誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第4章 夕べの調べ

第56話 誰かが尾鰭をつけたがった話<XXXVI>

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「ああ。まあ……そんな感じになるんでしょうか。……なので、ぜひお話ししていただけないかと思ったのですが」

「…………ええ、構いませんよ。善なる魂の持ち主と悪しき魂をその身に宿す者が共存しているのは、人魚も人間も同じでしょうから」

 彼は瞳の奥で眠るなにか――僕個人としては目視できるものだとは思えないが、彼に倣うのであれば、魂――を見定めるようにじっくり覗き込んだあと、頼みを聞き入れてくれた。

(随分と極端な考え方をするんだな。……だが、種族全体を悪しきものと見做していないだけましか)

「妻がボクと出会う五年以上前のことだと聞きました。バカンスに訪れた先で当時の恋人と泳いでいたら、突然高波が襲ってきて、次の瞬間、なにかが身体に巻き付いたそうで……」
 
(『巻き付いた』? 人魚の話をするんじゃなかったのか? それではまるで……)
 
 突如として始まった話には、水に濡れた衣類のような違和感がすでに纏わりついていた。

「…………とんだ災難でしたね。ところで、その者の正体というのは?」

 しかし、彼の想定しているであろう質問をすることで、訝しむ気持ちを抑えつけた。
 
「それが……だったという話で…………」

「タコの人魚!? しかも、巨大な?」

 代表的な海洋生物の一種といえど、軟体動物に分類されるタコの人魚まで存在しているなんて考えてもみなかった。
 
「そうです。遭遇した個体が通常の大きさかどうかまではわかっていませんが、その人魚に関して言えば、『小型のクジラほどもあろうかという大きさで、たいそう恐ろしかった』と……。この話をやっと聞かせてくれたときも、真夏だというのにがたがたと震えていましたよ」

 抑え気味に聞き返したものの、期待と興奮は抑制しきれていなかっただろう。

 それまで淡々としていた彼の口調にも、そこはかとなく熱が加わった。

「タコの人魚とわかっているくらいですから、下半身はタコのような形状を?」

「ええ、そうです。図体の分、足も長いわ太いわで」 
 
「よくぞご無事で…………。しかし、そんな大きなタコ足から、どうやって逃げ延びたんですか?」

 記憶が正しければ、タコの体は九割が筋肉だ。

 圧倒的な筋力で獲物を締め殺す足――四分の三は腕だったような気もするが――に捕らえられたが最後、生存は絶望的といっても過言ではないはずだが――――。

「捕まった妻が人魚と話をしているあいだに、恋人が助けを呼んできていてですね。漁師たちが妻に巻き付いていた足を断ち切ってくれたと」 

「なるほど。それで、人魚はそのまま敗走していったんでしょうか? いや、敗ですかね?」

「そうだったらよかったんですがねえ……。その大タコ人魚は、残った他の足で妻を再度捕らえようとしたそうですよ。タコですから、残りは七本ですか。人ひとり捕まえるには、多すぎるくらいですよねえ」

「ああ。人が人を捕まえようと思っても、一対一では最大で二本の腕しか使えませんしね。ところで、その人魚はどうして奥方様を捕まえたんでしょう?」

 語りはこれといってうまくなかったが、彼は小柄な体格を補うかのようにダイナミックに全身で話すので、僕はいつしか夢と現のちょうど狭間にある不思議な世界へと迷い込んでいた。
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