誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第3章 昼下がりの川辺

第5話 別名、判明

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「うん。だから、『完全にない』とは言い切れないけど……。私が知ってる由来は、『を意味する外国語に漢字を当てた』、ってやつ」

 話には続きがあったようで、千鶴は彼女の声に耳を澄ませました。

「……ってことは、『』は『尾っぽ』って意味なんですね」

「そういうこと!」

「じゃあ、それって一体、なんの動物の尾っぽなんでしょうか?」

「ああ、それなら説明できるわ。でも、その話をするなら、まず『あの話』を先にしたほうがいいか……」

 言葉を切った花笠は、川の左手を見遣りました。

「さっき、ここが下流域だって話はしたけど、ね…………」

「場所で違うんですか? 同じ川なのに?」

 ひとつの川にふたつ以上の名前がついていることなど予想していなかった千鶴は、少し大きな声になって聞き返します。

「不思議よね。しかも、正直言って面倒。……だけど、地域同士の交流なんて、あっても隣接してるところくらいじゃない? だから、交流のある地域間では同じ名前を共有してても、ちょっと足を延ばすと同じ川のことを違う名前で呼んでたりして、ややこしいことになることがある。この川も、そのうちのひとつね」

「話し合いもしないで、それぞれ勝手につけるせいで、お名前が必要以上に増えてる……ってことですか?」

「おおまかに言えば、そんな感じね。よそ者嫌いを拗らせてるんだか集まるのが面倒なんだか知らないけど、みんなでひとつの名前に決めたほうが、あとあと楽だと思うんだけど……。そのせいで、地図にだって影響が出てるの。なんにも書かないか、全部の名前を書くか。私の使ってるのは、書かれてないほうだった気がするけど」

 花笠は、帯に挟んであった地図をばさっと広げました。

「ああ、やっぱり……。川の名前に合わせて、地名や山の名前なんかも省かれてる。いいけどね、文字なんてないほうがかえって見やすいし」

「……そういえば、地図も広い範囲のものは出回ってないですよね。それも、町や村同士、交流がないから……?」

 千鶴がその地図を覗き込むと、二枚の紙が貼り合わされた継ぎ目がうっすら見えました。

「そうそう。遠くまで行くときに不便だから、本当はもっと広範囲まで描かれてるのが欲しいんだけどね~……」

 花笠のため息で、頼りない紙がかすかに揺れました。

「…………それで、花笠さん。この川の上流のほうは、なんていうんですか?」

 地図上に描かれた川の形状や長さなどから類推を試みていた千鶴ですが、それに近い動物など見当もつきませんでした。
 
「あ、まだ途中だったっけ! ごめんなさいね。下流のほうこのあたりは『手入川』だけど、上流のほうは『』っていうの」

 花笠は、大きく曲がりくねった川の上のほうを華奢な指で指しました。
 
「…………!?」

 千鶴はその名前を認識するなり、ひゅっと短く息を呑みました。

「だから、龍の尾っぽ。このあたりは龍尾ってことね。しかも、『青龍』と『手入』で響きが似てるから、途中で名前が変わる他の川よりは同じ川のことを言ってるんだって覚えやすいかも? 上流域出身の人と下流域出身の人が話してても、お互いに気付かないまま終わったりするかもね」

 しかし、花笠は千鶴が声を失ってしまっていることに気付いていない様子で、明るく笑っています。
 
「……いま、青龍川って」
 
「うん。前から知ってた?」

「はい。ここをずっと上っていったところに……わたしのいた村があります」

 千鶴は手入川の左手を向き、故郷へと続く風景に目を凝らしました。
 
「! そうだったの……。理由わけがあって、紫水のとこにきたって聞いてたけど……その、大丈夫?」 

 花笠の手に力がこもり、地図の端がぐしゃりと歪みました。

「はい。でも、紫水さんにも村の名前とか地理とかは伝えてませんし、ただの偶然です。びっくりはしましたけど、別になんともないですよ! 大丈夫です」

 詳しい事情がわからないながらも、彼女は少女の境遇を思い、心を痛めてくれているようでした。

「…………わたしが帰るのも、帰りたいのも、紫水さんが待ってるあの広いおうちだけです」

 千鶴は、手入川の上流ではなく、いま来た道を振り返って、はっきりと言いました。
 
「! ……そうね。いつまでも千鶴さんを独り占めしてたら、紫水にどやされちゃいそうだし。早速、仕事に入りましょうか!」

 花笠は暗い考えを断ち切るように華やかな毛先を揺らし、その場に荷物を下ろしました。
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