誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第2章 夜明けの海辺

第34話 一番の動機

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「……ありがとう、本当に。でも、少しだけ行き違いがあるみたいだから、言っておこうか。千鶴の身体に起きている異変を探っていくうちに、これからの医療に活用できそうななにかを掴めることを期待している……というのも、ひとつの事実ではあるんだけれどね」

 時を止めたように固まってしまっていた紫水は、重ねた手から千鶴の顔へと視線を移します。
 
「埃を被っていた夢を応援してくれた君の助けになりたいというのが、私の一番の動機なんだ。だから、改めてお願いしたい。、ここにいてくれないかな」

 霧に煙る海を思わせる彼の瞳は、どこか遠くのまだ見ぬ景色を映し出しているかのようでした。

 曖昧にぼかされた期間には、『ふたりで旅に出る』という蜃気楼のごとき約束を現実のもの果たそうとする意思が込められていたのでしょうか。

「いたい、です……。けど、まだ釣り合ってない気がするんです。結局は、全部わたしのためじゃないですか……」
 
 しかし、千鶴は、自分のそれよりずっと大きな手をそっと離しました。

「ああ、その点も心配はいらないさ。特殊な体質を抜きにしても、私にとって、君は人材だからね」

 紫水は、揃えた手先を彼女に向けます。

「……? どういうことですか?」

 千鶴は後ろを振り返りましたが、もちろんそこには誰もいません。

 彼女は、被検体としての他に自分に利用価値があるとは思っていなかったのです。
 
「ちょうど補佐してくれる存在が欲しいと思っていたところでね。そういう意味でも、私の仕事を手伝ってはくれないか……という提案さ。君、仕事も探していると言っていた気がするんだけれど、記憶違いだったかな?」
 
「……言いましたし、お仕事をいただけるのはありがたいです。少し休ませてもらえれば普通に歩けるようになるだろうし、明日には探しに出るつもりでしたから。でも、補佐って、どんなことをすればいいんですか? というか、をお手伝いすれば……」

 医者と研究者。

 どちらを手伝うにしても、重大な使命を帯びているようで、小さな身体はかたかたと武者震いを起こしました。
 
「どちらもぎりぎりで回しているから、両方手伝ってくれるとありがたいけど……はじめての労働だ。無理を強いるわけにもいかないしねえ。なにをしてもらうのがいいのかな」

「じゃあ、片方を選ぶ感じですか?」
 
「そういうことになるね。でも、両方を少しずつだっていいよ。どんな仕事の仕方を選ぶにしても、現時点でお願いしようと考えているのは、専門的な知識のいらない範囲のことだから。とはいえ、千鶴自身の適正や興味の問題もあるしねえ。こちらが勝手に決めることでもないか。?」

「わたしは…………」 

 判断材料を与えたうえで意向を確認してくれ、決断や選択を急かすこともない紫水は、理想的な大人といえる存在なのでしょう。

 しかし、自身の好悪すら十分に把握できてはおらず、具体的な理想を描くこともままならない千鶴にとっては、相手を尊重する彼の姿勢も、あまりありがたいものではないというのが正直なところでした。

「具体例を挙げてもいないんだし、すぐには決められないか。無茶を言ってしまったようだね。すまなかった。……そんなわけで、当面は私がその時々でいろいろ仕事を振っていこうか。そうしたら、得手不得手や好き嫌いも少しずつ見えてくるんじゃないかなと思うんだよね。千鶴はそれで構わないかい?」

 紫水は、作った笑顔を浮かべる少女に手を差し伸べました。

「なにからなにまで、ありがとうございます。いろんなことしてみたいなあって思ってたので、すごく嬉しいです! 改めて、よろしくお願いします」

 棒立ちのふたりは我に返ると、顔を見合わせて噴き出しました。
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