誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第4章 夕べの調べ

第55話 誰かが尾鰭をつけたがった話<XXXV>

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「――――以上が、こちらの希望する条件なんですが」

 僕はいま、髭を貯えた小柄な中年男性と向かい合っている。
 
 一旦、彼女たちと別れてから最初にしたことは、狭いアパートの一室を借りることだった。

「へえ。『海の近くがいい』なんて、お客様も物好きですねえ」

 この男が、海沿いの小さな町にある物件の貸付業務を一手に引き受けているらしい。

 彼はパイプを片手に、興味のなさそうな声を出した。

 このくらい事務的な人物のほうが、こちらとしても接しやすくて助かる。憤慨する客も中にはいるだろうが、僕個人の彼に対する好感度は決して低くなかった。

「他の方にとってどうかはわかりませんが、僕にとっては外すことのできない条件ですよ。空きはありませんか? ……無理もないですよね。なにせ、こんなに素敵な町なんですから。予算内での用意が厳しいのでしたら…………」 

 加えて、家族のそばでの新生活の幕開けに胸を躍らせている僕に言わせてもらえば、多少の増額は許容範囲だった。

「いやあ、まさか! 海の近くに住みたいなんて方、滅多にお目にかかれませんからね。御提示いただいた御予算の半分以下でも、十分な広さの物件をご紹介できますよ。いかがです?」

「とてもありがたいご提案ですが、僕ひとりが寝に帰るためだけの家なので、狭くていいんです。設備もそこまで整っている必要はなくて……」

「おや? 広い家が必要になるご予定もございませんで?」

 彼は、奥まった小粒の目を目一杯見開いた。

 親切心からの質問だろう。ここは正直に事情を話してしまったほうが面倒がなさそうだ。
 
 ――――濁すところはきっちり濁しての説明にはなるが。
 
「いえ。家族はいますが、一緒に暮らすのは難しいんです。その代わり、余暇は向こうで過ごすので、仕事の合間に身体を休められる場所をこの近くで見つけられたら、と思いまして…………」

「ああ、そういうことでしたか! 失敬! どこの家にも事情はあるものです。……ボクも、愛する妻とは離れて暮らしていますしね……」 

 思わぬ返答が得られ、前のめりになったが、彼もまた話したくて仕方ないといった様子でボウルを弄んでいた。
 
「…………差し支えなければ、どういった事情かお伺いしても?」 

 おおかた、出稼ぎか大病だろうと思っていたが、 続く言葉が短絡的な偏見を打ち砕いていった。

「ええ。妻が言うには、『から、海の近くには暮らせない』のだと…………」 

「人魚に……? 詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?」
 
「お客様、人魚にご興味が?」

 きらりと光った彼の瞳は、色味のせいか鮮度の高いキャビアに見えた。
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