誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第4章 夕べの調べ

第75話 誰かが尾鰭をつけたがった話<LV>

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「ああ。研究で各地に足を運ぶついでに仕入れてもいるしな。この頭には、ありとあらゆる物語が詰まっている。結果的にはあの子たちにいろんな話を聞かせることができたから、僕は僕の選択を誇りに思うよ。君も楽しそうに聞いてくれて嬉しかった。あのときはありがとう。……いや、いつもありがとうと言うべきだな」 
  
「…………すごいなあ。叶え選ばなかった夢のことも、隠したり恥ずかしがったりしないで、そんなふうに語れるなんて」 

 ほうっとため息をついた彼女の輪郭がぼやける。愛しい姿をくっきり目に焼き付けておきたいのに。

「僕が過去の夢を大切にできているのも、君たちの存在あってこそだ。君たちは他人の大切にしているものを貶めたり腐したりしないと信じられたから。別の目的地を目指して費やした時間も無駄ではなかったと……宝物だと感じさせてくれて、本当にありがとう」 

 どうして今生の別れめいた挨拶をしているんだろう。縁起でもない。
 
 確かにそう感じているのに、この機を逃したら次はない気がして、あとからあとから言葉が湧き出てくる。

「もう。なにお別れみたいなこと言ってるの~? ……でも、ちょうどよかった。物語を書くことが好きなきみに、頼みたいことがあるんだ」

 不安を追い返すように笑い飛ばした彼女だったが、声は真剣そのものだった。

「頼みというのは、もしかして…………」 

「たぶんきみの考えてるとおり! 残して書いてほしいの。出会ってから、あたしたちのあいだにあったこと全部!」

 両手を大きく広げた彼女のそばから、潮の香りが流れてくる。
 
 再会したての頃は薄いと思っていたそれだが、知らないうちにきちんと感じ取ることができるようになっていたらしい。
 
「……あまり気が進まないんだが……。君はどうしてそんなことを望むんだ?」

「きみは、毎日のように難しい本をたくさん読んで、頻繁に外国にも行ってるでしょ? あたしとの思い出なんて、すぐに埋もれちゃうんじゃないの?」

 ふっ、と緩めた目元が語ったのは、諦めか。疑心か。それとも――――。

「そんなことはない」

 乱暴に扉を閉めるように言い放ったのち、後悔が押し寄せた。
 
 彼女に対する想いの強度を疑うことは彼女自身であろうと許せなかったとはいえ、もっとうまい言い方もできたはずだ。 

「まあ、きみの記憶力のよさはあたしがいちばん知ってるけど。……書きたくない? そんなに?」

「君たちのことを書くのはいいんだ。むしろ積極的に残しておきたい。しかし、『僕たちのあいだにあったことすべて』を残すのであれば、必然的に僕自身の体験についても書き記すことになるわけで……。そこが少し……いや、かなり嫌……というか…………」

「…………そっかあ。そうだよね……。ごめん。あたし、きみの気持ちも考えないで一方的に……」 

 きっと僕は、しょんぼりと顔の上だけを出し、ぶくぶくと泡を立てる愛らしい姿にときめきをおぼえている場合ではないのだろう。
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