誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第3章 昼下がりの川辺

第40話 非(秘)言語

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「え? でも、自分の気持ちは、言葉にしなくちゃ伝わりませんよね?」

「…………ああ。言い方がよくなかったかもね。私はなにも、『言葉にして伝えることを怠けていい』とは言ってないわ。わかったつもりになるのも、わかってくれてるだろうって過度に甘えるのも、どっちもあんまりいいことじゃない。だけどね、『』でしょ?」

 花笠は、胸に手を当てて力説します。

「言葉だけじゃ、ない……ですか?」 

「ええ。どんなに口のうまい人だって、言葉にすべてを託すのは無理でしょ。千鶴さんは、なんのために身体があると思ってるの? そのためだけじゃないのは確かだけど、せっかくあるんだもの。あるものはなんでも有効活用しなきゃつかわなくちゃ、損じゃない?」

 白魚のような指のその下は、着物の上からでもわかるほど盛り上がっていました。
 
「は、花笠さん!? なんてことを言うんですか……!」

 男女間の秘め事を連想してしまった千鶴は、上擦った声で反論します。

(…………でも、わたしが紫水さんに抱き着いちゃったのだって、それとおんなじことだよね。あのときは、言葉以外の表現方法を無意識に選んで……。というか、受け取り方が間違ってただけ? 花笠さんは厳しい環境で生き抜いた人だから、もっと普遍的なことを言ってるのかも……)
 
「そうね。いきなり踏み込んだ話をしすぎたかもしれないわ。お節介だったと思う。ごめんなさい」

 花笠は、しゅんとする千鶴に頭を下げました。

「だけど、避けては通れない話だと思わない?」

 しかし、発言自体を取り下げる気はないようで、彼女の言葉は大岩のごとく、未成熟な身体にのしかかります。

「…………そう……です、けど…………」

 正座した足の上で、少女は両手を握り込みました。

「それだけじゃないわ。千鶴さんだって『いつまでもこのままでいたい』なんて、思ってないんじゃないの?」

 本心に肉薄する問いかけは、花笠が帰宅したあとも、何度も何度も繰り返し響いていました。



(…………だけど、そんなこと急に言われたって、気持ちが追いつかない!!)

 勉強どころではなくなってしまった千鶴は、ごろんと畳に寝転がります。

(わたしだって、いつまでもこのままでいるのは嫌だし、きっとありえない。、いつかは…………。だけど、心の準備なんて、できないよ……。できるわけない。口付けだって、まだなんだから……)

 捲れた裾からは、痛みの引いた足首が覗いていました。 
 
(…………にだったら、もうされちゃってるけど)
 
 瞳を閉じた千鶴は、数日前の出来事を追想します。
 
 
 

******


 
 泳ぎを教わる約束を取り付けることができて、ひどく浮かれていたのでしょうか。

「紫水さん、もうおうち着きましたから……!」

 足元にできていた砂の段に気付かず、足首を捻った千鶴は、素早く異変を察知した紫水に抱き抱えられてしまいました。

「千鶴は、そんなに私と離れたいのかい? 私は君をこんなに近くに感じられて、天にも昇る心地だというのに。悲しいなあ…………」

 早々に屋敷まで舞い戻った紫水は、このような口ぶりで彼女を下ろすのを渋りましたが、風を切って歩く彼はいつになく早足で、常時浮かべているかのように思われた上品な笑みも消え失せていたそうな。

「あ……あの、ごめんなさい。嬉しいのは、わたしも同じなんですけど…………」

 千鶴は、すぐそばにある彼の顔を直視することができません。 

「本当かい?」

「はい。でも、どきどきしすぎて、つらくって……! お願いします! 下ろしてください……!」

 だというのに、紫水がますます顔を寄せたせいで、とうとう彼女は顔を隠してしまいました。
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