誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第4章 夕べの調べ

第36話 誰かが尾鰭をつけたがった話<XVI>

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「そうなのか?」 
 
ここにくるまでも楽しかったなあ。きみがすぐ隣にいて、手を繋いで歩いてるみたいだった!」

 彼女は僕の手を取ったまま、回想に耽っている。

「…………君は……人間として生まれたかった……のか?」
  
「どうかなあ。……確かに、歩いたり跳ねたり。踊ったり走ったり……それから回ったり? 足があったら鰭よりいろんな動きができるし、楽しそうだな~って考えることはあるけど」

「君らしい観点だな」

 長らく貸し出し中だった手は、置き去りにされていたほうに重ねて置かれた。

「……でもね。いままで出会ってきたひとたちは全員、あたしがあたしとして生まれたおかげで出会えたんだと思ってるから、そこまでは考えてないかな?」

「そうか」
 
「うん! あたしは海が大好きだしね。旅行感覚でだったら離れてみるのもいいかもしれないけど、すぐに帰ってきたくなっちゃうだろうなあ。移動だって、こっちのがしやすいし!」

 僕の存在を、凹凸を確かめるように、しなやかな指が顔面を滑っていく。

 その動きは、どことなく陸地を移動する人々を彷彿とさせた。
 
「……そうだな。ただ、陸のほうが安全だし、移動のしやすさはこちらのほうが上じゃないか?」 

「それはそうなんだけど、君の国もたくさんあるでしょ?」

「まあ、それはそうだな」

 国家間を移動するとなれば、交通費足代もかかるし、情勢などの問題も無視できない。
 
 特に昨今は、近隣諸国でもきな臭い動きが見られ、好きなときに気軽に往来できる状況とは言えなかった。

「その点、海は最高だよ! 時間はかかっちゃうけど、乗り物を使わなくたってこの身体ひとつあれば、どんなに遠いところにだって行ける! けど…………」
 
「……けど?」

「かわいい服着て、きみと大通りを歩けるのは、人間の女のコの特権だよね……。踵の高い靴履いて、腕組んだりなんかもしちゃって。いいなあ……」

 頭を動かすと、それまで少しも気にならなかった鱗が首の後ろに当たった。
 
「それが君のか」

 水路に沿った道を行きながら、僕も同じ夢を見ていた。

 手でも腕でも貸すから、君と歩幅を合わせて歩くことができたら――――と。

「……うん、そうかも。なんか湿っぽくなっちゃってごめん。こんなこと話してる場合じゃなかったね」

「いや、そんなことは」
 
「歌を聴かせる約束だったでしょ? きみを寝かせてに夢見せてあげなきゃいけないのに、あたしの夢の話なんかで時間取っちゃってた。ええと、なんの歌にしよっかなあ……」

 『君に似合うのはどのような服装だろうかと夢想するのに夢中だった』と伝える間も与えられず、話が進んでいく。

「『なんでもいい』と言ったら、困らせてしまうか?」

「ううん、安眠できそうな歌に心当たりがありすぎて、元から困ってた! ……けど、いちばんはやっぱりこれじゃないかな?」 

 優しげな印象の目元や、ふっくらした唇は、いつか聖堂で見た肖像と重なって見えた。

「――♪ ――♪ ――――♪」

 小さく息を吸った彼女が、一拍置いて歌い出す。

 思い浮かべていた歌のどれでもなかったそれは、子守唄の常識を覆すものだった。

 聞いただけで発音が難しいとわかる言語を、法則性の見えない旋律に乗せているのだから当然だが、おそらくいまから話すことのほうが重要になってくるだろう。
 
 夜明けを待ちきれない鳥の囀りの代わりに、月が見守る世界を抱く揺り籠のような声が届けられると、束の間の夢も首の後ろの感触も、すべて奪い去られていく気がした。


<報告書に記載された情報を振り返りたい方はこちら>
・第4章 第2話?『■■の××について<Ⅱ>』
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