誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第3章 昼下がりの川辺

第3話 川を目指して

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「……花笠さん。今日の行き先って、どちらなんでしょう……?」

 潮の香りも遠ざかり、最初の曲がり角が見えてきた頃、千鶴は隣の花笠に問いかけました。

「紫水から聞いてなかった? ……あいつ、さては忘れてたわね?」

「あ、でも……。あんまり遠くないっていうのは聞いてますし、わたしも『そうなんだ』って納得して、具体的な地名は訊いてなかったので!」

「そっか。今日はね、川まで行くの! 名前はなんて言ったかしら。忘れちゃったんだけど、かっこいい感じで……」

 花笠は、その場でぐるりと一回転しました。

 ぶわっと広がった毛先は、日差しを受けて、よりいっそう輝いています。

「川なんですね。教えてくださって、ありがとうございます!」

「いえいえ、中途半端な情報でごめんなさいね。思い出したら、すぐに教えるわ。その川、上流のほうは結構らしいけど、私たちが行くのは下流だし、水の中に入るわけじゃないから、溺れる心配はしなくていいと思う!」

「結構深いんですね」

「うん。深いところだと、紫水が三人分以上ってとこ?」

「ふ……ふふふ……。わかりやすいです」

 紫水が三人、縦に積み上がったところを思い浮かべて愉快な気分になった千鶴ですが、すぐに唇を結びました。

「でしょ?」

「でも、そんなに深いなら、気を付けないといけませんね」
 
 無用な恐怖心を植え付けないために、『長身の人でも足がつかない』という注意喚起を、彼女があえて諧謔的に表現してくれたのだということに思い及んだのです。
 
「そうね。だけど、万が一溺れたとしても、私がちゃーんと助けるから! 大船に乗ったつもりで任せちゃって!」

「ふふ。ありがとうございます。とっても心強いです。ちなみになんですけど、っていうのは、『危険』って意味ですか?」

「うん、そんな感じね。水の流れって怖いから、人間なんてあっという間に流されて御陀仏だし」

 花笠は、両手を胸の前でぷらぷら揺らしました。

「……あ。一応、確認しておいていいかしら。千鶴さんは泳げる人?」

「! そういえば、わたし……泳いだことない、です……」

「あら、そうなの? 内陸出身で、近くに水辺もなかった感じ?」

「故郷にも川は流れてたんですけど、花笠さんがおっしゃってたな感じで……水汲みに行くときも複数人で行く決まりがあったくらいなんです」

 千鶴が一瞬だけ瞼を下ろすと、大雨のあと、それ自体が巨躯の化け物であるかのように、どす黒い激流となった青龍川が眼前に浮かんできました。

「なるほどね~。それじゃあ、泳ぐどころじゃなかったのも仕方ない……というか、原則立ち入り禁止か! そっか、そうよね!」

「……はい。そんな感じだったので、泳いだことがないだけじゃなくて、水に入ったこともないんです」

「そっかそっか。『水が怖い』とかはない?」

「はい、怖くはありません。むしろ入ってみたいですし、思いっきり泳げたら気持ちいいだろうなあって思ってます」

 次に千鶴が思い出したのは、波打ち際の透明な水でした。

「…………なら、泳ぎの練習、してみる?」

 小さな手がもじもじするのを捉えていた花笠は、柔らかい声で提案します。

「いいんですか?」

「もちろんよ! もし溺れそうになっても、『泳げる』って自信があれば、冷静になれるでしょう? 自力でどうにかできるかもしれないし、助けがくるまで持ち堪えられるかもしれないし。考えかた次第では、採取の仕事仕事に入るより先に済ませておくべきだったのかも……」

 しかし、彼女の声は、だんだんと尻すぼみになっていきました。

「あの……。泳げないと、だめ……だったりしますか?」

 不安をおぼえた千鶴は、おずおずと尋ねました。

「ううん、そんなことはないから安心して。同行者が誰になっても、みんなだから、別に泳げなくても大丈夫だとは思うんだけどね~。でも、千鶴さんも興味を持ってくれてるみたいだし、教えない理由はないわ。できることが多いほど人生の幅も広がるし、なにより楽しいじゃない?」

 すると、花笠は力強く頭を振り、両腕を目一杯広げました。
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