誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第3章 昼下がりの川辺

第25話 自覚

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「本当にありがとう。引き続き、よろしく頼むよ。みんなの……特に君の協力なくしては、私の悲願達成できない叶わないんだ。何度でも言うけれど、金なら惜しまないから、できるだけ早く――――」

 珍しく興奮した様子の紫水は、さらに彼女に接近していきました。

「……――――……」

(ああ、もう……! それ以上は近付いちゃだめ! ……でも、紫水さんのに関わってるってことは、やっぱりお仕事関係の人だって思っていいのかな。まだ絶対じゃないけど、この人はたぶん『』じゃない。……よかったあ)

 一服したとき同様に呼気を吐き出した千鶴でしたが、次の瞬間には、呼吸を止めてしまいそうになりました。
 
(…………『』? わたし、なんでいま安心したの……?)

 胸の真ん中に居座っていた得体の知れない大きな渦は去り、残されたのは、身体の奥底から響いてくる重低音だけでした。

「――――――。――……」 

 その女性はもぞもぞと紫水を避けるように身動ぎましたが、布が重いのか、ふたりの後ろ姿は重なったままでした。
  
「『そう急かすな。貴様が代金を踏み倒す心配などしていない』? ……ありがとう。そうだね。急がなくたって、時間はあるんだ。私が短気なだけさ」

「――――。――――!」

「『動きづらいし窮屈だから、それ以上は近付くな。即刻、離れろ』? あはは。すまないね」

(お客さんも、紫水さんのことはなんとも思ってないみたい。よかっ――――。……だから、どうしてわたしがそんなことを……! 紫水さんが誰とどんな関係でも、わたしが口出しする権利なんてない……)
  
 千鶴は風を起こす勢いで、首を横に振りました。

「よいしょ……っと」 

 紫水が椅子ごと端に寄ると、ふたりのあいだには衣服の重なりさえなくなりました。

「どうだい? これなら、適正距離といえるんじゃないかな。いま以上離れると不便だよ。を考えるとね」

 女性の頭が二回、縦に振られます。一応は彼の言に納得したようでした。

(…………ない、けど……。『嫌だ』って、思ってる…………。いまだって、ふたりが離れてほっとしちゃった) 

「『興味深い話題になれば、何度も同じことを繰り返すんだろう』? 『ちっとも改善が見られない。悪癖だ』? 参ったなあ……。今日は一段と厳しいね」

 風の精が木々を揺らすようなくすくす笑いがかすかに聞こえてきました。

 千鶴は、彼がそうして笑うのがいっとう好きでした。
 
「それはそのとおりなんだけれど、の瀬戸際なんだ。多少は大目に見てほしいなあ」

「……――――。――――?」
 
「わかってくれたようでよかったよ。私だって、どうせお近付きになるなら、のほうがいいさ。当然だろう? お前はふてぶてしすぎるし、袖が触れ合うだけでぐちぐち言ってきそうだ。……いや、もうすでに言われていたか」
 
(…………『かわいい女の子』、かあ)

 言われっぱなしで癇に障った紫水が、一矢報いるつもりでぱっと思いついた言い回しがそれだっただけで、深い意味はないのかもしれません。

(わたしは……ぎりぎり『女の子』って名乗っていいくらいの年齢かもしれないけど、別にかわいくないし……)

「――――――!」

 しかし、彼を慕う少女の感情を搔き乱すには、それ以上の言葉は必要ありませんでした。
 
「『かわいい女の子ではなくて悪かったな』? いや、別に謝ることはないけど。君は君だし。しね、私は」

(紫水さん、女の人たちにすごく人気ありそうだもんね……。ちょっと口説けば、相手なんて選びたい放題なんだろうなあ……)

 すぐ隣の部屋で、千鶴が自分たちの会話を聞いていることなど考えもしていないであろう紫水が平然と放ったひと言は、冷たく重く彼女の心の奥深くに沈んでいくようでした。
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