誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第2章 夜明けの海辺

第16話 提案

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「はい。元々、好き嫌いがはっきりしているほうじゃないので、大抵のものは美味しく感じます。でも、お兄さんの作ってくれたご飯は、お出汁がきいていて、薄すぎないし濃すぎもしないし……。本当に美味しいと思います。こんなに褒められても、全然嬉しくないかもしれませんけど」

 そのあたりの事情については少しも触れていないことを失念していた千鶴は、自嘲に走ります。

「…………よかった。『でも』のあとに、なにを言われるかと冷や汗を掻いてしまったよ」

 紫水は後ろに手をついて、天を仰ぎました。

「それはさすがにご冗談ですよね?」

 千鶴は、だらんと大袈裟なくらいに脱力したはずみで大きく開いてしまった彼の胸元に視線を落とさないように気を配りつつ、お椀を持っていたほうの手で涙を拭います。

「なんにせよ、ありがとう。相手がどんな人でも、真心のこもった褒め言葉は嬉しいものさ。涙が出るほど感動してくれたのは、君が初めてだしね」

 彼のはにかんだ表情は、春の陽気に誘われて花が綻んだかのようなふわっとしたものでした。

「…………この涙は……そのせいもあると思うんですけど、それだけじゃなくて……。『誰かと一緒に笑いながらご飯食べるのなんて、何年ぶりかなあ』って考えてたら、出てきちゃったんです」

 ぽろりと零れ出た言葉は、いまに至るまでの数年間の孤独から無意識に目を背けていたことを思い知らせるかのようで、千鶴自身も驚きました。

「そうかい。人の数だけ、事情はある。君も私と同じで、ここ数年は人との関わりが稀薄だったらしい。し、まあ、そんな時期もあるさ」
 
 紫水は、後ろの箪笥から出した手ぬぐいを、静かに涙を流す千鶴に渡してきました。
 
「よければ、昼食……いや、夕食も食べていっておくれ。というか、しばらく滞在していったらどうだい? 足の具合も診ておきたいし」

「ありがとうございます。お恥ずかしい話なんですけど、一回座ったら立つのもきつくて……。図々しいのはわかってるんですけど、お世話になってもいいなら、ぜひお願いしたいです」

「構わないとも。君に必要な休息は、一日やそこらではなさそうだしね。元からそのつもりだよ。君は明日には発つ気でいるのかもしれないけど、今晩だけと言わず、何日でもいればいい。ここは宿屋ではないけれど、その役割を果たすのに不足はないさ」

 彼は、先ほど手ぬぐいを出した一段下の引き出しを開きます。

 木の擦れる音に反応した千鶴が目をやると、そこには明らかに大人用でも男性用でもない浴衣が、きっちりと畳まれた姿で佇んでいました。
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