誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第3章 昼下がりの川辺

第39話 口実と動機

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「いま思えば、採取の仕事だって、私に千鶴さんを自慢するためのだったんじゃないかしら。紹介の範疇を超えてたわよ、絶対に! 報告のときだって、イチャイチャイチャイチャ見せつけてくれちゃって……。まあ、千鶴さんが幸せそうだから、いいけどね!」

 花笠は、滔々と言葉を操ります。

「……口、実……?」

 千鶴がぴくりと眉を動かした理由は、水を得た魚さながらの彼女が発した、ひとつの単語にありました。

 それをきっかけにして、頁をぱらぱらと繰るように、記憶が巻き戻されていきます。

『…………ふふ。君は素直だね。素直すぎるくらいだ。いや、この場合は……純粋、と言うべきかな?』 

 ――――最初に、そんな幻聴が聞こえて。

「!」

が手を繋ぐための口実だなんて、考えもしていないんだから……』

 ――――続いて聞こえてきたのも彼の声でしたが、それを邪魔する波の音は、ここまでは届きません。
 
「…………っ!」
 
「千鶴さん、どうかしたの?」

 花笠は、咄嗟に耳を塞いだ千鶴を不思議そうに見つめています。

「いえ、なんでもないです!」

「そう?」

「はい! そんなわけで、泳ぎは教えてもらえてないんですけど……。紫水さんは、ほっとしたみたいです。泳いでるところだけでも、見たかったのに」

 頬を膨らませた千鶴は、開いた帳面の上にどさっと倒れ込みます。

「…………ああ、そういうこと。また人魚が現れて、かわいいかわいい……じゃなかった。千鶴さんを連れて行かれるとでも思ったわけね」

「人魚って、そこまで頻繁に出会えるものなんですか? もっと人気ひとけのない場所が好きなのかと思ってました」

「確かに、でしょうし、毎日、張っててもおかしくはない。でも、紫水なら、の一匹や二匹、相手じゃないでしょうに…………」

 花笠は千鶴の声など耳に入っていないかのように、小声でなにか呟いています。

「え?」

「ああ、気にしないで。『もし人魚が現れても、果敢に立ち向かって撃退してみせなさいよ!』って思っただけ!」

「い、勇ましいですね」

 千鶴は、力こぶを作った花笠を前に、ぱちぱちとまばたきを繰り返すことしかできませんでした。 

「だって、そうでしょ? あ、いいこと思いついた! もし紫水と喧嘩したり、あいつに愛想つかしちゃったりしたら、私のところにくるといいわ。えーっと、家の位置はね~…………」

 花笠は持っていた地図に家までの道筋を書き込み、千鶴に渡しました。



「花笠さん。今日もいろいろとありがとうございました」

「こちらこそ。楽しい時間だったわ! ……あ、そうそう! これは私の勝手な妄想なんだけど。千鶴さんは、紫水の走り書きとかも全部、解読できるようになりたいんじゃない?」

 帰り際、花笠は見送りにきた千鶴に、こしょこしょと耳打ちしました。

「!」

 すると、恋する乙女の頬はみるみる紅潮し、耳のほうまで染まってしまいました。
 
「…………すごい。花笠さんには、なんでもわかっちゃうんですね」

「今回はたまたま合ってただけよ」

 花笠はそう言って、足元に視線を落としました。

「……私も、遠方の出身って話したでしょ。だから、夫の話す言葉がわからないのが悲しくてね。あの人の言ってることを理解するために勉強を始めたら、だんだん自分の気持ちも伝えたくなってきて……。結果的にものすごく捗ったから、そうかなって思ったの」

「そういえば、そうでしたね……。花笠さんは発音も綺麗だし、語彙もあるから、このあたりの人じゃないってこと、忘れてました」

「おだてても、なにも出ないわよ? それを言うなら、紫水だって同じだし。……大事なのは、『どこに生まれたか』じゃなくて、『どこで生きたいか』ってことなんでしょうね。結局は」

「どこで生きたいか…………」

 千鶴もまた、足元に視線を落とします。

「あいつの字、全部解読できるようになれるといいわね。応援してる!」
 
「ありがとうございます! まあ、いつになるかはわかりせんけど……」

「ああ、もう。そんな弱気にならないで! 貴女なら、きっと大丈夫。それにね、いざとなったら、本人に訊いちゃえばいいのよ」

「でも、紫水さんが昔の走り書きの内容なんて、覚えてると思いますか……?」

「……ん。それもそうね。あいつの記憶は、そこまであてにできないか」

 花笠は豪快に笑っていましたが、ふと真顔に戻り――――。
 
「まあ、でも……。好き合ってる者同士なら、と思うけどね?」

 婀娜な眼差しを向けました。
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