49 / 241
第3章 昼下がりの川辺
第1話 花笠
しおりを挟む二日後、少し片付いた診療所の門を叩いたのは、患者ではない来客でした。
「おはよう。久しぶり、紫水」
千鶴が扉を開けると、そこには話に聞いていたとおりの細身の女性がひとり、うねりのある長い髪を靡かせていました。
少し青みの差した紅色の毛先が風に踊るさまは、いつまでも飽きずに見ていられそうです。
「おはよう。こんな早くに呼びつけて、すまない。今日は千鶴をよろしくね」
と紫水は詫びましたが、巳の刻のどこが早いというのでしょう。
「まったくだわ。でも、他に頼める人もいなかったんだろうし、今回は特別ってことで」
しかし、その女性も、まるでいまが寅の刻であるかのように欠伸を噛み殺しました。
「恩に着るよ」
「あなたが千鶴さんね。初めまして」
千鶴が彼らの時間感覚を不思議に思っていると、来訪者の女性と目が合いました。
「お、おはようございます! 千鶴です。今日は一日、お世話になります」
「私は花笠。なんでも好きに呼んでね。今日はよろしくお願いします!」
「よろしくお願いします、花笠さん」
「…………『やっと補佐役が見つかった』なんて言うから、どんな人かと思ってたんだけど、しっかりしてそうな人でよかった!」
同行者の人当たりのよさに安心した千鶴の声から緊張感が抜けると、花笠は安堵のため息をつきました。
「紫水、仕事以外はぼうっとしてるところがあるでしょう? 『満潮になったのに気付かないで、海に呑まれそうになっていそう』というか!」
「!」
彼女が例として挙げたのは、数日前の紫水との出会いの状況――――の、ふたりの立ち位置を入れ替えたものでした。
人生の分岐点となった夜明けの海辺での出来事を振り返った千鶴が紫水を一瞥すると、彼も彼女を見つめていました。
「? どうしたの? 沖まで流されてく紫水でも想像して、面白くなっちゃった?」
千鶴の反応を見た花笠は、頬に手を当てました。
「君って、昔から私にだけはなんだか当たりが強いよねえ……。別にいいけれど」
紫水はへの字口でぼやいていますが、笑いを抑えきれないようで、口角をひくひく引き攣らせています。
「気のせいじゃない?」
「ふ……ふふ……。花笠さん、実はわたし――――」
千鶴が紫水に声を掛けられたときのことを簡単に話すと、花笠は素っ頓狂な声を上げました。
「えっ? 意外! 千鶴さんが助けられた側なの!?」
身振り手振りの大きい花笠が話すたびに揺れる髪の毛に注目していた千鶴でしたが、彼女がひときわ大きくのけぞった際、毛先のほうにもう一色、紅色ではなく黄緑色になっている部分があるのを見つけました。
「はい。いろんな意味で恩人なんです、紫水さんは」
快活な彼女にぴったりの華やかな髪を羨ましく思う一方で、迫害の的にされてはこなかったかと不安にもなりましたが、彼女のいた環境があの村のように閉鎖的だったとは限りません。
千鶴は暗い考えを振り切り、笑顔を見せました。
「へえ……。紫水もたまにはやるじゃない。ただの昼行灯じゃなかったんだ」
「失礼だなあ、本当に。……ふふふっ」
花笠が肘で小突くと、紫水はついに噴き出し、顔を背けました。
「冗談だけどね。二足の草鞋を履いているからには、仕事以外の時間であっても、一秒だって惜しいでしょ。本当にぼうっとしていたら、片方だってできないんじゃないの。医者と研究者なんて」
「そうかな。ありがとう、花笠」
「なんにせよ、こんなしっかりした助手さんがついてくれてたら、紫水だけじゃなくて、私たちの負担もかなり軽くなりそう!」
花笠は、千鶴にきらきらした眼差しを向けました。
千鶴は、年上の同性であり、紫水と同じく子ども扱いしてこない彼女のことがすっかり好きになりました。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる