誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第2章 夜明けの海辺

第31話 恐れ

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「…………『生物の持つ構造や細胞を人体に応用する』って、具体的にはどんな感じですか?」
 
 千鶴は、その容器から目が離せなくなりました。
 
 自分の身体を流れていたときはもちろん、採血されて外に出た直後も一色だったはずのそれは分離が進み、いまやまったくの別物と言ってもいいほどになっていました。

「どういうことなのか、いまいち……よく、わからなくて…………」

 さまざまな成分が含まれている以上、当然のことではあるのでしょうが、それとはまったく正反対の――元は別々だったものを完全に混ぜ合わせ、一体にする――ことなど、果たして本当に可能なのでしょうか。
 
「そうだねえ……」

 紫水は血液の入った容器を振りますが、液体であったはずのそれは固まり、微動だにせず。

「たとえば、皮膚が極端に脆くなってしまった人がいたとしようか。まず、大前提として、私たちはなにをするにも、大抵は扱う対象に触れる必要があるね?」

 恐怖心はとっくに消えていると思っていた千鶴でしたが、彼が幾度振ろうと形を変えることのないその内容物が途端に不気味なものに思え、背筋が寒くなりました。

「…………そうですね。立ってるだけでも足の裏は地面についてますし、着物を着てるだけでもいろんな場所が布に当たって、少し動いただけで擦れて……。痛くないはず、ないですよね……」
 
「そう。その人は皮膚をどうにかしない限り、なにもできないようなもので……。きっとそれは、とてもつらいことではないかと思うんだ。でも、逆に言えば、『皮膚さえなんとかできれば、他の人たちと同じように過ごすことができるようになる』んじゃないかな」

 紫水は前のめりになって弁舌を振います。

「この場合は、元々の脆い皮膚の代わりになる丈夫な皮膚を作って、移植できたら……!」

「……本当にそうなったらいいなあとは思いますけど、そんな夢みたいなこと……」
 
「そうだね。『現時点では、まだできない』よ。移植が成功したって、触覚が犠牲になったら意味がない。でも、『そうなったらいいなあ』を現実に、いずれ当たり前のことにするために、私は研究を続けているんだ」

 千鶴はそのとき、自分が恐れをなしているのは凝固した血液そのものではなく、将来的に実用化されるかもしれない医療技術なのだということに気付かされました。

「あ……」

 そして、たとえ一瞬であろうと、彼と彼のなそうとしている偉業を恐れ、気味悪がったことを申し訳なく思うと同時に、『これでは、自分を排斥した村人たちと同じではないか』と項垂れました。

 彼女は心のどこかで『自分はあの人たちとは違う。変化を恐れて停滞などするものか』と驕っていたのです。

「そう…………ですよね。……紫水さんは本当にすごいです。そんなこと、わたしなら思いつきません……」
 
 しかし、彼の話を反芻していると、新たな疑問が湧き上がってきました。
 
「でも、えっと……人間の皮膚…………に近いもの? を、一から作るのは……難しいんですか? わざわざ普通の人より丈夫なものにする必要ないんじゃないかな、って思って……」

 『死した人間の皮膚を移植するのではいけないのか』とも考えましたが、そこまでの保存技術は医療の現場でも開発されていないか、実用化には至っていないということなのでしょう。

 千鶴は直前で質問を変えました。
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