誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第4章 夕べの調べ

第28話 誰かが尾鰭をつけたがった話<Ⅷ>

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「矛盾していないか?」
 
 彼女に限ってないとは思うが、言うだけ言って海中に逃げられてはかなわない。

「え……?」

「君の話は内容だったし、いまの言葉は僕に向けて言っていたはずだ。それなのに、どうして待ち合わせて会うことを拒む?」
 
 万が一のことを考え、強引に手を取った。

「君は僕とはくれないのか?」 
  
「…………『』なんて、人魚にも言われたことないよ。……やっぱり、口説くのも得意なんじゃん……」

 下がった目尻が押しに弱そうに見えても、彼女はとても強い意志を秘めていると思い知ったばかりだ。

 口説いたつもりはないが、必死に取り縋るさまを泣き落としと揶揄されなかっただけでもよしとすべきだろう。

「断じて得意じゃない。思ったことを素直に口に出すこと自体、苦手なほうだ」

「あははっ!」

 軽快な笑い声が響き、重苦しくのしかかってくるような雰囲気を一変させた。

「笑うのは一向に構わないし、それでも君の意にそぐわない僕とは約束できないというのなら、潔く諦めよう。待ち合わせもしなくていいし、やむを得ない事情がある場合を除き、今後は海に近寄らないことにする。だが、理由を聞き出すまで帰す気はない」
 
「…………そっか。そこまでら、えないわけにもいかないね……。いいよ、教えてあげる。あたしがきみと待ち合わせしようとしない理由」
 
「誤解を招く言い回しはやめてくれないか」

「あははっ! よく言われる! でも、諦めて? これがあたしなの。『また会いたい』って思ってくれてるんでしょ。だったら、もっと知ってよ。あたしのこと! あたしもきみのこと、もっともっと知っていきたいから!」

 意味ありげな視線を寄越したかと思えば、子どもよりも邪気のない顔で笑う。
 
 ――――君になら、振り回されるのも悪くない本望だ
 
「おい。それは一体、どういう意、味…………っ!?」

 敗北を認め、頬を緩めた瞬間――――。

 もう片方の腕を掴まれて、再び海に飛び込む羽目になった。
 
「…………試してみたいの。あたしときみが運命に導かれてるかどうか。あたしの運命ときみの運命が、本当に結びついてるかどうかを……」

 彼女は、僕の手を両側から挟むようにして目を伏せた。

「どういうことだ? もう少しわかりやすく頼む」 

 口のなかは、鉄の味ではない塩辛さに塗り替えられていた。

「もしも……もしも、あたしたちが運命の女神の導きで出会えたんだとしたら、約束なんかしなくても、必ずどこかで会えるはずだって思うんだ」

「世界は広いし、お互い、自分の次の行き先もわからないのにか?」

 片手を貸している分、他の手足にかかる負担も大きいが、その手を振り払おうなんて考えは浮かばなかった。

「そう。今日、あたしたちは偶然出会えた。一回でも、すごいことなのかもしれない。でも、あたしは一回ぽっちじゃ信じられない。運命や奇跡のふりをした偶然なんじゃないか……って思う」  

「…………そうか。では、、信じられるか?」

「うん! だから、用事があってもなくても、あたしに会いたくなったら海のほうにくればいいよ」 
 
「……ふ。ははっ! こんなに気の長い約束は、はじめてだ……」

「あたしも!」

 がばっと抱き着かれ、体勢を崩した僕を、今度は彼女が送り届けてくれた。

 ――――もっとも、彼女は溺れていなかったし、あれを救助とするのはなにか違う気もするが。
 


 来たときとは違う道を辿り、宿に戻った。

 ずぶ濡れの若者が歩いていても誰も気に留めないこの街を、僕はたいそう気に入った。
 
 いまの僕がほとんど人のいない朝の風景を見たら、『これはこの街の本来の姿ではない』と思うのではなかろうか。
 
 乾ききらない衣服の真実は心の奥底に沈めて、残りの旅程は、こちらの世界の友人たちとの思い出作りに勤しんだ。
 
 節々に感じる痛みも、風変わりな友人と出会えた記念だと思えば、少しも嫌ではなかった。
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