誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第4章 夕べの調べ

第38話 誰かが尾鰭をつけたがった話<XVIII>

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「…………僕も……」

 いままでの僕であれば、『くだらない』と一蹴していたことだろう。
 
「考えてていいよ。あたしはそのあいだ、続き歌ってるから!」 

 小さく笑んだ彼女は、開きかけた唇に封をするように、指の腹を押し当てた。

 『嫌いじゃない』。僕はきちんとそう伝えることができたのだろうか。

 すでに気持ちは伝わっているようなものとはいえ、最後まで言い切らないのは、彼女に対して不誠実なように思えた。

「――――♪ ――――♪」
 
 どちらにせよ、彼女は正しい知識を授けてくれていたと思うが、答えを聞く前に――いや、答え切る前に、かもしれないが――不思議な感覚が勢力を増して帰ってきた。

 これに近い感覚を味わった経験なら、過去にもある。

 上等な酒を嗜んだあとの、深い満足感。いつまでも舌に、喉に、胃の腑に残る旨味と充足感だ。

 安酒で悪酔いするのと同列に扱ってもらっては困るな。

「――♪ ――♪ ――――♪」
 
 歌が進むにつれ、それまで順調に組み上げていっていたはずの理論は繋がりを失い、箒で懸命に集めていた落ち葉が風のいたずらで元よりもばらばらに散らばってしまうかのごとく散逸していく。

 残されたのは、鈍重な思考の欠片。

 ――――だけではない。そこには、えもいわれぬ多幸感があった。

 通常、僕のように思考することに特化もとい固執した人間が、思考力の一切を手放しかけるなどという事態に直面すれば、嫌悪と恐怖で取り乱してしまうのではないかと思う。

 しかし、そのときはむしろ『これからどんな夢が見られるのだろう』と期待が膨らむ一方だったよ。

 あれは美しい歌声のおかげだったのか、それとも――――。

「――――……♪」

 そうして、いくらも経たないうちに、睡魔が引っ提げてきた重い布団をかけられ、頼りなくふわふわと彷徨っていた意識は完全に途切れてしまった。



******


 
「…………あ。おは……よう?」

 目覚めて最初に飛び込んできたのは、瞼を擦る彼女だった。

 それしかすることがなかったというのも一因だろうが、僕がぐうぐう寝こけているあいだも、様子を気に掛けてくれていたようだ。

 髪を撫でる彼女の瞳は、涙を湛えていた。

「どういたしまして! だけど、『寝かせてほしい』なんて、欲のないひとなんだね? あたしたちの歌声に願いを叶える力なんてないと思うけど、きみの願いだったらなんでも叶えてあげたくなっちゃうなあ」

 しかし、それも束の間。

 快活な印象の笑顔を見せられ、寝起きのぼんやりした頭は、自動的に夢想に入ってしまった。

 ――――『寝台に寝そべる彼女は、どんなにか美しいだろう』と。


<おさらい>
・第4章 第4話?『■■の××について<Ⅳ>』
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