誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第3章 昼下がりの川辺

第64話 掴めぬ尾鰭

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「『私の』……なんですか? 最後まで聞かせてほしいです…………」
 
 千鶴は、決して全容を掴ませない大海の化身がごとき男を大きな瞳いっぱいに映して、決定的な台詞を引き摺り出そうと試みますが――――。

「…………ふふ。さあ、なんだと思う? 誰より愛しい君。、輝かしい魂持つ女性ひと……」

 目を眇めた紫水は、人の姿を認めるや、尾鰭を翻して海の底へ還っていく魚よろしく、彼女の追及を躱してしまいました。

(このひとの尻尾は……きっと、ずっと掴めないなあ…………。あ、尻尾より尾鰭のほうが似合うかな? 泳ぎも得意だって話だし、海のなかでもずば抜けて綺麗なんじゃないかなあ)

 本心を引き出すことには失敗しましたが、千鶴はそのまま、のんびりと空想の海原で戯れます。

「紫水さんの言うことは、やっぱりわたしには難しすぎます。だけど…………」 

「だけど?」

「すごく……すごく大切に想ってくれてることだけは……。どんなときも、どんなにわかりにくい言い回しでも、ちゃんと伝わってきます。…………本音を言えば、『どうせ隠す気もないんだし、もうちょっとだけ、わたしにもわかる言い方をしてくれたらいいのに』って思うこともありますけどね」

「それはすまないね」

 まばたきひとつするあいだに幾度姿を変えているかも悟らせてくれない双眸は、底の見えない海と同じく、彼の心のありかを眩ますために輝いているのでしょうか。

「でも、いいんです。『いまの言葉は、どういう意味だったんだろう』って考える時間も楽しいから。……ね、?」 

「千鶴に先生とそう呼ばれるのは、変な感じだね。私は、名実ともに君の先生のはずなんだけれど……。と願っているからかな……」

 紫水は、屈託のない笑みを投げかけた千鶴を抱き寄せます。
 
「よく言いますよ。逃げてばっかりのくせに…………」

「……ごめんね。本当に。千鶴からしてみたら、私は逃げているふうにしか見えないだろうとも……」
 
「…………『自分は逃げてない』みたいな言い方をするんですね」

 千鶴は、彼の腕のなかで、目元と声を尖らせました。

「ああ。いますぐというわけにはいかないけれど、いずれはすべてを話すつもりでいるからね」  
 
「どうして、じゃないんですか?」

「……何事にも、ふさわしい時期や場所というものはある。人でごった返す花火大会で求婚を敢行するような男は、ちょっとどうかと思うだろう? 人の声と花火の音で肝心の言葉が相手に届かないし、それ以前の問題だ。これは極端な例だけれどね」
 
「いまここでするべき話じゃないってことですね。わかりました。……でも、せめて……いつ話してくれるつもりなのかだけでも、教えてくれませんか?」 

 渋々ながら承諾した千鶴が、可憐な唇を寄せれば――――。
 
「この凹みについては…………千鶴。に、詳しいことを聞かせてあげよう」

 荒い息を深呼吸で上書きした紫水は、凄味のある声で宣言しました。

「!」

「きっと、とてもとても……驚くはずさ…………」
 
 紫水が大きな手で視界を奪うと、無邪気な少女はそれきりいたずらをやめ、今度こそ眠りの国へ導かれていきました。
  
「寝惚けていたわけではなかったとはね。……まったく、困った子だ。今度こそ寝てくれているといいんだけど。まあ、なにをされても、耐えてみせるけれどね。――が――に――になるまで…………」 

 寝息を立てる額に口付けた紫水は、自身も瞼を閉じました。
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