68 / 201
第3章 昼下がりの川辺
第20話 無意識
しおりを挟む「紫水さん。その字は……?」
千鶴の視線は、単語とおぼしき短い文字列を何往復もします。
「ん?」
「このあたりで使われてるもの…………じゃ、ないですよね?」
紫水の綴ったその文字は、血液検査の日に彼が捲っていた書物に記されていたものに近い字体でしたが、それが同じ言語なのかどうかさえ、彼女には判別がつきません。
「……ああ、これか。そうだよ。報告に合わせて、こちらの字で表記しようと思っていたのになあ」
それは紫水にとっても意図したものではなかったらしく、彼は筆を持ったまま、はにかみました。
「やっぱり……。なんて書いてあるんですか? 『川の水、変化なし』?」
「うんうん、なかなか近いよ。千鶴から見て左が『水質』、右が『異常なし』、だね。読めないと、なおさらなにが書いてあるのか気になってしまうよねえ」
「…………? 全然、読める気がしないです。紫水さんはこの字を読んだり書いたりできるんですよね。すごいなあ……」
千鶴は鼻先が触れてしまいそうなほどに顔を近付け、間隔を空けて書かれたふたつの単語を凝視しましたが、少しも理解できないとわかると、ほんの少し頬を膨らませて身体を引きました。
「ありがとう。だけど、これは外国の……とりわけ、医学を学ぶうえでは必須級の言語だから、覚えないわけにもいかなかったし、習得する過程で母国語よりも馴染んでしまっただけともいえるんじゃないかな」
いちいち気に留めなくなっただけで、筆を置いた紫水の横顔が、髪や瞳の色が示唆しているのは、彼が異邦人であるという事実にも等しい可能性です。
「……と、まあそんなわけで、自分しか読まないものは大抵、この言語を用いているよ。他の人も目を通すものはそうもいかないけれど。いまみたいに、無意識にこの字で控えを取っていることもあるね。書ける言語はひととおり試してみたけれど、速記にいちばん向いているのもこれだったなあ」
しかし、たとえ同郷であったとしても、彼の辿ってきた道のりを思えば、千鶴は肩を並べるそのひとをとてつもなく遠い存在だと感じていたことでしょう。
「紫水さんが書き慣れてる字……。わたしも……読めるようになりたいです」
上手い下手もわからない字を眺める千鶴は、無意識にそんな言葉を発していました。
「それはいい! 千鶴も医学に興味があると言っていたし、この字を習得できたら、読める医学書だって格段に増えるしね」
ささやかな願いのようでもあり、決意の萌芽とも取れそうな呟きを耳にした紫水は、わかりやすく声を弾ませましたが、彼の認識は明後日の方向を向いていました。
「…………あ。もちろん、それもありますよ! あるんですけど……。うう……。やっぱりそういうことにしておいてください……」
「うん? まあ、なんにせよ感心なことだ。なにかを学ぶうえで、最後にものを言うのは、適性以上に向上心だったりするからね」
「そうかもしれないですね。……え、えっと。あ、そうでした。お話の続きがあれば、お願いします」
「おっと、そうだったね。確か、川の水質が変化している可能性について論じていたところだったか。現時点で目に見えて影響を受けているのは、君とウグイだけだけれど、数値に表れていない些細な変化が起きていないとも断定できないんじゃないか……と、私は考えていてね」
「もし、紫水さんの仮説が正しければ、わたしは……青龍川の水のせいで……?」
「あくまで仮説がひとつ増えただけだけれどね。一度にどれだけのお酒を飲めるかが人それぞれ違うように、その水に含まれるなんらかの物質に対する耐性の強弱が関係しているかもしれない、という話さ。とりあえず、君たちのお土産を分析してみないことには始まらないか」
紫水は大きく伸びをして、検査準備に取り掛かりました。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R18】幼馴染の男3人にノリで乳首当てゲームされて思わず感じてしまい、次々と告白されて予想外の展開に…【短縮版】
うすい
恋愛
【ストーリー】
幼馴染の男3人と久しぶりに飲みに集まったななか。自分だけ異性であることを意識しないくらい仲がよく、久しぶりに4人で集まれたことを嬉しく思っていた。
そんな中、幼馴染のうちの1人が乳首当てゲームにハマっていると言い出し、ななか以外の3人が実際にゲームをして盛り上がる。
3人のやり取りを微笑ましく眺めるななかだったが、自分も参加させられ、思わず感じてしまい―――。
さらにその後、幼馴染たちから次々と衝撃の事実を伝えられ、事態は思わぬ方向に発展していく。
【登場人物】
・ななか
広告マーケターとして働く新社会人。純粋で素直だが流されやすい。大学時代に一度だけ彼氏がいたが、身体の相性が微妙で別れた。
・かつや
不動産の営業マンとして働く新社会人。社交的な性格で男女問わず友達が多い。ななかと同じ大学出身。
・よしひこ
飲食店経営者。クールで口数が少ない。頭も顔も要領もいいため学生時代はモテた。短期留学経験者。
・しんじ
工場勤務の社会人。控えめな性格だがしっかり者。みんなよりも社会人歴が長い。最近同棲中の彼女と別れた。
【注意】
※一度全作品を削除されてしまったため、本番シーンはカットしての投稿となります。
そのため読みにくい点や把握しにくい点が多いかと思いますがご了承ください。
フルバージョンはpixivやFantiaで配信させていただいております。
※男数人で女を取り合うなど、くっさい乙女ゲーム感満載です。
※フィクションとしてお楽しみいただきますようお願い申し上げます。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる