝えられたか?」
「うん。あの子にもわかるように話したつもりだけど、伝わってたかはわかんないや……。あの子はきみやあたしみたいに頭がいいわけじゃなかったからね。あと、普段から話通じてない感じだったし…………」
彼女は僕を過大評価するきらいがあったが、今回はその典型例かもしれない。
わかりあえているというのは幸福な錯覚でしかなく、致命的な齟齬を生じていないだけでも及第点といえるのではないだろうか。
言語での意思疎通とは、それほど不完全なものだ。
「そうか。……君は、そのことを受け入れられているのか?」
「当然! 『あたしが自分の意志で伝えに行った』ってことが大事なんだから」
彼女は僕の思うよりも強かで、しなやかで、利己的な人魚だったらしい。
もうすぐ目の前から消えてしまうというのに、ますます好きにさせるとは恐れ入る。
「それならよかった」
「……でも、ちょっと自分のこと過信しすぎたかな。人魚なのに、虫の息…………なんちゃって……」
本当は言葉を継ぐのもつらいはずだ。僕のためにふざけないでほしい。
「君の使う言葉はたまによくわからないが、どこかの国の慣用句なんだろうな」
「あはは……。ごめんね。気を付けてるんだけど、結構出てきちゃうね……。ちゃんと伝わる言葉で話そうと思ってるんだけどなあ……」
「咄嗟に出てくる表現が母語以外に由来するものだというのも、外国語をよく学んで身に着けた証拠なんじゃないかと僕は思う」
『虫の息』というのは、おおかた『死の淵にいる』に近い意味を持った表現なのだろう。
「ふとした瞬間に出てくる言語……だけでなく、その言語を使う者のことも身近に感じているということのあらわれなんだろう。きっと……。意味もなんとなく見当がつくものばかりだしな」
「ありがと。好きになったのが……一緒にいてくれたのが……きみでよかった…………」
強い意志の内在する瞳には、生命の炎が煌々と燃えているのに。
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