誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第2章 夜明けの海辺

第28話 大規模な散歩

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「……、か。そうだね……。なんだかいいなあ、その言葉。とても気に入ったよ。言われてみれば、気にも止まらないくらいの小さな変化が、あとになって大きな変化を呼んでいたとわかることだってあるよねえ」

「結果って、すぐに出るものじゃないですしね」

「本当に。時間がかかるものだね、何事も…………」

 感慨深げに目を伏せた紫水でしたが、彼が次に見せたのは、夢追う少年の顔でした。
 
「……うん、決めたよ。ここにいたって、できることはあるんだ。それをしながら、いろいろな場所を巡ることのできる日々が訪れることを願うとしよう。千鶴が言ってくれたように。そして、そんな生活を…………死ぬまで続けられたなら、もっと幸せだろうと思うけど。欲を掻きすぎるのもよくないか」

「それだって、贅沢のうちに入らないと思います。誰だって、理想の生き方を持ってるはずですから」
 
 そうは言ったものの、『自分がどうやって生きていきたいか』なんて考えたこともなかった千鶴には、明確な理想を描いている彼が不思議でなりません。

「でも、死ぬまで……なんて、本当に旅がお好きなんですね? 帰る場所がないのは、怖くないんですか……?」

 夜明け前、どこへ続いているとも知れない暗い道を進んでいたときの千鶴は、何度も何度も、来た道を引き返したい衝動に駆られていました。
 
 帰る場所ではあっても居場所の役割を果たしていなかった実家さえ恋しくて、闇に紛れて飲んだ涙も、舌に苦味を残しています。

「ああ、そうか。『帰る場所がないと落ち着かない』って人もいるよねえ。私の場合、ずっと同じところに住み続けるのは、どうも性に合わないみたいでね。何年も同じ景色を見続けて、腐りかけていたけれど……」

 紫水は窓の外に目を向けました。

「千鶴の言うとおり、いまと変わらない日常がいつまでも続いていくとは限らないか。良くも悪くも。来る日に備えて、いっそう励むとしよう」

 眉が高く盛り上がった横顔は、骨格からして、千鶴の知っているどの人とも異なっていました。

「もしそのときが来たら、一緒に来るかい?」

「え?」

 思いがけない誘いを受け、千鶴は気の抜けた声を出します。

「ええと…………」
 
 それから、視線をうろうろと彷徨わせました。
 
 断るつもりでいましたが、冗談だとわかっていても心にもない返答をする気にはなれず、どう言ったものかと考えあぐねていたのです。
 
「醍醐味は他にもあるだろうけれど、旅には基本的に『歩いて、目的地まで辿り着く』という過程があるよね。そう考えると、散歩の延長線上にあるもの……『大規模な散歩』なんていう言い方もできるかな?」

 紫水はすべて見透かしたように、ゆったりとした足取りで窓まで行くと、中途半端だったそれを全開にします。

「表現はなんでもいいけれど。非日常ではあっても、日常と地続きのものだ。考えているほど怖いものではないんじゃないかと思うんだけど、どうかな?」

 すると、松と松のあいだの切れ目から、空の色が見えました。

「…………行きたいです、わたしも。少し距離が長めのお散歩に」

 躊躇いを振り切った千鶴は、先ほどの彼のように、窓の外のそのまた先へと思いを馳せました。
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