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第3章 昼下がりの川辺
第53話 適齢
しおりを挟む「……紫水さんって、おいくつなんですか?」
縁側でくつろぐ紫水の隣にちょこんと腰掛けた千鶴は、意を決してそう尋ねました。
それまでは気にも留めていなかったことですが、先日の夫人への答弁や、菊乃とのやりとりを振り返り、常日頃から共有する必要のない情報まで共有してくれる紫水が、患者ではない千鶴にさえ年齢を明らかにしていないというのが、とても不自然なことのように思えてきたのです。
「そんなことが気になるのかい?」
と聞き返した紫水は、一見、普段どおりでしたが、瞳には微量のいたずらっぽい輝きを宿していました。
「気になりますよ!」
「どうして?」
「『どうして』って……それは…………」
(『好きな人のことはなんでも知りたいから』に決まってる。…………けど、それを言うのは、さすがにちょっと……。なんて答えたら、それっぽいかなあ)
紫水は、大慌てで言い訳を考える千鶴を覗き込みました。
彼が笑うと、顔にかかった髪が揺れ、流れるように美しいその髪は、月明かりを反射して煌めきます。
「そうだなあ。千鶴には特別に教えてあげようか。……というわけで、少し耳を貸してもらってもいいかな?」
「あ、はい。いつでもどうぞ!」
千鶴は、濡羽色の長い髪を耳にかけました。
「…………『千鶴と結婚できる年齢』には、とっくに達しているよ? ……ああ、このことはふたりだけの秘密だから、他の人には言わないでおくれ」
差し出した耳に吹き込まれた声は、そこはかとない熱情を感じさせるものでした。
「~~~っ! 紫水さん! それ、答えになってません……!」
いまにも唇が触れてしまいそうな距離と鼓膜を心地好く揺らした美声に心を掻き乱されてしまった千鶴は、恋情色に染まった頬で彼に抗議します。
「ええ? だけど、私はさっきの感じで通してきたから、かなり頑張ったほうだと思うんだけどなあ。君はそれでも、まだ足りないって言うのかい……?」
「さっきの感じ……って、『十代にしか見えない』っていう?」
「そうそう。大抵の人は、ああ言えば笑ってくれるし、それ以上しつこく訊いてくることもないからね」
「そうなんですか……。参考になります」
と、なんとか返してみたものの、千鶴の頭のなかは本命の質問でいっぱいで、それどころではありませんでした。
(いまのわたしなら聞けるかな……。年齢よりも、もっとずっと聞きたかったあのことを…………)
「……千鶴? どうしたんだい? 眠くなってしまったのなら、私に付き合っていないで、部屋に行くといい。風も冷たくなってきたことだしね。寂しいのなら、部屋の前まで送ろうか?」
紫水はそれとなく就寝を促してきましたが、彼のほうがよほど薄着でした。
「あ……えっと、し……紫水さん? さっき言ってたこと、って……その…………」
「さっき言っていたこと? 十代というのは、さすがに嘘だけれど」
「年齢じゃなくて……! 言ってくれたじゃないですか、『千鶴が妻だったらいいのに』みたいなこと…………。あの言葉も、とりあえず『十代』で通してるのと同じで、その場を乗り切るためだけのものだったんですか……?」
じれったくなった千鶴は、凪いだままの想い人に問いかけましたが、喉と胸が締め付けられる感覚に襲われ、果てには視界までぐにゃりと歪み出す始末でした。
「…………ああ、そのことを気にしていたのかい。君は、本当に……」
紫水の手は、千鶴のなだらかな頬を包みました。
「おべっかなどではないよ? 『千鶴が妻になってくれたら、幸せだろうなあ』と、私は常日頃考えているとも」
「!!」
大きな手の下の頬は淡く色付き、声を発することのできない千鶴の代わりに、彼女の想いを訴えかけていました。
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