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第3章 昼下がりの川辺
第2話 出発
しおりを挟む「『花笠さんたちの負担』って? ……もしかしてなんですけど、紫水さんの補佐をするのって、わたしがはじめて……だったりしますか?」
何人か前任者がいて、たまたま席が空いていたものと思い込んでいた千鶴は、湧いてきた疑問を口にしました。
「そう! 実はそうなの。私や他の仲間たちの手が比較的空いているときに少し手伝うことはあったけど、最近はそんな余裕もなかったわね……。正式な補佐役に就くのは、千鶴さんがはじめてよ」
「そうだったんですね……」
「よくいままで全部一人で回してたと思うわ、あれだけの業務。誰でもできる……とまでは言えないにしても、紫水がする必要のない雑務にも相当時間取られてたでしょ。いままで一度も倒れてないのが不思議!」
「随分と心配をかけてしまっていたようだね。だけど、花笠たちにだって、いま以上の負担と迷惑をかけるわけにもいかなかったし……。かといって、君たちを除外したとき、最速で片付けられる者といえば、私だったからねえ。そうすると、ね? わかるだろう?」
申し訳なさそうに言った紫水の目の下には、青い隈が浮かんでいました。
「はぁ……。これが口先だけだったら、そういう雑多な仕事の一切合切、無理矢理取り上げて勝手に分担できてたんだけど。困ったことに、私や他の奴が手一杯なのも、紫水の処理能力の高さも全部本当だったから、どうにもできずにいたのよね。……危ない漢方とか調合して、自分に使ってたりしない? 大丈夫?」
花笠は、薬研で薬を挽くような動作をしてみせました。
「あはは、その手があったか。でも、そんな暇があったら、研究に充てているよ。私が過労で倒れていないのは、好きなことをしているからじゃないかな」
「『その手があったか』って……。絶対にやめてよね、そんなことさせるために言ったんじゃないんだから」
「わたしからもお願いします。そんなことしないでくださいね。……『好きだから頑張れる』のはわかりますけど、『疲れを感じにくい』だけで『実際に疲れてない』わけじゃないから、かえって危ないと思いますし……」
「そうだね。千鶴の言ってくれたとおり、危険な状態だったと思うし、ずっと限界を感じていたのも事実だよ。命に関わるような疫病が流行りでもしていたら、そのあいだだけでも医者一本に絞らざるを得なかっただろうし。そんなことになる前に、千鶴が来てくれて運がよかったよ。本当にありがとう」
「……そう。なら、いいけど」
「ど、どういたしまして……?」
紫水がふわっと微笑むと、女性ふたりは牙を抜かれ、それ以上追及することはできなくなってしまいました。
「一応、募ってはいたんだっけ?」
「もちろん。補佐役の募集自体は、ここに住み始めてからすぐに始めたんだけれど、誰もやりたがらなくてね」
「そうなんですか? すごく意外な気がします」
物腰も柔らかく顔立ちも整っている紫水のそばで仕事をしたいと考える人――特に女性――は少なくなさそうなのに。
「おだてなくたっていいのに」
千鶴の発言は本心からのものでしたが、紫水は擽ったそうにしています。
「そうよ。きっと話が長くて敬遠されてただけだと思うし。千鶴さんも、立場上、紫水の長話を聞かされる機会も増えると思うけど、退屈だったら止めちゃっていいからね! 『これ以上は業務に差し支えます』とか言って。あ、『意欲が削がれます』でもいいかも?」
花笠は手で衝立を作り、こそこそと千鶴に助言しました。
「花笠? それは辛辣すぎないかい?」
しかし、声を潜めてはいなかったので、当然、その言葉は紫水にも届いていました。
「ありがとうございます、花笠さん」
「千鶴まで!?」
ばっと千鶴を向いた紫水の声が裏返ります。
「でも、わたしは紫水さんのお話に退屈したことなんてないですよ。いくら聞いても飽きません」
彼の反応に満足した千鶴は、本当に伝えたかったことを口にしました。
「そうかい。ありがとう、千鶴」
「……じゃあ、そろそろ出発しましょうか!」
ふたりを見守っていた花笠が、頃合いを見て声を掛けました。
「はい! いってきます、紫水さん」
「! いってらっしゃい。楽しんでおいで」
紫水はふたつの影が見えなくなるまで、そこから一歩も動きませんでした。
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